小さいお子さん3人のいる中国人の友人宅に,旧正月のお祝いに行った時のこと。別の中国人の友人が,ファストフード店でおまけにもらったという紙製の工作を子どもにあげる時に言った言葉です。
「こんなもので」は,「つまらないものですみません」という意味でしょう。
それは,幅4㎝程度の細長い紙片を約直径6㎝の輪にしたものをベースにし,ところどころ窓のように切り抜いてあります。さらに外の紙に添って,人の絵が描かれた紙片が内側にもう1枚入れてあります。内側の絵を回すと,外の窓からは人が動いているように見える「動画の原点」のようなおもちゃ。
友人に「いいえ,そういうものがいいんですよ!」と横から言うと,びっくりされました。
お金がかかっていないもの・自然のもの・見た目が華やかでないものには,価値がないと思うのでしょうか…もちろん,子どもの親に対してへりくだった言い方をされたともいえます。
最近は,子どものおもちゃも電子化してボタンを押せば音や光が出るのは当たり前。誕生日会などでは,コンピューター仕様のおもちゃばかりで似たようなものがずらり。
大人が「こんなもの」と言えば,子どもも同じような価値観を持ちます。自分で考える力がつく前に,そういう親のマイナスの価値観が刷り込まれてしまうので非常に危険です。
紅葉があまりにもきれいだからと,カラーコピーに取って嬉しそうにしている大人のアメリカ人がいました。子どもに「葉っぱなんか家に持ち込まないで捨てなさい」と言うのと,「きれいな葉っぱね。押し葉にしてしおりにしてみようか」や「この葉っぱにはどんな色があるかな?」と声をかけるのでは,子どもは全く違う考えを持つようになるでしょう。例え口に出さなくても,子どもにも大人が考えていることはわかります。
大人の趣味や思考は子どもの頃のものとは全く別物ではなく,すべて基本は子どもの頃にあります。職業に直接結びついたり,生きる意味にもなったりします。
幼稚園や学校でクレパスを使って絵を描き始め,やがて水彩画やアクリル画を学び,大人になって油絵を趣味にする。学校の宿題で書いた物語をほめられたことで,小説家を志す。本が大好きで図書館司書になる。小学校で育てたミニトマトの体験を思い出し,大人になってからいろいろな野菜を育ててみるなど,挙げればきりがない。
シンプルな作りの紙工作を見て,仕組みはどうなっているのか考える。そして自分でも作ってみて,やがてより複雑なものを作るようになります。最初から電子のおもちゃを見せても,仕組みはどうなっているのか考える幼児はまずいないでしょう。分解なんかしたら親に叱られるのが関の山ですしね。
便利なおもちゃとといいますか,使い方が決まっているものは,画用紙や粘土,積木に取って変わるものではありません。道具の「使い方」は覚えるでしょうが,想像力や思考力は養われないだろうと思います。携帯電話やカメラの使い方を覚えた子どもを賢いというかもしれませんが,使い方はあくまで使い方であり,手順に添えばいずれ誰でもできるものです。子どもにとっては,ゲーム機の延長なのでしょう。
私はゲームは全くしたこともなくしたいとも思ったこともないのですが,それは「設定されたゴールに向かってやらされている感じ」がするから。ゲーム内でも1つのクリア方法ではなくバリエーションもあるのでしょうが,それでもやはりゲーム製作者の意図する中から出ることはないと思います。
ちなみに,うちではどんな小さな子どもの誕生日会でも,プレゼントはギフトカードなどの金銭類です。贈り物を開ける時の華やかさはありませんし,幼児に喜びは伝わりにくいのですが,やはり親と相談して賢く使って欲しいからです。
アメリカは返品大国なので,電子おもちゃの大半は翌日店に返品・交換されるのですからね…。
さらに言うと,当たり前ですが子どものおもちゃには自然色はなく,同じようなカラフルなものばかりです。幼児の好む色だからですが,自然物を描く際は原色をそのまま使うことはありません。子どもの頃には,自然の色の美しさにたくさん触れて欲しいと思います。
物が豊かにあるからといって,人間の能力が豊かになっているわけではありません。お金をかけた習い事をしなくても,有名な先生につかなくても,心情豊かでたくましい子に育てることができると思います。
