日本で購入してきたシリーズ小説8巻をある方・Aさんに貸しました。次に会った時に,彼女は「あの本すごくおもしろかった!今,友人のBさんに貸しているから」とさらっと言われたのです。

…つまり,また貸しです。

あまりの常識はずれなことに唖然として返す言葉もなく,その日はモヤモヤしながらも何も言わずに別れました。

主人に,これは自分なりにどう解釈し納得したらいいのか相談してみました。また貸しは,民法にも触れるし,もちろんアメリカでも非常識な行為。やはり今後付き合いを継続させるだろうということも考えて,その日にメールでやんわりと伝えました。

彼女は激怒。「Bさんはあなただって知っている人でしょう」というのが彼女の反論ポイントでした。逆に「心の狭い人」と責められ,絶交するという勢いです。本を8冊貸したのに,心の狭い人と言われるとは…。

確かに,Aさんと一緒にBさんにも一度だけ会ったことがある。しかし,親しくはならず知人というだけでその後一度も会わなかった。

そもそもBさんを知っているかどうかではなく,「他の人に貸したいなら,ひと言声をかけてくれればよかったのに」が問題なのですが,全く通じないのです。

…いろいろな考え方があることをつくづく知りました。

日本で,ある人に「本などの物を貸す時は,あげるつもりで貸すべきだ」と言われました。この人は物をなくしやすいタイプで自己弁護にも聞こえましたが,それは一理あるとも思う。

「売る」のではなく「(好意で)貸す」行為の際,双方の間には「金銭」ではなく「信用&感謝」がやり取りされています。よって,物を渡した時点で関係(取引)は終了しない。

何故私がこの本を捨てずに持っているか,わざわざ日本から8冊も持って来たか,友人にも読んで欲しいと思っているか…そういうのを想像すれば必然的に大事にしようと思うはず。

その人の物を粗末に扱うということは,その人自身を粗末に扱うことと同じです。

私は,借りた本には包装紙で書店の人がやるようにカバーをつけてから読みます。見た目にはきれいでも皮脂などもつくから手を洗って,もちろん飲食物などはシャットアウト。返す時は,裸で借りていれば別の袋に入れるなどして,裸のままでは返しません。図書館に行く際も,入れる袋を持って行きます。

逆に,人に本を貸す場合は,汚れても濡れても破れても折り曲がっても,それは気にしません。本は紙なので,そうなるのは仕方のないことだし,貸すという時点でどう扱われるかもその人にゆだねているからです。読む側にとっても細かなことまで気にしていたら,緊張して本の中身に集中できたものではないから。

しかし,また貸しというのは意図的に信用を裏切る行為です。「うっかり汚してしまった,ごめんね」とは全く訳が違う。

AさんはBさんを信用しているから,私に黙ってまた貸ししたのでしょう。Bさんが本を紛失した場合,Aさんの責任になるいう覚悟があったか。私に悪びれずにさらっと言う辺り,そこまで考えていたとは思いにくい。「私がAさんを信用していた」ということは考えていたのでしょうか…。

日本の書物が簡単に入手できないアメリカでの生活において,日本人どうしで本の貸し借りはよくあるでしょう。せっかくの好意で人間関係が壊れるのは,本当に残念なこと。

常に相手の立場を想像し思いやり,自分の価値観だけではものごとを見てはいけないと肝に銘じます。