ペーパークラフトや日本語などを教えるずっと前は,土曜学校で小学一年生を教えていた。国語の教科書(光村)に掲載されている「たぬきの糸車」を教える際に,作ったのがこの紙の家。うちにあったありあわせの材料なので,模型と呼べるほどのものではないが…。2008年に作ったものだと思う。
表戸と土間に続く裏口,障子は開閉できる。糸車はネジ等,工具箱から探したパーツで作製。

土曜学校の国語に関して驚いたのは,「読解=適当な想像」と思い込んでいる人が非常に多いということ!!「冬の間,たぬきの家族がここに住んでいてみんなで楽しく糸をつむいでいた」とか,「いたずらで壊した物も修理して心が優しい」というような解答にも丸(花丸とか!)をするとか…そのようなことは一言も記述されておらず,根拠すら読み取れないので明らかな誤答なのに,「素晴らしい想像力!」という講師の高評価。とにかく低学年対象ほどその傾向が強いと思われた。記述通りに正しく読み取ると,つまんない子と評されるのだろう。
話の世界に入り込めないのも残念である。「たぬきはどうやって家に入ったのだろうか」,「綿はどこから持って来たのか」,「そもそもたぬきが糸をつむげるわけない!」とか…。
朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で,「ひなたは映画村に就職しました」というナレーションと共に映画村の入り口に立つ主人公が映し出された。これに対して,「働いている人は通用門から入るのに,正門から入るのはおかしい」とか文句をつける人がいる。ナントまあ…笑うしかない。
ラジオから流れる時代ごとの流行歌に対しても,「あの年にもっと流行ったのは~という曲だから,そっちを使うべき」とか,「暑い夏に回転焼きは食べないからアイスを売ればいいのに」とか,もういろいろ。
それなら言わせてもらうが,主人公がおふろに入ったり歯磨きしたりする場面が一度もないから,おふろに入ったことも歯磨きをしたこともないのだと,私は思っていますけれど。
おふろと言えば…子どもの日記でありがちなのは,「おふろに入ってねました」で終わるもの。その日にしたことを全部忠実に書かなきゃならないと思い,軽重も何もあったもんじゃないわけで…。
まあ,何事もきっちりまんべんなくやるまじめな人にこの傾向は多いのかもしれないが,結果どうでもよいところにこだわり,ドラマや物語を理解し楽しめないのは残念なことである。文句を言うのが楽しいという人もいるだろうが…ほどほどで。