「こんなもので」は,「つまらないものですみません」という意味でしょう。
それは,幅4㎝程度の細長い紙片を約直径6㎝の輪にしたものをベースにし,ところどころ窓のように切り抜いてあります。さらに外の紙に添って,人の絵が描かれた紙片が内側にもう1枚入れてあります。内側の絵を回すと,外の窓からは人が動いているように見える「動画の原点」のようなおもちゃ。
友人に「いいえ,そういうものがいいんですよ!」と横から言うと,びっくりされました。
お金がかかっていないもの・自然のもの・見た目が華やかでないものには,価値がないと思うのでしょうか…もちろん,子どもの親に対してへりくだった言い方をされたともいえます。
最近は,子どものおもちゃも電子化してボタンを押せば音や光が出るのは当たり前。誕生日会などでは,コンピューター仕様のおもちゃばかりで似たようなものがずらり。
大人が「こんなもの」と言えば,子どもも同じような価値観を持ちます。自分で考える力がつく前に,そういう親のマイナスの価値観が刷り込まれてしまうので非常に危険です。
紅葉があまりにもきれいだからと,カラーコピーに取って嬉しそうにしている大人のアメリカ人がいました。子どもに「葉っぱなんか家に持ち込まないで捨てなさい」と言うのと,「きれいな葉っぱね。押し葉にしてしおりにしてみようか」や「この葉っぱにはどんな色があるかな?」と声をかけるのでは,子どもは全く違う考えを持つようになるでしょう。例え口に出さなくても,子どもにも大人が考えていることはわかります。
大人の趣味や思考は子どもの頃のものとは全く別物ではなく,すべて基本は子どもの頃にあります。職業に直接結びついたり,生きる意味にもなったりします。
幼稚園や学校でクレパスを使って絵を描き始め,やがて水彩画やアクリル画を学び,大人になって油絵を趣味にする。学校の宿題で書いた物語をほめられたことで,小説家を志す。本が大好きで図書館司書になる。小学校で育てたミニトマトの体験を思い出し,大人になってからいろいろな野菜を育ててみるなど,挙げればきりがない。
シンプルな作りの紙工作を見て,仕組みはどうなっているのか考える。そして自分でも作ってみて,やがてより複雑なものを作るようになります。最初から電子のおもちゃを見せても,仕組みはどうなっているのか考える幼児はまずいないでしょう。分解なんかしたら親に叱られるのが関の山ですしね。
便利なおもちゃとといいますか,使い方が決まっているものは,画用紙や粘土,積木に取って変わるものではありません。道具の「使い方」は覚えるでしょうが,想像力や思考力は養われないだろうと思います。携帯電話やカメラの使い方を覚えた子どもを賢いというかもしれませんが,使い方はあくまで使い方であり,手順に添えばいずれ誰でもできるものです。子どもにとっては,ゲーム機の延長なのでしょう。
私はゲームは全くしたこともなくしたいとも思ったこともないのですが,それは「設定されたゴールに向かってやらされている感じ」がするから。ゲーム内でも1つのクリア方法ではなくバリエーションもあるのでしょうが,それでもやはりゲーム製作者の意図する中から出ることはないと思います。
ちなみに,うちではどんな小さな子どもの誕生日会でも,プレゼントはギフトカードなどの金銭類です。贈り物を開ける時の華やかさはありませんし,幼児に喜びは伝わりにくいのですが,やはり親と相談して賢く使って欲しいからです。
アメリカは返品大国なので,電子おもちゃの大半は翌日店に返品・交換されるのですからね…。
さらに言うと,当たり前ですが子どものおもちゃには自然色はなく,同じようなカラフルなものばかりです。幼児の好む色だからですが,自然物を描く際は原色をそのまま使うことはありません。子どもの頃には,自然の色の美しさにたくさん触れて欲しいと思います。
物が豊かにあるからといって,人間の能力が豊かになっているわけではありません。お金をかけた習い事をしなくても,有名な先生につかなくても,心情豊かでたくましい子に育てることができると思います。