9年ほど前のことだが,夫と共に日本に一時帰国した時に友達になった方が3人いる。Aさん夫婦が経営されているレストランに招待されて,5人で食事をとっていた時のこと。
 
我々夫婦がどうやって知り合ったのかB男さんに聞かれたので答えると,「おー,運命的な出会いですね!」とおっしゃった。すかさず,A男さんは大笑いして「そーんなの,運命的でも何でもない!出会いなんて,大概そういうものだ」と。
 
B男さんは,我々に気を遣って「運命的」と言ってくれている。プライベートな質問をしておきながら,「ふーん」とか「あぁ,そうなんですね」程度の冷めた反応では失礼に当たるだろうから,とっさに「運命的」という大げさなほめ言葉?が口をついて出ているだけである。
 
A男さん夫婦は,その時初対面であった。英語も全く話されない,にも関わらず,うちの夫にも容赦がない。初めて会った日に趣味で楽しまれている陶芸を教えて頂いたが,日本語で「あなたのご主人はB男さんの器の作品を素晴らしいってほめているけど,ホントはそう思っていないはず」とか(笑)。夫もまたB男さんに気を遣って,Subarashi!と言ったのだから。夫は,この歯に衣着せない態度の日本人のA男さんと大層仲良くなった。
 
冷静に考えれば,そうなのである。
 
ドバイ行きの飛行機内でたまたま隣に座ったフランス人とか,イタリアでひったくりに遭った時に助けてくれたギリシャ人と結婚というのは,「運命的な出会い」だと誰もがうなずくだろう。広い世界,長い人生,思いがけぬドラマチックな出会い方もある。運命的だから結婚すべき!と飛びつくのは危険。
 
では,自動車学校の待ち合い室で出会って意気投合したとか,近所の100円ショップで幼馴染みにバッタリ会って結婚というのは,運命的と言えるのか。本人同士は,自分達はロマンチックで奇跡的な出会いをした,特別なのだと思いたい。「大学の同級生かぁ」とか「あ,会社の同僚ね」なんてあっさり言われたくないだろう。
 
しかし,毎日出かけていれば(今はネットでも)誰かしら異性には会うし...。
 
「これも何かの縁」という言葉もよく耳にするが,「スーパーでこのレジの人に会計をしてもらうのも縁」とか「駐車場でこの人の隣に車を停めたのは運命的な出会い」だとか... 何でもかんでも縁だと言えば言えるし,きりはない。
 
出会いは,庭の木から落ちた2枚の葉っぱがたまたま重なり合ったようなものだ。風が吹けば飛ばされ,また別の葉っぱとくっつく。
 
結婚は運命的な出会いの最たる縁だろうが...残念ながら別れてしまうこともある。出会いは一瞬の出来事であり,継続するのが大変だということ。出会って,少しずつ知り合って,わかり合って,大事にし合って...それが積み重なって縁と呼べるものになる。縁は育てるもの。育たなくてもそれはそれでいいし,育たない方が多い。取り巻く環境が変わる中で,うまくいかないということもある。
 
友人でも同僚でも,置かれた環境が似ているという理由で,無理に親しくしなくてもよい。育つ友情の方が少ないのだから。短い人生,自分の時間を大事にし,己の心身を病まないように過ごすのが大事だ。
 
「袖擦り(振り)合うも多生(他生)の縁」と言うが,そういうこともあるに留め,ほどほどでいい。
 
出会いは単なる偶然。よって,人様の出会い方(結婚の馴れ初め等)にはそんなに興味はないと思うんだが…どうなんでしょう?