武田真一アナウンサーが,NHK番組「クローズアップ現代」出演の最後の日(2021年3月18日)にこう言われた。


「...皆様の声を私の心に深く浸して,わかろうと努力しよう,皆さんの声を私の心と共振させて,さらに大きな波紋にして,社会に伝えよう...」


そうか,そうなのだ。


「あなたの気持ちはよくわかります」。大切な誰かを亡くしたり自然災害で苦しんだり,様々な困難な状況下にある人に声をかける。


そして,ごていねいにも「私もそうだったから」とつけ加える。


同じじゃない。同じものはない。状況も違う。考えも違う。思いやる気持ちに,例文も型もない。


さらに,「私の場合はこうで,結局うまくいったのよ。だから,あなたも大丈夫」や「がんばっていればきっとうまくいく」で締める。


...その根拠はどこに?励ましのつもりかもしれないが,何も響かない。届かない。あなたの成功話やラッキー話を聞いたところでどうなる。経済状況も健康状態も,年齢も家族構成もすべて違うのだ。人はよけい打ちのめされるのではないか。大人の社会で,真面目にやって結果を出さなくても称賛や評価をもらえるのか。


冷たく聞こえるだろうが,人の気持ちはわからないのだ。それなのに,何故人は「あなたの気持ちがわかる」と根拠のない自信を見せ,「かわいそうに」と上から目線で憐れむのだろう。そして,何故そう言う人を思いやりがあるとみなすのだろう。「あなたもきっと大丈夫」と突き放し,この会話を終わらせたいだけかもしれない。


悪い人ではない,だろう。人間は,良い人悪い人と白黒つけられない,灰色のグラデュエーションの中でもがいているから。


わからない,でも何とかしてわかろうとする。考え続ける。心を寄せようとする。これは大変なエネルギーが要る。


当たり前だが,わかろうとしてプライベートに立ち入った質問を次々にするのは違う。私が誰かの悩みを聞く時,家族構成,仕事や勤務先,怪我や病気の原因や程度も知らないことが多い。年齢はもちろん聞いたことがない。本人が言わないということは触れられたくないという場合が多いので,私は一切聞かない。よく知っていると思う人でさえ,知らない部分の方が多いはず。言わないということを含めて,その人を理解することなのだ。


「何かあったら言ってね」と,口先だけなら何とでも。中身ではなく,いい人であるという評判が欲しい。そして,できることを一つやったら,それで終わったことにする。感謝された,喜んでもらったとSNSに投稿したら完了。...そんなに,浅いものじゃない。


人の痛みをわかろうとすることは,難しい。本当に難しく苦しい。痛みを知っても助けることができないことばかりだ...。友だちが多いという人は,どれほどの深さでこれが友人一人ひとりにできているのだろう。


他人事を,自分の心に深く浸す。この失ったものがあまりにも多過ぎる世の中において,相手のためになることは何か,失敗しながらも...考え,できることをやるしかない。