アメリカでは寄付金を送るのは一般的なことです。家が裕福だとか借金やローンがあるからとかは関係なく,これはもう生活の一部だと思います。主人は仕事がどんなに忙しくても疲れていても,せっせと寄付金のチェックを書いて郵送しています。

うちが送っている団体は,動物愛護・自然環境・病気(アルツハイマー・癌・白血病・糖尿病・視覚障害・肺や心臓疾患)・子どもの生まれながらの病気や小児がん・アルコール中毒や家庭内暴力・貧困・Veteran(退役軍人や負傷兵)・オリンピック・政治や宗教関係・卒業大学や勤務大学(同窓会や奨学金支援)…その他。

これらは,主人のお小遣いよりはもちろん,私の(趣味と仕事がクラフトですが,道具や材料代も入れて)よりはるかに多い金額になります。決して大金を寄付している訳ではなく,主人についてはほとんどお金を使わないから。

うちは決して経済的に裕福ではないけれど,贅沢な自分のもの(車・衣類・宝飾品・食事等)より,寄付金によって世の中の役に立つ方が心の満足が大きいと感じています。貧困地域の実態の資料や病気の子ども達の写真等も郵送されてきますから,世の中のことも見えてきます。

癌などの病気の研究が進めば世の中の役に立てる。能力はあるのにいい教育が受けられない人の未来を開ける。国のために戦い負傷した兵士へ敬意を表せる。

シリア難民については,Amnesty Internationalに送っている寄付金から支援をしてくれると思います。

私はスマートフォンではなく,古い型の携帯電話を使っています。これは何と去年1セントで購入!友人や主人からは「今どき,スマホを持っていないとは…買いな!」と呆れられますが,まあ…なくても困っていないし…特に欲しいとは思わないから。保険料入れて1000ドル近い(約10万円)スマホを買った知人の話とか聞いたこともありますが,価値観の違いですね…。

寄付は人のためではなく,自分達の心を豊かに保つためでもあります。主人は,よく「賢くお金を使うように」とか「シンプル(こだわらずに)に生きたい」と言います。「あなたは贅沢を禁じられていて,みじめな暮らしをしていて可哀そう…」と思う方もいるでしょう。しかし,誰もが贅沢な暮らしをしたいと思っているわけではないのです。贅沢なことをしたり高価な物を買ったりした時,やはり罪悪感というか自分の身の丈に合っていないと感じます。物質的な贅沢をしても満足感が得られないなら,自分には必要がないこと。

さらに,寄付金を送れば山のようなお返しが届きますから,以下の物を買わずにすみます。

アドレスシール・メモ帳・付箋・カード・ボールペン・ラッピングペーパー&リボン・カレンダー・手帳・キーホルダー・クリスマスのオーナメント・ロザリオ・ネックレス・CD・Tシャツ・パーカー・バスタオル・バッグ(ビニール・布・紙製・リュック)・帽子・手袋(防寒・ガーデニング)・電卓・マグカップ・エア枕・傘・ひざ掛け・スカーフ・マフラー…。

早くも6月頃から来年のカレンダーが送られてきており,毎年40冊ほどに。カード類もとにかく大量で使いきれるはずもなく,クラスにいらした生徒さんに分けております。

寄付金の意味があるのかとも思うくらい,立派なものが届きます。名前入りのメモ帳などは大変便利ですし,カード類も市販のものは買ったことがありません。

好きな絵柄のデザインをする団体には欠かさず送金していますが,動物好きな人なら動物愛護団体に寄付をすれば動物の写真の載ったカードやカレンダーなどが届きますよ。