(月島の水掛け祭り)
わたしの母の実家は
月島でお味噌屋さんをしていました。
丸さ。坂本と言うお味噌屋さんです
おばあちゃんは
早くに旦那様(おじいちゃん)を亡くしてから
女で一つで
小僧さん(従業員の人)や
お手伝いさんをバリバリ使って
切り盛りして
月島1の大きなお店を守り抜いた人です
私の子どもたちからは
月島の白いおばあちゃん
と呼ばれていました
私は子どもの頃
従姉妹の中で
1番大きなお姉さんだったので
それは厳しく
おばあちゃんから
家事をしつけてもらいました
1番早く起きて
掃除からはじまり、
仏壇のお茶あげ、お線香
そして朝食の支度
朝食の支度が終わるころに
小さな子たちを起こします
お手伝いさんは
10時頃からの通いでくるので
朝の支度はわたしがお手伝いしていました
なんと!
週末には10人の従姉妹たちが
寝泊まりして集まる
白いおばあちゃんの家
夏休みや、冬休み、春休みももちろん
大集合!
ドタバタもいいとこ!🤭笑
そんなおばあちゃんの家で
ご飯を食べる順番は
小さな子から順番
大きな子は我慢
男の子とは違い
朝早く起きて、たち働いているわたしは
小さな子や男の子が食べ終わるまで
配膳しなくてはなりません
全員の食事が終わるころ
わたしとおばあちゃんの食事が
はじまります
お腹がぺこぺこのわたし
ずるいよ、みんな...🥲
とちょっと悲しい顔
すると必ずおばあちゃんは
わたしに2杯分のおみおつけを
とっておいてくれていました
"しとみちゃんは、おつけが
好きだからね😊"
(江戸っ子だからひが、"し"になる)
わたしの
不公平で不満に思う、朝の1時間は
おばあちゃんの
お味噌一杯で帳消し!
みんなは知らないと思うけど
おばあちゃんの味噌汁は季節によって
様々なお味噌の配分を
使い分けた合わせ味噌
最高に美味しいお味噌汁だったんです!
早くにおじいちゃんを亡くした
おばあちゃんは
晩年
友人と旅行にいくことが多くありました
ハワイの素晴らしい自然の話
小型飛行機から眺めた
グランドキャニオン✈️の話
子どもからしたら
それはそれは
夢のようなはなしをしてくれました
また、沢山の戦争の頃の話もしてくれました
わたしは、ご飯を食べ終えたあとの
おばあちゃんと話す
その時間が大好きでした
3姉妹お揃いのムームーは
月島のおばあちゃんのハワイのお土産♡
本当に大好きだったな。
このムームー♡
わたしが、子どもを持ったころも
まだ元気でいてくれたおばあちゃん
我が家の子どもたちも
おばあちゃんが大好きでした
おばあちゃん
わたし
今
おばあちゃんが言ってた
夢の島🏝️
ハワイに住んでるんだよ
まったく!
信じられないよね!
おばあちゃんに厳しく躾けられたこと
昔は嫌だったけど
今は本当に感謝しています
我慢や、下の子を面倒みる
いろはを教えてもらったと思う。
私もね
従業員沢山雇う経営者になって
ちゃんと、結果を残せたんだ!
おばあちゃんみたいに。
ハワイでも

