出張でアメリカに来た時のことなので,もう15年も昔の話です。
ステイさせてもらったアメリカ人夫婦と一緒に,レストランで食事をしました。マルサラワインで煮込んだというマルサラチキンを初めて頂き,そのおいしさに感激!すると,ホストマザーは「レシピを聞きましょう!」とすぐにウェイターさんを呼び,さらに驚くことに,ウェイターさんも喜んですぐにレシピのコピーを片手にキッチンから出て来たのです。30人分のレシピだったので,後でホストマザーは電卓を片手に,5人分程度の量でオンス等の単位換算までやってくれました。
…企業秘密であるレシピを何故このように簡単にくれるのか…?
まず思ったのは,単に親切だからということ。我々が競争相手ではないことが判断できたからでしょう。そして,恐らくこのレシピで料理をするという行動を起こさないと思えるから(実際,作らなかった)。例え作ったとしても,素材も違うのでレストランの味が出せないことがわかっている。
その次に考えたのは,このレシピはあくまでお客さん向けであり本当の隠し味付きのレシピは別にあるということ。
さらに最も考えられることとして,「レシピを無料でくれるレストラン」という評判での宣伝効果をねらったから。最近ではブログに「このお店はお得!」とタダで宣伝をしてくれる一般市民がいます。15ドル程度の食事等で宣伝をしてくれるので,お店側にとっては安いものです。レシピをもらった客も,「あの店は親切だ」と友人を連れてまた食事に出かけ,さらに散財しますから。私の場合は,もらったレシピ実際には使わなかったけれど,結果としてはお店に対して大変いい印象を持った。
当たり前の話ですが,企業側が金銭的に損をするようにはできていないので,客がこの商品取引において得をしたということはない。お客さんが得をし続ければ,その店は倒産しますから。いい印象をお客さんにどれだけ与えることができるかがお店にとっては重要なことです。お客さんは「得をした」という高揚感を味わい,企業側はブログ等で客に宣伝をしてもらうので,うまく成り立っているというわけですね。
これはまた別の話ですが,ある日本人に,生鮮野菜を買ってきてと何度か頼まれました。行列のできる場所に指定の時間に並び,冷蔵庫に大量に保管して翌日忘れないように持って行き,その金額を頂いておりました。私としては喜んでくれるなら嬉しいというそれだけの理由で,毎週手間のかかることを無償でしていましたが,ある日彼女はこう言いました。「いつも助かる!近所の人に売っているから,みんな喜んでくれるのよね!」と。
うちの主人に言わせると,「彼女が購入したのだから,どう使おうが彼女の自由」です。確かに,理屈ではその通りです。手数料を加算して高く売っていようが,それは彼女の自由というわけです。非常にアメリカ的な考えです。しかし,何かが違うのではないか…。
一方,うちの近所のアメリカ人は,「今日から生鮮野菜の直売開始だから,多めに買ってきた。ほら,これはうちのお隣さんにあげる分よ」と隣人のドアをたたいていました。
人に対していい印象を持つかどうかというのは,頭で計算する部分ではなく心で感じる部分です。一度抱いた印象は,なかなか拭い取ることができないのです。
「得をするかどうか」が購入の際のものさしになっている時(5ドル得をしたり値切ったりした時)に,失う目に見えない大きなものもあります。失っていることに気づいていないなら,それはそれでいいのかもしれませんが…。
ステイさせてもらったアメリカ人夫婦と一緒に,レストランで食事をしました。マルサラワインで煮込んだというマルサラチキンを初めて頂き,そのおいしさに感激!すると,ホストマザーは「レシピを聞きましょう!」とすぐにウェイターさんを呼び,さらに驚くことに,ウェイターさんも喜んですぐにレシピのコピーを片手にキッチンから出て来たのです。30人分のレシピだったので,後でホストマザーは電卓を片手に,5人分程度の量でオンス等の単位換算までやってくれました。
…企業秘密であるレシピを何故このように簡単にくれるのか…?
まず思ったのは,単に親切だからということ。我々が競争相手ではないことが判断できたからでしょう。そして,恐らくこのレシピで料理をするという行動を起こさないと思えるから(実際,作らなかった)。例え作ったとしても,素材も違うのでレストランの味が出せないことがわかっている。
その次に考えたのは,このレシピはあくまでお客さん向けであり本当の隠し味付きのレシピは別にあるということ。
さらに最も考えられることとして,「レシピを無料でくれるレストラン」という評判での宣伝効果をねらったから。最近ではブログに「このお店はお得!」とタダで宣伝をしてくれる一般市民がいます。15ドル程度の食事等で宣伝をしてくれるので,お店側にとっては安いものです。レシピをもらった客も,「あの店は親切だ」と友人を連れてまた食事に出かけ,さらに散財しますから。私の場合は,もらったレシピ実際には使わなかったけれど,結果としてはお店に対して大変いい印象を持った。
当たり前の話ですが,企業側が金銭的に損をするようにはできていないので,客がこの商品取引において得をしたということはない。お客さんが得をし続ければ,その店は倒産しますから。いい印象をお客さんにどれだけ与えることができるかがお店にとっては重要なことです。お客さんは「得をした」という高揚感を味わい,企業側はブログ等で客に宣伝をしてもらうので,うまく成り立っているというわけですね。
これはまた別の話ですが,ある日本人に,生鮮野菜を買ってきてと何度か頼まれました。行列のできる場所に指定の時間に並び,冷蔵庫に大量に保管して翌日忘れないように持って行き,その金額を頂いておりました。私としては喜んでくれるなら嬉しいというそれだけの理由で,毎週手間のかかることを無償でしていましたが,ある日彼女はこう言いました。「いつも助かる!近所の人に売っているから,みんな喜んでくれるのよね!」と。
うちの主人に言わせると,「彼女が購入したのだから,どう使おうが彼女の自由」です。確かに,理屈ではその通りです。手数料を加算して高く売っていようが,それは彼女の自由というわけです。非常にアメリカ的な考えです。しかし,何かが違うのではないか…。
一方,うちの近所のアメリカ人は,「今日から生鮮野菜の直売開始だから,多めに買ってきた。ほら,これはうちのお隣さんにあげる分よ」と隣人のドアをたたいていました。
人に対していい印象を持つかどうかというのは,頭で計算する部分ではなく心で感じる部分です。一度抱いた印象は,なかなか拭い取ることができないのです。
「得をするかどうか」が購入の際のものさしになっている時(5ドル得をしたり値切ったりした時)に,失う目に見えない大きなものもあります。失っていることに気づいていないなら,それはそれでいいのかもしれませんが…。