夫の母方の従弟夫婦については,かつて補習校の文集に寄稿したことがある。旧ハンガリー領のトランシルバニア(現ルーマニア)に住んでいて,これまで2度訪問した。 

...先日記事に書いたが,思った通りだ。ウクライナから避難して来た家族(4人)を自宅に受け入れたと言う。この家族は3日間滞在し,既にドイツに向かったそうだ。次は,妊婦さんのいる3人家族を受け入れ,今朝(昨日)ベルリンに向けて送り出したと。 

 

うちでは夫とささやかながら支援金を送ることを決め,申し出たのだが…従弟は黙って天を仰いだ。神様が与えてくれるという意味だ。そして,「ここにいないと何もできないんだよ。あなたには食事作りを手伝って欲しいんだが」と微笑んだ。

 

スカイプの最後に,「明日も国境に誰かを迎えに行くのね?」と尋ねると,この野暮な質問に彼はYESとだけ答えた。クルジ・ナポカの自宅から大混乱の国境まで片道3時間くらいかかるのか。疲れたから少し休みたいと言われ,私はThank you.と伝え,夫はI am very proud of you.と言って通話を切った。

 

この従弟は私が知っているだけでも6か国語を話す。ハンガリー語・ルーマニア語・ドイツ語・英語・フランス語・ロシア語だ。だから,いろんな人達とコミュニケーションがとれる。言語は,人を殺さない武器だ。

 

彼らの暮らしは決して裕福ではない。本当につつましい。宿泊した時,アパートの浴槽の壁にはブルーシートが張ってあった。バカだと思いますか,見ず知らずの人を助けるお金があるなら,まず家の修理をすべきだと。

 

この先会うこともない他人を家に泊めるのはハイリスクであり,勇気のある行為だ。信頼,ただひたすら信頼。何かあっても彼らは決して人を責めないだろう。従弟夫婦の安全も祈る。 

 

彼らにとっての人道支援は人間として当たり前のことで,滞在中にも何度も目にした。見栄や個人の贅沢は,そこには一切ない。私はこの慈愛に満ちた従弟夫婦がいるということで救われている。彼らと話す時,とてつもない深い喜びに包まれ,身体の奥底から満たされる。それは,ハワイ旅行やクルーズ船ツアーのような金銭で買う喜びとは全く質が異なる。高級品や贅沢ディナーがもたらす自己の幸福でもない。誰かのための幸福。通りすがりの誰かのための。 

 

国境で何が起きているのか…テレビのニュースにも出ていないので,聞いたことはここには書かない。いくらいろんなニュースを見ても,現実はもっと悲惨だ。