先週、ここあのお友達が突然お空にいっちゃいました。
1週間目ってとってもつらいですよね。
その日の出来事が走馬灯のように駆け巡りあの時
こうすればもっとできたことがあったのではないかと。。。
私事ですが、今だから思える事。。。
プレリーの頃のお友達はこの経緯はご存じだと思いますが
ちょっと振り返ります。
時々、登場していますが以前プレイリードッグを飼っていて
福岡に住んでいた頃、誰も知り合いがいなくてどうしようもない
時に、maruが縁あってくることになり、そこから生活が一変
福岡が第二の故郷と思えるぐらい楽しい生活に変わり
私にとっては、ラッキーガールのような存在。
ホームページを立ち上げ全国にお友達ができました。
その反面、まぁ~イタズラ?ふすまをやぶったり(賃貸なのに・・)
コードを齧ってダメにしたり等大変でしたが家族でした。
今でこそインターネットで情報をすぐに調べられましたが
その当時はまだ情報も少ない時でした。
先生にとっては軽い病気だったのだと今では思えるのですが
大騒ぎしてしょっちゅう病院に行ってました。
プレイリーの場合ちょっとした検査をするにも麻酔をかけられました。
もも君は一度心肺停止した事もあり診察室でその様子が聞こえて
来たのが、その記憶は未だに鮮明に覚えています。
もも君とは。。本当はもう1匹女の仔がと思っていたのですが輸入禁止に
なり、国内で入手が難しい状況の中、もも君に出会いました。
もも君・・・私たちにはあまりなつかないけれど、maruの事は
大好きだったので譲り受けることになりました。
maruはいろんな病気が併発して半年ぐらい病院に通ったかな。。
先生にもう余命は数日ですと言われましたが、驚異の回復?で
数か月頑張りました。注射も最後は週3回受けに行っていて
当時は仕事も休める状況ではなかったので、夕方つらそうなmaruを
抱えて通院。注射もつらそうで延命処置なのではないかと当時は
すごく悩みました。毎日毎日、帰宅して今日は大丈夫?と除く日々
ある日、帰宅すると一人でお空にいってしまっていました。
もう後悔の日々です。仕事をやめて看病すればよかったとか
仕事にもう行きたくない喪失感。。。でも途中で投げ出す事も出来ず
動物が亡くなったぐらいでという風に思う方もいらっしゃるので気丈に
振る舞いすぎて、心が折れていたと今振り返れば思います。
maruは私にとって特別な存在過ぎて残されたもも君を受け入れるのも
少し時間がかかってしまいました。
でも動物の時間は、私たちにとって1日がもう数日過ぎてしまって
いるのですよね。残された時間もっと大切に過ごせば良かったと。。
向き合うと色んな事が見えました。もも君はとても甘えん坊に変貌
我慢させていたんだね。そして、居てくれたお蔭でまた前を向くことが
できて、救われてました。
もも君もお空にいった時は、辛すぎてもう動物は・・・・と思ってました。
また、もし飼う時が来るなら絶対またプレイリードッグをと。。
maruがお空にいった時、毎日願っていたことが幽霊でもいいし
鳥・猫でもどんな形になっても見つけ出すよ、だからまたもし家がいいと
思ったら戻ってきてと思ってましたが。
友人から聞いた話だったか、動物の魂も成長を続けていかなくては
いけないので、また戻ってくるという事はよっぽどやり残した事があるんだと
それを聞いて、願うのはやめました。
一昨年。。本来なら猫派の私。。。まさかの犬
古い友人に話すとビックリされます。
ここあ・・・・maruととっても似ている・・・よっぽどやり残した事が??
いやいや・・ここあはここあです。きっと心のどこかでmaruと似ている部分を無理やり
結びつけているのだろう。。と思いたい?
ようやく振り返られた気がします。
今年で7年。。。もも君の命日もあと数か月。
2匹から学んだ事が多く、まだ多頭飼いには踏み切れませんが
また時期がくれば。。。。
今でこそですが、maruを最後に看取っていたらきっと立ち直れなかったと
思います。もも君の時は強い希望と覚悟があったので最後一緒に過ごせて
もも君のお蔭で前をしっかり見ることを教わりました。
未だにですが、その頃を思い出すと涙がでますが
自分の中で受け入れられているように感じます。
maruとももが魂が成長しつづけるのであれば、色んな所にいって
いつかどんな形でもすれ違った時、幸せそうだったら嬉しい。
ここあも今の時を幸せに過ごせるよう大事にしていきたい。