そして私は初めて就職した職場を約5年くらいで退職した。

 

 

やっと自由の身だぁぁぁぁぁーーーー!!!!!

 

 

 

と、心の底から本当に自由さを感じたのを今でも覚えています。

 

 

そして、そうこうして生きているうちに、しつこく食事に誘ってくる方が出てきて、あれよあれよと結婚。

母親の呪縛通り、公務員(当時はまだ卵。つまり公務員予定者)の夫と結婚しました。

 

その後、仕事ではあまり大きくない会社に入り、社員の顔と名前が一致すること、社長に名前を憶えてもらえていることに感激

しながら、一生懸命に働いた記憶があります。

 

そしてそして、その後は自営業を経験したり、離婚を経験したりと、いろいろな経験を積んだけれど、どれも自分で選んで決めたこと。

実は離婚もなかなかできずに困っていたけれど、そして結婚するよりもものすごいエネルギーを費やしたけれど、それでもやっぱり

離婚する決断をした自分に感謝している。

 

自営業では、楽しくて楽しくて、考えるなと言われても四六時中仕事の事を考えてしまうくらい楽しい日々だった。

自分で思いついたことをすぐに形にできて、すぐにその効果が良くも悪くも現れる。

ではもっともっと良い意味で効果的にするには???を

常に考えていて、もう起きてる時間はほぼほぼ全部、自営業のことを考えていたんじゃないか?

アドレナリン出まくりだったんぁないか?

 

というくらいでした。

 

が、引っ越しとともにやめ、今に至る(^^)/

 

昔から、心の話しが好きで、よく心の話しをしていたのだけれど、その中で潜在意識とか、

顕在意識とか引き寄せとかいろいろと模索しているうちに、超意識に出会い、これってもしかしてすごい事じゃない???

 

やっぱり意識より強いものって無いよね???

 

てことは、なんでも自分の想い通りだよね???

てか、この今目の前にある現実も、私の意識が現象化したものだよね???

 

という想いから、自分を実験台にて、いろいろと試しています♪

 

実験好きの私としては、毎日が実験であり、毎日が結果発表。

 

ほんっと、意識ってすごい。ちゃんと決めた通りになるからね。

 

 

ということを次回からお伝えしていきます(^^)/

 

そんな子供時代を送っていたため、ハッキリ言って、人間は怖いものだと、多分、無意識でそう思っていたのだと思う。

 

そんな中でも、超マイペースなところもあり、小学校、中学校とフツーにボーーーっと過ごしていた。

 

小学校の頃は、学校が終わって、家に帰っても誰もいなく、そんな時に、雨が降って雷が鳴ったことがあり、怖くて怖くて、家に一人でいることが心底イヤになり、習い事をした。

週5日、フルに習いごとをした。

自分の感情をコントロールできない父親ではあったが、習い事はなんでもさせてくれた。

「小さいうちにやりたいことはなんでもやっておきなさい。小さいうちは親がお金を払ってくれるんだから。大きくなったら

自分でお金を払わないと習えないんだよ」が口癖だった。

そのため、ピアノ、水泳、習字、公文式、そろばんと、毎日毎日毎日習い事に明け暮れた。それはそれで楽しく、毎日を過ごしていた。

 

そして高校卒業に近くなり、父親と母親は別居をはじめた。

それをキッカケに私は母親と一緒に暮らすことになった。(当時、両親はなぜか離婚はしていなかった)

高校三年生の後半からは平和で、そして、自由気ままなバイト漬けの日々を過ごした。

 

そして地元を離れ、専門学校に進学。

その後、超大手企業に就職。

 

私の母親は、「結婚するなら公務員の人よ。でもお父さんみたいな公務員はダメよ」が口癖であったため、

私も当たり前のように、公務員みたいな仕事に就職した。(今考えると、恐るべし潜在意識!!恐るべし呪縛!!)

そして、それが自分に向いている働き方だ。と思っていた。。。。

が、しかし。。。

 

働いてみて数年。やっぱりどうしても、何を我慢しても、その仕事が向かない。仕事自体が向かないのではなく、

何かを思いついた際に、提案して、上司に相談して、課内の偉い人に話がいって、そこでも承認をもらって、働いている箇所全体からのOKをもらって。

その上で、支社に提案して、OKもらって、本社にいく。(多分そういう流れ)

そこでまた承認承認承認承認。。。。。。

 

という事など、思いついたことをすぐに形にできないことを経験し、そして、大企業であるがゆえに、

社長は私のこと知らないだろうし、ただの駒の1つであることに対し

あぁ、別に私じゃなくてもできる仕事だな。

そして、私が辞めたってどうにも影響しないんだから、ほかのだれかで十分じゃない???

