2年半前までは聴診器のダイを使うことはないだろう…と思っていたけれど,病気や怪我の人だけでなく,ウィルスが蔓延したことでお医者さんやワクチン接種のお礼などで使うようになった。


いずれも,Taylored Expressionsのダイ。

カットしたら他のダイとは比べモノにならないかわいさ。

以前は,お悔やみはもちろん,お見舞いでも既成のカードを使っていた。病気を予測してカードを準備しておいたり人が苦しい時に手作りを楽しんだりしているようだから,お見舞いのカードに凝った手作りのカードはふさわしくないだろう…。しかし,長引く病気や怪我の回復,ウィルス蔓延で外出もできない…すぐに手作りできる時間もあり,自宅療養が長引くことから,ここ2年半はお見舞いには手作りのカードを贈っている。特に長期療養中の人は,もらったカードを何度も眺めると思うので時間をかけて作る。  

 

「アメリカは風邪を引いても贈るほどのカード文化」という手作りカード作り推奨の日本語の記事を読んだことがある。

 

これは,日本に2年ほど住んだことのあるアメリカ人夫婦が,「日本ではお正月だけでなく,誕生日や結婚記念日にも家庭で餅つきをする」とアメリカ人に報告するようなもの。その場面を一度見ただけで全部がそうであると決めつけて,その辺の事情に詳しいとばかりに人の関心を得ようとするのだろうが…信じるのかねぇ。

 

長年アメリカで暮らしてきて言えるのだが,風邪くらいでは手作りカードはおろか,既成のカードも贈り合ったりしない!!そりゃそうだろって誰もが思うはず。風邪と聞いてからカードを作ってメッセージを書いて郵送して…一体何日かかるのか。受け取った頃には治ってたりして,風邪程度で手作りカードを贈るのは極めて非現実的なこと。

 

道具や材料を売るためにカード作りを推奨するのはわかるが,誇張もいいところだ。また,カードを受け取った相手がSNSで紹介してくれることを見越して贈る…と目的が別のところにあったりするのは,どうにも品がない。こういう時代なのだという意見もあろうが…。    

 

うちでは,主人共々大きな病気(回復に1か月以上かかるような)をしても,お見舞いのカードは一度も頂いたことはない。カードが届いた時もまだ療養中であるということを前提に贈るので,程度が大きい病気や怪我が対象ということになる。

 

もし,自分が風邪を引いた時にお見舞いの手作りカードをもらったら…「何故そんなに重病人のように扱うのか。カードを受け取るまで長引いて,重症化するとでも?」とか「大げさ過ぎる。この人は大丈夫か」と逆に心配されたり。はたまた「よほど暇なのだろう」…とどうにも居心地の悪さを感じると思う。回復してからお見舞いのカードが届き,「あらー,もう治ったのよ。ゴメン」と何故か謝ったり。風邪程度で贈り合うとしたら,あり余る時間に,カード作りの趣味仲間で,近くに住んでいて,しょっちゅう連絡を取り合っているというかなり限定的な場合だろう。

 

日本では病気見舞いに,カードのみを贈ることはめったにないと思う。きちんとした付き合いにおいては金銭を贈り,直接病院に持って行くとご家族が預かることになる。しきたり通りに,普通の見舞い用の袋を選ぶだろう。手作りのカードには現金のお札はそぐわない。   

 

カードを手作りを趣味としている人も少なくないアメリカとは言え,私の家族・親戚・友人・知人(クラフト店を通して会った人を除く)にはカード作りをする人は一人もいない。キリスト教徒であってもクリスマスカードの返事すら全く贈らない人も多い。メールをするのがやっとで,アメリカ人も日本人もみんな,本当に忙しい。日本と同様で,アメリカでも高齢者ほど手書きの郵送物を好む。若者についても,お祝い等で金銭を贈った時は,手書きのカードをもらうことが多い。 

 

相手の状況や宗教に合わせて,正しいタイミングで適量を贈るのが重要。誕生日は誰でも。キリスト教徒なら,イースターとクリスマス。バレンタインは,特に冬が長いミシガンでは春が近いような感じで嬉しいと思う。親しければ結婚記念日。

 

カード仲間と交換会,という趣味のグループはあるだろう。自分でも作るのに,もらった大量のブランクのカードは果たして使うのかな?自分で作ったサンプルだけでも膨大な量になるので,交換会でたくさんもらうブランクカードまでは保管できないじゃないかと思う。作って書いて贈って,相手に届いた瞬間で終わる,それがカードの役割。

 

特別な時に手作りのカードを郵送する,それだけのこと。