昨年末に3週間ほど一時帰国をした。郵便配達は停止していたが,戻って来た日にポストを開けてみると…何とお隣さんの郵便物が入っているではないか。いつ配達されたものかは不明。この隣人はちょうどフロリダのセカンドハウスに滞在中で,長期に家を空けることが多いため,請求書など急を要するものはなかったようだ。同様に郵便物を止めていらしたのが,不幸中の幸いであった。

 

この誤配達の郵便物を見て私は,「私達が不在中に,他の隣人にたまにポストを点検してもらえばよかった…全面的にうちの責任!」と自分の過失だと夫に言った。すると,夫は「いや,アメリカ人はそこまで考えない。郵便局のミスということで,うちが責められることはまずない」と。

 

隣人におわびの電話をかけたら,夫の言う通り。むしろ,「うちの郵便物でお宅に迷惑をかけたわね」という感じの対応であった。しかし,郵便配達はたまにミスがあるのはわかっているし,私が起こりうる不測の事態を予測して注意しておけば防げたことである。ちょっとの配慮で誰かを責めることもなく,最悪を防げるなら防ぎたいではないか。

 

良くも悪くも,たいがいのアメリカ人はそこまで考えない(American can't go too far).…らしい。「そこまで考えない」というのは,英語では go too far(礼儀や常識などの点で度が過ぎる)という。夫によく,「それは考え過ぎ。あの人は日本人じゃないから」だとか「すごい想像力だ」と呆れられる。

 

先日テレビニュースを見ていたら,ウィルスに感染して死亡したアメリカ人の遺族が,「マスクをつけない人の犠牲になった。不公平過ぎる」というコメントをしていた。日本人だったら,「自分が感染しないためでもあるが,自分が菌保有者だったら相手に移すかもしれない。相手を不安や不快にさせないためにマスクをつける」ということに異論を唱える人はいないだろう。いたとしてもよほどの変わり者。

 

マスクをつけることに反対する人々もいるが,声に出して反対しなくともつけていないなら同じこと。自分や家族はもちろん,他人まで死に至らしめるリスクがあることを想像できないということは理解に苦しむ。相手に対する思いやりの欠如だと思えないとは不幸なことだ…。私はマスクをしているのに,至近距離でマスクなしで話しかけてくる人…「大丈夫,私はあなたから感染するとは思ってないわ」と一方通行の発言をされ,マスクを作ってあげたじゃない,あれはどうしたと聞きたくなる。「ちゃんと車に置いているのよ~」と言われても,つけていないなら一緒。テレビの中の「マスク反対派」はどこか遠い場所の人達であって欲しいが,実際は身近にもたくさん存在する。

 

経済活動が再開されたことから気が緩んで,まるでウィルスなどなかったように振る舞い,州知事令を(知らないふりして)守らなかったり…。「息苦しいからマスクはしない」と目の前で言われた時には,驚きのあまり何も言えなかった。

 

不特定多数の人達とマスクなしで会っているような人には会いたくない,というのもわかってもらえない。このウィルスの脅威を説いたところで糠に釘。無意味な努力で,「I’m good.でも,あなたは怖いと思っているのね。かわいそうに」と同情される始末である。

 

人と会う前には,「私はこの2週間で,買い物にしか行っていない。店員さんを除いて,誰とも会っていない」と自己申告をして,相手からも同様の申告があることを期待してみたりもする。「私と会う時は安心して欲しい」という配慮のお返しが欲しいんだけど…土台無理な話。

 

うちは感染予防に関しては徹底している方で,夫は郵便物取りやドライブウェイのゴミ出し(車庫から5mくらい先の自宅スペース)でさえもマスクを着用している。お店には行かなければすむことだし対策も徹底されているが,問題なのは個人。人と会い始めると十分な予防ができなくなるので,もうなるようにしかならないのか…。

 

3か月以上に渡るウィルス対策にも皆疲れて(飽きて)きた頃ではあるからこそ,怖い。感染者がピークだった4月のつもりで,「うちは感染予防を徹底しています!」とアピールして,より一層気を引き締めていきたい。