「貸して」,「見せて」,「教えて」,「コピーして」,「買ってきて」,「ちょうだい」…仕事上ではもちろん構わないが,5年前ほど前までアメリカ生活においてよく言われてきた言葉である。
絶対に断ることをせず,あまり気が進まなくても応じていたら…結果,膨大な時間も費やすことになり,心身共に疲れ果ててしまった。
「助けなくてその人が失敗したら私のせいだ」という責任感もある。「無能だと思われたくない」,「いい人に見られたい」,「自分は必要とされている」,「他からの評価を恐れている」という自信のなさからであることもわかってはいたが,それでも一切断らなかった。うちの両親が全くそうなので,これは育ち方の面もあるといえるが,自分自身の問題。
ある知人(2時間仕事で一緒だった)は,一時帰国する3日前から3日連続で長電話をかけてきて,毎日「あれを買ってきて」,「これもお願い」とかさばる物や専門店で買うような物をどっさり注文。短い日本の滞在期間中に,頼まれた買い物に貴重な時間&日本円を費やすことになった。私も日本の家族に運転してもらいながら,なるべく値段の安い店を探して回ったのだから自業自得。
別の方は,私が数年かけ苦労して作った折り紙の折り図のA3サイズのファイル2冊(50種類程度?)を「貸して。娘と作るから」と言って借りて行かれた。手作りの立体折り図を借りるという唐突の依頼に驚き,Noが言えなかった…。原本しか存在しないオリジナルを借してと言うのは,今もって全く理解できない。
また,ある方は「来月から月2回,お宅にクラフトをしに行きます。材料は買って行くので教えてもらうというわけではなく一緒にするということですから,クラス費は払いません」と自分勝手な決定を報告してこられた。しかも,その方はクラフト経験ゼロで道具も何も持っていないのだ。年上で社会的立場も上であった方なので,そのように強引だったのか…。
2,3回会っただけの方は,自分の愚痴を聞いてもらうためにうちに来て,夜中の2時半まで滞在された。帰宅間際には,「パソコン貸して。メールをチェックするから」と仕事部屋にまで入れることに。主人も寝るわけにはいかず,二人とも翌日はぐったりだった。
…このようなことはしょっちゅうで,かなりのストレスになり限界を超えた。私は渡米して数年の頃であったが,皆在米10~30年という方々ばかり。
別に見返りは期待しないが,このような方々からはお願いに応えても何のお礼も,代わりに何かしてあげようという申し出も一切ない。ただ,一生懸命に応えれば応えるほど,一方的に要求が大きくなっていった。
生まれ育った環境を離れ海外で暮らせば,実に様々な人に会う。聞いたり頼んだりする人が非常に多いのは仕方がないことだ。日本から離れた日本人どうしが会えば,聞いたり聞かれたりの連続。ポットラック・パーティ(食べ物の持ち寄り会)などをすれば,必ず「そのレシピ,教えて」と言われるだろう。
しかし!全て教えなくていい!教えてと気軽に頼む方もどうかと思うが,やはり本当にいいレシピにたどり着くには皆それぞれ試行錯誤しているはず。料理教室に行って時間もお金もかけて作ったものもあるし,ファミリー・レシピ(母から習った家庭の味)もあろう。断る方も断られた方も,何となく気まずくなると思うが,それはそれで仕方がない。
私は料理は不得意だが,それでもレシピを聞かれることはよくある。必ず聞かれるのが「レモン・ムース」なので,英語に訳したレシピを何枚もコピーしている。日本人以外の方のためには,寿司類・コロッケ・照り焼きチキン・茶わん蒸しなどのレシピを英語訳している。ポットラックに行く時は,レシピのコピーや使った食品が入っていたパッケージなどを持って行き,希望者に差し上げる。
しかし,差し上げない(教えられない)レシピもいくつか存在する。レシピとして本に載っておらず,見て目分量で覚えたものも多い。これについては理解して欲しいし,同様に人様の大事なレシピも無理やり聞こうとは思わない。断り方は,「これは母から習った大事なファミリー・レシピだから,ごめんね」だ。罪悪感などは感じなくてもよい。断られた方も,ケチだと思うのではなく,察するべき。食べさせてもらったことに感謝し,相手を尊重するということ。
