9月末で朝ドラがやっと終わった。“Owl and the Sparrow”というベトナム

映画(邦題:地球でいちばん幸せな場所)があるが,直訳すれば「フクロウとスズメ」。「梟町のすずめさん」はここからきているのかと思っていたが,どうなのだろう。

 

また,脚本家が自分の作品を自画自賛するのは,米大統領に代表されるように今日の風潮なのかもしれない。ノーベル賞受賞者のように本当に優れた人の態度を見れば,違いは明らか。

 

さて,この夏は,数年ぶりに水泳に通った。といっても,ちゃぷちゃぷと浮いたり歩いたりちょろっと泳いでみたりという程度。すっかり泳げなくなっていたけれど,だんだんマシになってきた。

 

日本で買った水着はかなり年季が入っていたので新調。

 

水着も日本と比べたらサイズも値段も実に様々!安いし(20ドル~),変なデザインでもアメリカだし水の中ならなおいいかと思える。100Kg超えそうなサイズだって普通に売ってあり,当たり前といえば当たり前なんだけど,みんな上着をはおったりせずに普通に(堂々と)泳いでいる。いいなあ…!

 

日本では,特大サイズの水着を見つけるのは困難だろう。あってもすごく高そうで種類もないだろうし,そもそも特大サイズの水着を着る勇気を持たせない風潮があるから。水着に限らず,大きいサイズは服がなかったし,あっても「大きいサイズ売り場」とデパートの奥の方に隔離されていたような…。特大サイズを着る人がいないから大きいサイズがないのか,それとも大きい衣類がないから太れないのか,まさに鶏が先か卵が先かである。

 

私は小学校の教員という職業柄夏は水着になって水泳指導をしていたので黙認されていたが(?),日本では基本的に体型に自信がある人しか水着にはなれなかった。「水着を買った」と話す時は,「若くもないしスタイルもよくないけど…」とか「~のために仕方なく買ったのよ」などと言い訳が必要だったり(見ればわかることを口に出すつらさったらないけれど,言わないとその場は落ち着かないし)。水着のハードルは本当に高かった。ここでは,三段腹の人でもパーティではへそ出しのセパレートドレスを着られるし,笑いものにする者もいない。体型を笑う人の方が無礼なのに,笑われる方の人が自分の体型を責め恥じるのっておかしくないか。プールで運動したいのは減量したり筋肉をつけたりして健康になりたいからだし,年配やオーバーウェイトの人こそ泳ぎたいと思う。第一,人間として水に入ることを純粋に楽しむべき!

 

夫とよく話すのは,日本は民主主義で自由だけど「精神的には自由になれない」ということ。様々な権利は保証されているものの,それをさせない空気がある。仮にやったとしても「あの人,あんな体型でよく水着になれるよね」とか「年齢を考えろ」等と噂話のタネになって,生きづらくなる。型にはめて人を評価することはラクかもしれないが,いずれ自分の首をも絞めることになるだろう。「ま,そういう人もいるでしょ」とか「みんな年は取るんだし」,「そういう考え方もあるんじゃない」で,さらっと見過ごして欲しい。

 

よく「お得な買い物」とか「5ドル損した」というように損得という言葉を使うけれど,本当の損得はこういったつまらない呪縛にとらわれてせっかくの機会を逃すことだと思う。日本人らしさはよい人間関係を保つ上等で大事だけれど,「恥ずかしくないのか」とは思わずに自由でありたい。第一,誰も私の水着姿は気にしてないのだから!