日本では,杭のデータ改ざんによるマンションの傾きや,医師によるやせ薬の違法販売など人間の命に関わる許しがたい事件が起きている。どちらも「他人の命よりも金儲けが優先」で,自己の利益しか考えていない点が共通している。
資本主義社会で利益だけを追求し続ければ,建物や車,食品偽造は今後も後を絶たないだろう。
アメリカに住み始めて実に様々な価値観があることを知り,よく考えるようになった。
例えば家族で遊園地に行き,子どもにジェットコースターと観覧車(どちらも600円)のどちらかを選んで乗せるとする。子どもはジェットコースターに乗りたいと言うが,「ジェットコースターはあっという間に終わってもったいないから,観覧車に乗りなさい」と言う母親がいたとする。1分当たりにかかる料金を計算しての助言(?)だが,乗る本人にとってはそのようなことはどうでもいいこと!得かどうかよりも好きなものに乗りたいだけなのに。その方が満足するのに。
これと同じようなことが実は身近でよく起こっている。レストランで食べるものや塾の費用などいろいろ。経済的に困窮している場合でなくても,ものごとの質や好みではなく料金だけで判断してしまうのだ。
友人・知人がレストランを経営(またはフランチャイズのオーナー)していると,よく飲食代は要らないからと言って下さる。
ある知人のレストランについて数名の方々に話している際に,「知人であることがわかると御代は要らないと言われて…」と話したら全員に「それはラッキー!」と言われ,ちょっと戸惑った。
知人らには「いえ,『あなたはそれで生活をしている(to make a living by~)わけですから,気持ちだけありがたく受け取ります。もちろん,払います』と言って断ったんですよ」と続けたところ,シーンとなってしまった…。
同じ話を父にしたら,「そいはできん(それはできない)!」だった。ちゃんと払ったと話すと「当たり前だ」と言われた。
友人・知人のレストランに行くのは,無料で食べたいからではなく,お客として経営を応援したい(to encourage)からであり,その人に会いたいから。50ドル近い金額を払わなくてよいと言ってくれる,その気持ちには50ドル以上の価値がある。
また,本を出版した友人・知人から「1冊差し上げます」と頂くことがある。好意は有難く受け取り,感想を書いたお礼状や郷土の特産品等を送る。さらに1冊別に購入し,またプレゼント用にも買うことも。そうして,一時帰国した際に購入した2冊をミシガンの土曜学校の図書室に寄付したこともある。
私は本は書いたことがないが,主人が執筆しているのを見るとどれだけ大変なことかが想像できる。苦心して書き上げた本を,私ごときに送って下さる…それを考えると感謝の気持ちでいっぱいになり,少しでも宣伝や販売の手伝いができればと願う。
うちの実家はミカンを栽培しているが,親戚などにあげる時は必ず売り物の上質のミカンだ。たくさんあるから一箱くらい大したものではないだろう,と思う人もいるかもしれない。ミカンはものすごく手間がかかり,苛酷で重労働。天候に左右されるし,剪定・駆除・摘果・マルチ・草刈りなど,年がら年中忙しい。何より上質のミカンを箱に詰めて故郷の味を送ってくれるというその気持ちに,まず感謝すべきだ。
「価値観のものさしは,損得勘定ではいけない」。
得な方だけを選べば経済的には豊かになるかもしれないが,自己中心的で心が貧しくなるだろう。うちの両親や主人は,目先の利益ではなく人としてどうあるべきかを導き教えてくれる。支払うべき代金はすぐに払い,頂きものをしたらすぐにお礼の電話やカードを贈る。そして,自分のぜいたくはせず,相手を思いやり困っている人に手を差し伸べる。
プロとして働いている方が働きやすくいい仕事ができるよう,尊敬の念を持ち,よい関係を築きたいと思っている。
資本主義社会で利益だけを追求し続ければ,建物や車,食品偽造は今後も後を絶たないだろう。
アメリカに住み始めて実に様々な価値観があることを知り,よく考えるようになった。
例えば家族で遊園地に行き,子どもにジェットコースターと観覧車(どちらも600円)のどちらかを選んで乗せるとする。子どもはジェットコースターに乗りたいと言うが,「ジェットコースターはあっという間に終わってもったいないから,観覧車に乗りなさい」と言う母親がいたとする。1分当たりにかかる料金を計算しての助言(?)だが,乗る本人にとってはそのようなことはどうでもいいこと!得かどうかよりも好きなものに乗りたいだけなのに。その方が満足するのに。
これと同じようなことが実は身近でよく起こっている。レストランで食べるものや塾の費用などいろいろ。経済的に困窮している場合でなくても,ものごとの質や好みではなく料金だけで判断してしまうのだ。
友人・知人がレストランを経営(またはフランチャイズのオーナー)していると,よく飲食代は要らないからと言って下さる。
ある知人のレストランについて数名の方々に話している際に,「知人であることがわかると御代は要らないと言われて…」と話したら全員に「それはラッキー!」と言われ,ちょっと戸惑った。
知人らには「いえ,『あなたはそれで生活をしている(to make a living by~)わけですから,気持ちだけありがたく受け取ります。もちろん,払います』と言って断ったんですよ」と続けたところ,シーンとなってしまった…。
同じ話を父にしたら,「そいはできん(それはできない)!」だった。ちゃんと払ったと話すと「当たり前だ」と言われた。
友人・知人のレストランに行くのは,無料で食べたいからではなく,お客として経営を応援したい(to encourage)からであり,その人に会いたいから。50ドル近い金額を払わなくてよいと言ってくれる,その気持ちには50ドル以上の価値がある。
また,本を出版した友人・知人から「1冊差し上げます」と頂くことがある。好意は有難く受け取り,感想を書いたお礼状や郷土の特産品等を送る。さらに1冊別に購入し,またプレゼント用にも買うことも。そうして,一時帰国した際に購入した2冊をミシガンの土曜学校の図書室に寄付したこともある。
私は本は書いたことがないが,主人が執筆しているのを見るとどれだけ大変なことかが想像できる。苦心して書き上げた本を,私ごときに送って下さる…それを考えると感謝の気持ちでいっぱいになり,少しでも宣伝や販売の手伝いができればと願う。
うちの実家はミカンを栽培しているが,親戚などにあげる時は必ず売り物の上質のミカンだ。たくさんあるから一箱くらい大したものではないだろう,と思う人もいるかもしれない。ミカンはものすごく手間がかかり,苛酷で重労働。天候に左右されるし,剪定・駆除・摘果・マルチ・草刈りなど,年がら年中忙しい。何より上質のミカンを箱に詰めて故郷の味を送ってくれるというその気持ちに,まず感謝すべきだ。
「価値観のものさしは,損得勘定ではいけない」。
得な方だけを選べば経済的には豊かになるかもしれないが,自己中心的で心が貧しくなるだろう。うちの両親や主人は,目先の利益ではなく人としてどうあるべきかを導き教えてくれる。支払うべき代金はすぐに払い,頂きものをしたらすぐにお礼の電話やカードを贈る。そして,自分のぜいたくはせず,相手を思いやり困っている人に手を差し伸べる。
プロとして働いている方が働きやすくいい仕事ができるよう,尊敬の念を持ち,よい関係を築きたいと思っている。