「問題ない」,この言葉を初めて聞いたのは大学時代にカナダ旅行をした時だった。トロントのホテルでベルボーイさんにThank youと声をかけたら,"Mondai nai"という返事が。友だち2人と一緒に笑ったのだが,外国人がカタコトの日本語を話していることについてではなく,"No problem."を直訳したものだったから。今ではよく聞くけれど,当時は「何の問題もない」という言い方自体もなかったと思う。


終了したニュース番組「ニュースきょう一日」では,井上あさひアナウンサーが,毎回「あなたの明日がよい一日でありますように」で締めくくっていた。な,長いフレーズ...。これも英語から来ているので,仕方がないか。


日本語には,Have a nice day.やHave a great afternoon.のような別れのあいさつが元々少ない。「気をつけて」や「がんばって」,「お元気で」は普段から使うが,「よい週末を」や「楽しい時間をお過ごし下さい」はどうも...日本語として堅いというか,おしゃれ過ぎるというか...しっくりこない。


このニュース番組は「お休み前の15分」とは言いながらも,夜勤の人を考慮してか「お休みなさい」の代わりに「よい一日でありますように」だ。時代の流れと共に,テレビ番組もいろんな立場の人に配慮するように変わってきたなと思う。


「よい一日になりますように」ではなく,「よい一日でありますように」。既によい明日という日が存在し,自分を待ってくれている感じがしていい。安心して眠りについてよいのだ。


小学校に勤務していた新任の頃,学年通信(4クラス対象)に「週末は休み」だという意で文章を書いたことがある。下書きを見てもらった学年主任に,「週末に働いている保護者もいる」と厳しく注意された。己の愚かさと配慮のなさに深く恥じ入ったのを覚えている。


社会に出たすぐは叱られたり失敗してばかりだったが,自分の能力や常識のなさをハッキリと次々に指摘・叱責してもらえた。若い時の厳しい言葉は,かけがえのない財産だ。


「私は失敗しないので注意されない。ほめられてばかりの私はスゴい!」というのはおごりだ。単に,誰も大人のアナタに注意してくれなくなったということ。SNSでは自画自賛も散見されるが,ホンモノの人は決して自分をほめたり,ほめられたりしたことは書いたりしない。


謙虚さと配慮。いろいろな考えや立場の人がいることを心に留めたいと,いつも思う。