あるアメリカ人宅のパーティでおいしい手作りサラダが出た。一緒に行ったアメリカ人が,年下の彼女にそれはもう何度もしつこくレシピを教えてと言っており,最後には“You should tell me the recipe! ”と脅迫に近い語調…気まずい雰囲気が漂っていて非常に見苦しかった。ホストを脅迫するゲスト…何なんでしょうか。
逆に「貸して」や「教えて」と言わない人には,貸したり教えたくなるのもまた人というもの。礼儀正しく相手を尊重してくれる方は,周りもそう接する。「聞きたいのに,遠慮されているのかな?」と感じれば,「教えましょうか?」と申し出たくなるものだ。これは,かけひきではなく,信頼ある人間関係の構築。
助け合うことはもちろん必要であり,いろいろな手助けはしてきたつもりだが,何事にも限界はある。人間関係はGive & Take,持ちつ持たれつの対等であるべきだ。今は他人からの評価を恐れずに,それはできませんと(かなり)言えるようになった。冷たく接するのではなく,「既に私は~と~と~をあなたのためにしたから,私ができるのはここまでです」と制限を示したり,「それは~というサイトや店で購入できますよ」とヒントを与えたり,「そこは自分でやってこそ力になるもの」と努力を促したりするということ。
「~はどこで買えるか」等ではなく「~のやり方」のような質問はすぐに人に聞くのではなく,まずは自分で調べるのが当然。「わからないことは聞けばいい」というのはその通りだが,「自分で調べたり考えたりした後で」という条件つきなのである。
「旅の恥はかき捨て」と言うが,外国居住者もその延長線上にあるのかもしれない。「頼んでダメならそれでいいけれど,頼んでみよう」とか「言った者勝ち」等という開き直った感覚なのだろう。「外国に住んでいる人は細かなことは気にしない」という勘違いや,「長く住んでいる人は,居住年数の短い人に何でも教えるべき」と思い込みたい人もいるであろうが,それは違う。相手あってのことであり,自分は「教えて」のひとことで済むが,相手は時間や労力を費やすことになるということを考えるべき。そして,内容によっては自分の印象が悪くなることもあると心に留めておかねばならないと思う。
相手を尊重しているかどうかに尽きる。
簡単に手に入ったものごとには愛着も沸かず,苦労知らずでは本人のためにもならないと思う。
絶対に断ることをせず,あまり気が進まなくても応じていたら…結果,膨大な時間も費やすことになり,心身共に疲れ果ててしまった。
「助けなくてその人が失敗したら私のせいだ」という責任感もある。「無能だと思われたくない」,「いい人に見られたい」,「自分は必要とされている」,「他からの評価を恐れている」という自信のなさからであることもわかってはいたが,それでも一切断らなかった。うちの両親が全くそうなので,これは育ち方の面もあるといえるが,自分自身の問題。
ある知人(2時間仕事で一緒だった)は,一時帰国する3日前から3日連続で長電話をかけてきて,毎日「あれを買ってきて」,「これもお願い」とかさばる物や専門店で買うような物をどっさり注文。短い日本の滞在期間中に,頼まれた買い物に貴重な時間&日本円を費やすことになった。私も日本の家族に運転してもらいながら,なるべく値段の安い店を探して回ったのだから自業自得。
別の方は,私が数年かけ苦労して作った折り紙の折り図のA3サイズのファイル2冊(50種類程度?)を「貸して。娘と作るから」と言って借りて行かれた。手作りの立体折り図を借りるという唐突の依頼に驚き,Noが言えなかった…。原本しか存在しないオリジナルを借してと言うのは,今もって全く理解できない。
また,ある方は「来月から月2回,お宅にクラフトをしに行きます。材料は買って行くので教えてもらうというわけではなく一緒にするということですから,クラス費は払いません」と自分勝手な決定を報告してこられた。しかも,その方はクラフト経験ゼロで道具も何も持っていないのだ。年上で社会的立場も上であった方なので,そのように強引だったのか…。
2,3回会っただけの方は,自分の愚痴を聞いてもらうためにうちに来て,夜中の2時半まで滞在された。帰宅間際には,「パソコン貸して。メールをチェックするから」と仕事部屋にまで入れることに。主人も寝るわけにはいかず,二人とも翌日はぐったりだった。
