公立校が夏休みに入ってすぐに,高校でドイツ語を教えている友人が遊びに来た。彼女は,隔年で夏休み中にドイツ語クラスの生徒をドイツの短期留学に引率をしていて,今年はその年。現在,約1か月間のドイツ滞在中である。

 

欧米,とひとくくりに言ってもホームステイするわけだから,「(ジャンクフードなどアメリカの食べ物に慣れ切った高校生は)食べ物は大丈夫なのか」と聞いてみた。特に問題はないという答えだったが,「まず大皿から少し取ってひと口食べてみること」というアドバイスをしているという。その理由として話すのが,「その家族は豊かではなく,食べ物をたくさん買えないかもしれないから」というもの!う~ん…それでは,金持ちの家だったら残して捨ててもいいのかということになる。そういうことではなくて,と思うが…

 

しかし,これがアドバイスの限界なのである。

 

日本の小学校のように,皆が毎日同じものを食べる給食では育っていないのがアメリカの子ども達。様々な人種が混じっているので,宗教や信条,アレルギー,文化など配慮すべき点も多い。好き嫌いも多く,何を食べるかは個人の自由。日本の給食指導においては,栄養を考えて作られた食べ物に感謝して残さず食べるということが共通の価値観だ。だから,「貧しくて買えないかもしれないから,残して捨ててはいけない」という考えは,根本的にポイントがずれているのである。それに,人の家の経済状況を憐れむようで失礼な話。また,アメリカでは大勢の宴会でも皆違う物を注文するが,日本の場合は人と同じ物を食べなくてはならない状況が多いから,これは社会生活で必要なスキルとも言える。

 

野菜を全く食べない子どもがいようが,毎日フライドポテトを食べる家庭があろうが,それは家庭の責任ということ。教員が家庭でのことに必要以上に口を出したりすれば,トラブルのもとになるからねという話になった。う~ん…日本では,むしろ反対で「子どもが親の言うことを全く聞かないから,学校でしつけて欲しい」と言われることもあったけれどなぁ…。

 

うちの主人は,アメリカ人にしては大変珍しく,食べ物を残して捨てることに関しては非常に厳しい。私もそうだが,そういうしつけで育った。家庭でもレストランでも,出された料理を残して捨てたことがない。アメリカのレストランでは持ち帰りもできるのに,それでもほとんど手をつけないでテーブルを立つお客さんもいるのはいまだに信じられない。「お金を捨てていることと一緒だ」とか「持って帰れば一食分になるのに」,「食べ物がない人もたくさんいるのに感謝していない」とよく話す。

 

数年前に学校の教室で開かれたパーティで,うちの主人が食べ物を捨てている生徒を叱ったそうだ。食べ物を捨てても注意されないアメリカなので,それを見てひどく驚いた日本人の生徒さんが親に話して,それを聞いた方が私に伝えてくれた(It's a small world!)。食べ物を捨てることに対して指導も非難の目もなく,考えられないことだが「もったいない」という感覚がない人が多い。

 

前にも書いたが,知人から「残り物は食べるのか」聞かれたことがある。「タッパーに入れて冷蔵庫に保存しておき,翌日食べますが」とあったり前じゃないかと思って答えたが,残り物は一切食べない人たちもいるのである。食事終了後に,目の前でテーブルの食事の残りを全部ゴミ箱に捨てた家主もいた。パーティ終了時に「残り,持って帰る?」と聞かれて,既に少し頂いていたので遠慮して断るとゴミ箱に捨てようとしたので,「捨てるのなら頂きます」ともらって帰ったこともある。ゴミをもらったような感じがしないでもなかったが…。食べ物を粗末にしないという価値観がない場合,「貧しいからもらって帰る」と思われているのだろう。しかし,これまで見てきてわかったのが,ここでは貧富など関係なく食べ物を捨てているということ。

 

ポイントがずれていても,「貧しくて買えないかもしれないから残すな」と注意するのは,何の注意もしないよりはマシだろう。飽食の時代に「アフリカの難民が」とか,裕福な家庭の子どもに「物を大切に」と言っても理解されないから,「その家は貧しいかも」と想像させる方がわかりやすいのだろう…でも,わかりやすいからといって論点がずれたままでいいのか。電車で騒いでいる子どもに「人がジロジロ見るから静かにしなさい」と注意するようなもの。

 

人間関係がこじれるから,本当のことを言ってくれたり注意してくれたりする他人はめったにいない。長い目で見てその人のためによかれと思って言っても,怨まれこそすれ,感謝されることはないことも多いのが世の中。アドバイスには耳を傾け,自分自身もものごとの本質を知ることが大事だなとつくづく思う。