オバマ大統領の広島の被爆地訪問が実現した。テレビでの映像を涙ながらに見たアメリカ在住の日本人も多かったろうと思う。
うちの主人は日本に行く度,他のどこでもなく長崎の原爆資料館・平和公園に行きたいと言う。これまでに4回訪問しているので,日本での在住経験が一度もないアメリカ人にしては多いだろう。
日本語は全くといっていいほどわからない主人だけれど,資料館で開かれた吉永小百合さんの原爆詩の朗読会にも一緒に参加した。これは,夏休みの親子連れ対象のプログラムであったが,お願いして参加させて頂いた。
主人は,長崎の原爆被害者に思いを寄せた詩も作っている。軍隊や政府に関係があるわけでもなく,身内を戦争で失ったというわけではない。ただ,平和を強く望んでいるいちアメリカ人だ。
私が初めて長崎の原爆資料館を訪れたのは,小学4年の社会科見学であった。県内の小中学校では,毎年8月9日の登校日には平和祈念集会を行うが,生々しい資料を目にするのは初めてだった。焼けただれた体の映像や真っ黒に焦げた弁当箱など,見るものすべてが恐ろしかった。
子どもの頃の住まいは,お風呂・トイレが屋外にあったため,夜には必ず母について来てもらっていた。戦争が起きてみんな死んだらどうしようと,夜になると誰にも知られないように泣いたりもした。ただ,「原爆資料館で見たものが怖い」というのは決して言ってはならないと感じていた。
世界平和のために何ができるか,これからも考えていかねばと思う。
うちの主人は日本に行く度,他のどこでもなく長崎の原爆資料館・平和公園に行きたいと言う。これまでに4回訪問しているので,日本での在住経験が一度もないアメリカ人にしては多いだろう。
日本語は全くといっていいほどわからない主人だけれど,資料館で開かれた吉永小百合さんの原爆詩の朗読会にも一緒に参加した。これは,夏休みの親子連れ対象のプログラムであったが,お願いして参加させて頂いた。
主人は,長崎の原爆被害者に思いを寄せた詩も作っている。軍隊や政府に関係があるわけでもなく,身内を戦争で失ったというわけではない。ただ,平和を強く望んでいるいちアメリカ人だ。
私が初めて長崎の原爆資料館を訪れたのは,小学4年の社会科見学であった。県内の小中学校では,毎年8月9日の登校日には平和祈念集会を行うが,生々しい資料を目にするのは初めてだった。焼けただれた体の映像や真っ黒に焦げた弁当箱など,見るものすべてが恐ろしかった。
子どもの頃の住まいは,お風呂・トイレが屋外にあったため,夜には必ず母について来てもらっていた。戦争が起きてみんな死んだらどうしようと,夜になると誰にも知られないように泣いたりもした。ただ,「原爆資料館で見たものが怖い」というのは決して言ってはならないと感じていた。
世界平和のために何ができるか,これからも考えていかねばと思う。