と感じ、その仕事に全く未来が見えず、辞めた。

 

大企業だったため、辞めるのにも、家族や友人や職場の人の反対がすごく、結構エネルギーを使うことであったが、

どうにかこうにか辞めた。。。

 

そして、今思うと、本当に辞めてよかったと思う。

今が幸せだから。とかそういうことではなく、(いや、それもあるけれど)

あの仕事をした上で、そこから外に飛び出し、

外の世界を見ることができたことで、本当の意味での働く、利益を追求する、などの

企業の在り方が分かった気がする。

 

そして、あの職場にあのままいたら、きっと私は精神的な病に悩まされていたのでは?と想像してしまう。。。

それくらい、嫌で嫌で仕方がなかったのよね~

 

~つづきます~

 

みなさんこんにちはニコニコ

 

今日は、私がナゼこのブログを始めたか?について書いていきたいと思う。

 

これまで、たくさんのセミナーや数百万?もしくはそれ以上の自己投資を経て、やっとここまでたどり着いた、その物語。

 

私は二人兄弟の2番目に生まれ、上には兄がいる。兄は6歳年上のため、両親にとっては、6年ぶりの赤ちゃんとのことで、そして待望の女の子とのことで、大変大変可愛がられた(多分)

 

母親も父親も正規雇用で働いていて、且つ、夜勤や泊りがある仕事だったため、母親が夜勤で家にいない時には、寂しくて寂しくて仕方がなかった。母親が夜勤の時には、父親と兄と私の3人で過ごしていたが、その時にはいつも

 

【なんで女の子が私だけなのだろう。。。えーん

 

と、よく考えていた。

 

 

兄じゃなくて、優しいお姉ちゃんが欲しかったし、かわいい妹も欲しかった。

 

たまに、祖母が泊りに来てくれたけれど、祖母はお母さんじゃない!代わりにはならない。という寂しさもあった。(おばあちゃんは超優しかった。おばあちゃんごめんね)

 

赤ちゃんの時には、あまり泣かないで静かで良い赤ちゃんだった。と家族や親戚などから、良く言われた。

 

そして私は「静かなのがイイ子なんだ」「静かな子がかわいい子なんだ」という無意識の刷り込みが出来上がったように思う。

 

そしてそして後から思い出したけれど、私は小学校入学直前位まで、指しゃぶりをしていた。

ただ単に指が美味しかった(笑)し、

好きだった。

 

でも、これってきっと、母親が夜勤で家にいないことの寂しさからなのかなぁ。。。と高校生くらいになって、やっと気づいた。

 

 

小さいころには、

「お母さんは今の仕事を辞めて、夜になると帰ってこれる、スーパーで働いたら?」と、母によく言っていた。

 

当時(というか定年まで)公務員的な仕事をしていた母は辞めるわけもなく、そして、子供にそんなことを言われ、相当困ったんだろうなぁと、今ならわかる。でも当時はきっと私も相当寂しかったんだろうなぁ。

 

そして、物心がついた時には、うちの両親は仲が悪かった。きっと、父親が気分屋過ぎるところと、母親が余計な一言を言ってしまうところの両方が相まって、ケンカに発展してしまうのだと思うけれど、きっと普通のケンカではないと思う。

 

父親はキレると暴言+暴力を振るうタイプの人だった。

 

私を含め、子供たちには一切手を上げないけれど、母親には女だろうが構わず、、、という感じだった。

 

ある日は父親の怒りが収まらず、

私と母親は母親の車で家出し、朝まで、車の中で過ごした時もあった。(兄はもうすでに家を出ている年齢だったのだと思う。当時家にはいなかった)

 

父親が家の固定電話を投げ飛ばし、電話線が切れてしまい、私の友人から、「朝何度も電話したんだけど、繋がらなかったよ~」と言われたこともあった。(当時は固定電話しか無かった時代です)

 

ただ、父親の暴力の事を気軽に口にする事もできず、誰かに相談することもできず、ただただ、

 

うちは普通じゃないよな、きっと。

 

もっと普通の家に生まれたかったなぁ。。。

 

とだけ思い、過ごしていた。

 

とはいえ、毎日がつらい訳でもなく、父親の機嫌が悪くないときは、それなりに普通の家庭であったのだとも思う。

そういう環境にいた私は、当時生きていく術として、父親の機嫌を取る技術を身に着けていった。

 

幸い、父親には溺愛されていて、もう、犬か猫の様に、ベタベタに可愛がられていたため、私が父親と母親の間に入れば、父親はいつでも良い気分でいられる。ということに気づいた。

父親の座っている席に、ビールや食事を運ぶのは全部私がやった。そうすると喜んでもらえて、我が家は平和に保たれていたから。子供ながらに、生き抜くための術だったのだと思う。

 

 

次に続く