…このようなことはしょっちゅうで,かなりのストレスになり限界を超えた。私は渡米して数年の頃であったが,皆在米10~30年という方々ばかり。
別に見返りは期待しないが,このような方々からはお願いに応えても何のお礼も,代わりに何かしてあげようという申し出も一切ない。ただ,一生懸命に応えれば応えるほど,一方的に要求が大きくなっていった。
生まれ育った環境を離れ海外で暮らせば,実に様々な人に会う。聞いたり頼んだりする人が非常に多いのは仕方がないことだ。日本から離れた日本人どうしが会えば,聞いたり聞かれたりの連続。ポットラック・パーティ(食べ物の持ち寄り会)などをすれば,必ず「そのレシピ,教えて」と言われるだろう。
しかし!全て教えなくていい!教えてと気軽に頼む方もどうかと思うが,やはり本当にいいレシピにたどり着くには皆それぞれ試行錯誤しているはず。料理教室に行って時間もお金もかけて作ったものもあるし,ファミリー・レシピ(母から習った家庭の味)もあろう。断る方も断られた方も,何となく気まずくなると思うが,それはそれで仕方がない。
私は料理は不得意だが,それでもレシピを聞かれることはよくある。必ず聞かれるのが「レモン・ムース」なので,英語に訳したレシピを何枚もコピーしている。日本人以外の方のためには,寿司類・コロッケ・照り焼きチキン・茶わん蒸しなどのレシピを英語訳している。ポットラックに行く時は,レシピのコピーや使った食品が入っていたパッケージなどを持って行き,希望者に差し上げる。
しかし,差し上げない(教えられない)レシピもいくつか存在する。レシピとして本に載っておらず,見て目分量で覚えたものも多い。これについては理解して欲しいし,同様に人様の大事なレシピも無理やり聞こうとは思わない。断り方は,「これは母から習った大事なファミリー・レシピだから,ごめんね」だ。罪悪感などは感じなくてもよい。断られた方も,ケチだと思うのではなく,察するべき。食べさせてもらったことに感謝し,相手を尊重するということ。
あるアメリカ人宅のパーティでおいしい手作りサラダが出た。一緒に行ったアメリカ人が,年下の彼女にそれはもう何度もしつこくレシピを教えてと言っており,最後には“You should tell me the recipe! ”と脅迫に近い語調…気まずい雰囲気が漂っていて非常に見苦しかった。ホストを脅迫するゲスト…何なんでしょうか。
逆に「貸して」や「教えて」と言わない人には,貸したり教えたくなるのもまた人というもの。礼儀正しく相手を尊重してくれる方は,周りもそう接する。「聞きたいのに,遠慮されているのかな?」と感じれば,「教えましょうか?」と申し出たくなるものだ。これは,かけひきではなく,信頼ある人間関係の構築。
助け合うことはもちろん必要であり,いろいろな手助けはしてきたつもりだが,何事にも限界はある。人間関係はGive & Take,持ちつ持たれつの対等であるべきだ。今は他人からの評価を恐れずに,それはできませんと(かなり)言えるようになった。冷たく接するのではなく,「既に私は~と~と~をあなたのためにしたから,私ができるのはここまでです」と制限を示したり,「それは~というサイトや店で購入できますよ」とヒントを与えたり,「そこは自分でやってこそ力になるもの」と努力を促したりするということ。
「~はどこで買えるか」等ではなく「~のやり方」のような質問はすぐに人に聞くのではなく,まずは自分で調べるのが当然。「わからないことは聞けばいい」というのはその通りだが,「自分で調べたり考えたりした後で」という条件つきなのである。
「旅の恥はかき捨て」と言うが,外国居住者もその延長線上にあるのかもしれない。「頼んでダメならそれでいいけれど,頼んでみよう」とか「言った者勝ち」等という開き直った感覚なのだろう。「外国に住んでいる人は細かなことは気にしない」という勘違いや,「長く住んでいる人は,居住年数の短い人に何でも教えるべき」と思い込みたい人もいるであろうが,それは違う。相手あってのことであり,自分は「教えて」のひとことで済むが,相手は時間や労力を費やすことになるということを考えるべき。そして,内容によっては自分の印象が悪くなることもあると心に留めておかねばならないと思う。
相手を尊重しているかどうかに尽きる。
簡単に手に入ったものごとには愛着も沸かず,苦労知らずでは本人のためにもならないと思う。