7月上旬の今は,親戚(トランシルバニア地方)の招きで,ドイツのババリア(バイエルン)地方を旅行している予定でした。

主人の母方の従弟が,トランシルバニア(旧ハンガリー/現ルーマニア)からハンガリー,オーストリアを経てドイツに車でやって来るから,ミュンヘン空港我々を迎えに来てもらい,友人宅を泊まりながらバイエルン地方を半月間旅をする計画でした。

我々がアメリカに戻った7月下旬頃から,ライフワークであるボランティアの「ドイツの孤児をルーマニアの山村(マラムレシュ)に持つコテージで半月間キャンプをさせる」と聞いておりました。

しかし,5月に飛行機のチケットを購入する頃,ちょっと待ってという連絡があって…。

メリッサという16歳のドイツの孤児が何か大きな問題を起こしてしまったのです。孤児院にも学校にも戻りたくないという彼女は,幼少の頃酒に酔った父に暴力を振るわれて育ったそうです。このまま放っておけば,ストリートガールになり犯罪を繰り返しながら一生を終える…それは目に見えている。彼女の将来のためにドイツ政府ともかけあっていろいろ手をつくしたそうですが,努力は実らず…結局従弟夫婦が自宅でしばらく引き取る苦渋の選択をしたそうです。

我々に対する謝罪,政府に対する怒り…本当にこちらが申し訳なく思いました。しかし,彼女を正しい道に導くのは神に与えられた自分の役目であると言っていました。

従弟夫婦は別の仕事を持っていますが,決して豊かな国には暮らしていません。見ず知らずの外国の孤児を引き取るために,数年前から計画していた親戚の旅行がキャンセルになるというのは,一般的にはあまり理解されないことかもしれません。

主人も「そういうことならそれは正しい選択だ」という反応であり,義姉(ミラノ在住)もそのような考えの持ち主です。自分達のぜいたくなことは二の次になりますが,旅行の楽しさで満たされるものよりもこの件から学んだことの方がはるかに大きいのでよかったと思います。

金銭的な豊かさではなく,本当の心の豊かさです。そこには,見栄やねたみなどは存在せず,人を人として扱う愛情と尊重,そして使命感にあふれています。

「日本人と違って外国の方は,ボランティアをよくするから」や「お金持ちなんでしょう」,「やっぱりキリスト教徒だからね」という意見もあるでしょう。しかし,このような大きな責任を背負うことはたやすいことではありません。

素晴らしい人と出会ったという話をしても,「いろいろな人がいる(考えがある)んだね」のひとことであっさり片づけてしまう人もいます。おいしいレストランに行った話をされた時に,「いろいろなレストランがあるんだね」とだけ返事するなんてありえません。「いろいろな~がある」で一応会話はまとまったかのように見えるのですが,想像したり考えたりしていないからか会話をしようとしていないからでしょう。

いつもお世話になっているシカゴの日系の旅行代理店の方(この方が大変な人格者)にも理解して頂き,いつものように心温まるメールが届きました。この方は,「あなたの周りにはそのような素晴らしい人がたくさんいる。しかし,本当は私の周りにもいて気づいていないだけかもしれない。気づこうとしなければいけない」と書いてありました。

考えるのは面倒かつ苦しいことで,世の中の嫌な部分には目をそむける方がラクです。知らなくても生きていけますから…。

生きるお手本が身近に存在することに感謝するとともに,やはり自分の人生に大きな意味があるはず…自分がしなければならないことをよく考えて生きなければと思います。