選ばれなかった不良品を満たすエーテル

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受験、前期終わりました。とりあえず言えるのは、疲れた!と後悔はない!かなぁ
ま、後悔するほどやってないか。そうか。

今日は普遍の終わりについてのお話。
2月9日、amber grisの解散が発表された。死を見つめ、弔い続け、小さく幸せを口ずさんできたバンド。自然の摂理に従って、彼らが終わりを迎えたのは至極当然のように思えた。
寂しくないとか、悲しくないとか
そんなことはないけどさ。次は僕達が弔う番じゃないかって思ったんだ。
このご時世に同期も重ねないで楽器の音と人の声だけでやるバンドなんて珍しかったんだ。あれだけ穏やかな北欧のような空気感で、人の心を深く痛く抉る音楽なんて他に無かったんだ。雰囲気的には、プログレラルクと呼ばれたラクリマを南国から北欧にやったかんじなんだけど、ラクリマの抽象的な感じより、もっと概念みたいなかんじ。一口に世界観と括れない。

エモーショナルなギター、ピンと張る強い音のギター、嫋やかだが男前なベース、楽しそうに複雑に跳ねるドラム。そして、華奢な躯で世界に確かに存在するのに見捨てられた悲鳴を拾い上げ叫んだボーカル。
圧巻。のひとこと。
僕は、なんであれ、死は絶対の安息だと思ってて。それはなんか自分の欠陥したところなのか、笑えない過去がそうしたか分からなかったけど、
amber grisを聴いてその考えはもっと優しい意味を含んでることに気づいたんだ。
数多の終わりの上を終わりに向かって歩く儚さと、でも死という安寧をせめて美しく彩るために生きること。生きる理由なんてそんだけでも十分かなって思えた。
理想の箱庭は用意されたんだ。あとは僕達が、彼らの音楽を納める銀色のコフィンを用意して。そしてそれをフラワーベッドにするべく花束を用意しよう。彼らが決めた終わりなら、今までの感謝を込めて見送ろう。
とかいって、最後の最後まで本当に素敵な音楽をやり続けるのが残酷だなぁと思うわけよ。性格悪いよ、だいぶ爪痕残されたわ。つまりね、大好きだってこと。

さて、公立高校の皆様(もちろん僕にも)普遍の終わりがやってくるね。その日、何を感じるんだろう。3年間でなんか変わったかな。案外いつも通りに過ぎたりしてさ。
それもまた良いよね。
普遍の終わりは、必ずしも絶望的じゃないってこと!

長い。