日本で小学校に勤務していた時,偶然にも2年連続(2001年・2002年)で3年生の男児の帰国子女を受け持ったことがある。当時の3年生は3,4クラスあったが,学級の人数から私のクラスに入ることになったのである。
T君はイギリスのウェールズ,H君はアメリカのサンディエゴでそれぞれ5~8年ほど滞在していたそうだ。そして,平日は現地校に通い,土曜日は日本人学校に通っていたという。
私はたまたま前の年(2000年)に出張でアメリカの土曜学校を視察する機会があり,その時にそのような学校の存在や実態について知った。
どちらも高学年に兄がいたため,編入前の8月末には保護者と兄の担任を交えて話し合う時間を設け,協力体制なども確認した。
2人とも学力的には問題はなく,性格も明るい。クラスの子も親切にしているし,学級になじんでいるかのように見えた1か月後,どちらも学校に来ることができなくなってしまったのだ。これといった大きな理由はなく,原因は環境不適応と考えられた。お母さんは,ご主人はまだどちらも海外に赴任中であり,泣く子どもをどうしていいかわからず一人で困り果てていた。母親だって,数年ぶりの環境に適応しきれないでいるのだから。
T君の場合は,毎朝教頭と交代で車で家まで迎えに行った。朝出勤してから,「今日は私が行きます。1時間目は専科の先生の授業なので大丈夫です」等と確認し合った。1か月ほど続いたろうか。T君は自ら登校できるようになり,高学年では児童会など学校のリーダー的存在になった。その教頭は,子どもや保護者,担任である私を責めることは一切なく,ただ笑顔で「Tくーん,元気ねー?」と話しかけてくれた。本当に頭が下がる,立派な教頭だった。
翌年のH君については,日曜日に英会話学校で開かれたハロウィンパーティに誘った。お兄ちゃんも一緒だ。うちのクラスの子どもたちも何人か来てくれて,学校を離れてゲームをしたりアメリカのお菓子を食べたりしながら,楽しく過ごした。私にアメリカ滞在という経験があったことから,「こういうアメリカの話はみんな喜ぶし知りたいから,クラスでしてみようよ」という提案もできた。そうやって,少しずつ心を開いて環境に慣れていった。2年後に算数の専門教員として,再び教室に行くようになってからは,「そういえば,あんなこともあったなあ」となつかしく一人思ったものだ。
もし学習の遅れがあったら…適応は難しかったと思う。アメリカで,「日本語は家庭で毎日話すから大丈夫」,「漢字はちゃんと教えるからまずは英語ペラペラに」という考え方もあろう。もちろん,漢字や土曜学校の学習だけでは不十分なのだが,日本の環境(生活・学校)に慣れるにはかなりストレスがかかる。これに,学習の遅れが加われば,親子ともにどれだけのストレスと負担になるだろうか…。劣等感に加え,何故日本の学校の勉強をしなかったのかという後悔や親への恨みも出てくるだろう。精神的に不安定な状況で,学習が身につくか。
帰国後最初の1か月間は,新しいことへの興奮と「がんばらなければ」というプレッシャーなどから登校できる。しかし,その後,精神的な負担が一気にドッと押し寄せてくるのだ。5月病に似ている。子どもは慣れるのは早いというが,そんなに簡単なものではない。毎日緊張しているから疲れがたまり,親の期待を裏切っている自分を責める子どもの姿…。
うちの主人は,Walled Lake(ウォールドレイク)学校区で長年ESLのコーディネーターをしていた。土曜学校のニュースレターにも,日本人保護者対象にアドバイスを書いたこともある。日本に帰国する予定のある子どもは,日本人コミュニティーで学ぶことを強く勧めている。学力をつけることはもちろんだが,環境や雰囲気,ものの考え方に慣れるのは非常に重要なことであると思う。
T君はイギリスのウェールズ,H君はアメリカのサンディエゴでそれぞれ5~8年ほど滞在していたそうだ。そして,平日は現地校に通い,土曜日は日本人学校に通っていたという。
私はたまたま前の年(2000年)に出張でアメリカの土曜学校を視察する機会があり,その時にそのような学校の存在や実態について知った。
どちらも高学年に兄がいたため,編入前の8月末には保護者と兄の担任を交えて話し合う時間を設け,協力体制なども確認した。
2人とも学力的には問題はなく,性格も明るい。クラスの子も親切にしているし,学級になじんでいるかのように見えた1か月後,どちらも学校に来ることができなくなってしまったのだ。これといった大きな理由はなく,原因は環境不適応と考えられた。お母さんは,ご主人はまだどちらも海外に赴任中であり,泣く子どもをどうしていいかわからず一人で困り果てていた。母親だって,数年ぶりの環境に適応しきれないでいるのだから。
T君の場合は,毎朝教頭と交代で車で家まで迎えに行った。朝出勤してから,「今日は私が行きます。1時間目は専科の先生の授業なので大丈夫です」等と確認し合った。1か月ほど続いたろうか。T君は自ら登校できるようになり,高学年では児童会など学校のリーダー的存在になった。その教頭は,子どもや保護者,担任である私を責めることは一切なく,ただ笑顔で「Tくーん,元気ねー?」と話しかけてくれた。本当に頭が下がる,立派な教頭だった。
翌年のH君については,日曜日に英会話学校で開かれたハロウィンパーティに誘った。お兄ちゃんも一緒だ。うちのクラスの子どもたちも何人か来てくれて,学校を離れてゲームをしたりアメリカのお菓子を食べたりしながら,楽しく過ごした。私にアメリカ滞在という経験があったことから,「こういうアメリカの話はみんな喜ぶし知りたいから,クラスでしてみようよ」という提案もできた。そうやって,少しずつ心を開いて環境に慣れていった。2年後に算数の専門教員として,再び教室に行くようになってからは,「そういえば,あんなこともあったなあ」となつかしく一人思ったものだ。
もし学習の遅れがあったら…適応は難しかったと思う。アメリカで,「日本語は家庭で毎日話すから大丈夫」,「漢字はちゃんと教えるからまずは英語ペラペラに」という考え方もあろう。もちろん,漢字や土曜学校の学習だけでは不十分なのだが,日本の環境(生活・学校)に慣れるにはかなりストレスがかかる。これに,学習の遅れが加われば,親子ともにどれだけのストレスと負担になるだろうか…。劣等感に加え,何故日本の学校の勉強をしなかったのかという後悔や親への恨みも出てくるだろう。精神的に不安定な状況で,学習が身につくか。
帰国後最初の1か月間は,新しいことへの興奮と「がんばらなければ」というプレッシャーなどから登校できる。しかし,その後,精神的な負担が一気にドッと押し寄せてくるのだ。5月病に似ている。子どもは慣れるのは早いというが,そんなに簡単なものではない。毎日緊張しているから疲れがたまり,親の期待を裏切っている自分を責める子どもの姿…。
うちの主人は,Walled Lake(ウォールドレイク)学校区で長年ESLのコーディネーターをしていた。土曜学校のニュースレターにも,日本人保護者対象にアドバイスを書いたこともある。日本に帰国する予定のある子どもは,日本人コミュニティーで学ぶことを強く勧めている。学力をつけることはもちろんだが,環境や雰囲気,ものの考え方に慣れるのは非常に重要なことであると思う。