利用者さんの病気について知りたいなぁと、図書館で筋ジストロフィー関連の本を選んでいた時に「こんな夜更けにバナナかよ」があって、手に取った。


この本が原作の大泉洋さん映画は、観た人もいるかもしれません。映画は別物と思った方がいいかもしれませんが…。


隙間時間に5日掛かりで、読むに時間がかったおばけ

次女が公文書写で新しい漢字が出る度に開く、小学6年生まで網羅されているすみっコぐらしの漢字辞典より厚いあせる



ブログとして人に読んでもらうことを気にせず、自分が読んでどう思ったかを備忘録として残すので、長いから飛ばしてくださいあせる



読んでいて、祖母のことを思い出した。末期癌で在宅介護の祖母は、最期の半月は死への不安を抱え寝れず、頻繁に体位交換や水分補給や痰の吸引をしなくてはならず、三姉妹で交代で24時間誰かしら起きてそばに付いていた。

深夜に目覚める祖母と、ふと昔の話をしたり、楽しかったし、愛おしい時間だった。睡眠不足は大変だったけれどあせる


仕事で、筋ジストロフィー・脊髄小脳変性症など、難病の方の身体介助も入っている。


私は、利用者さんは、もっと自分を出していいっていつも思っている。本当に、出会う利用者さんがいい人ばかりで、ヘルパーとしては恵まれているけれど、もっと人間臭くていいと思っている。「いい人ほど早く逝く」なんて言うけれど、若くして余命宣告された人ほど、いい人すぎる流れ星家族や私たちヘルパーのことまで気を遣う。


私の根源には、訪問介護は祖母のように家で過ごしたい人の希望を叶えたいってことだから、施設や病院じゃなく自分の家で、そこまで気を使う必要ないと思う。

私自身が食べ物の好き嫌い激しいから、家で好きな物食べたいものナイフとフォーク私は自由に自分らしく貪欲にいつまでもいたい。きっとわがままな利用者になるよ笑



本の筋ジスの鹿野さんから、ボランティアの学生や主婦への問いかけ「自分の命があと一年と宣告されたら、あなたは何をしますか?」。みんな思い思いに書き連ねていたが、私なら…と考えても「ギリギリまで家で普通の生活がしたい」以外、全然浮かばない。

身内も利用者さんも、最期まで生きることに一生懸命で、必ず残された私は「あっけなかったな」って感じる。でも、みんな私の心の中にいて、ふとした時に思い出す。最近は、昨年亡くなったアスベストが原因の末期癌の利用者さんのことを、モンブランを見るたびに利用者さんの笑顔と一緒に思い出すぼけー



次女の学童のお迎えに行ったら、先生が私の制服を見て「訪問介護ですか?」と声を掛けられた。どうやら、先生の父親が訪問介護を利用されているそう。ただ、頑固で我儘で、ヘルパーさんに「帰れ」とか言って困っちゃうとDASH!

「大丈夫ですよ!なんだかんだ、ヘルパーは楽しんでますからゲラゲラ

って答えた。

それくらい言ってくれる方が、こっちも言いたいこと言えるし、ヘルパー同士でこんなこと言われた〜なんてネタにもなる。

何をしても「すみません」って言う人の方が私は困っちゃう。何かしっくりこないことがあっても、言わずに我慢して、家族に愚痴をこぼしたり家族に負担が掛かるくらいなら、どんどん言ってくれた方がいいおーっ!



障がいがあっても、自分らしくいれることって大事だと思う。

障がいもその人にとっては生きにくいことだし、障がいが無い人は身近にいないと接する機会は殆どなく生きてきたから特別なんだけど、沢山の人と出会って、結局は障がい云々じゃなく人対人なんだなって思う。


以前、コストコのフードコートで、車椅子の人がカートが並んで出れなくなっていた。ちょっと動かして通り道を作ってあげたが、少し様子を見れば誰でも手を貸せることだと思う。障がい者が周りに頼まなきゃいけない世の中って、健常者と障がい者で分断されているから起こることなんだと思う。2〜3歳の子が1人で外を歩いていたら

、周りに親がいないか確認して保護するとか、誰でも様子がおかしいなって思ったら手を差し伸べることって出来る。白杖や車椅子やヘルプマークも一緒。障がいを持っている人でも、人の手を借りながら自立することは出来る。


私と同年代の利用者Aさんは、四肢は動かず言葉も発しないが、知的障がいは無く頷いたり表情で意思疎通をしている。

毎回、大量のTシャツの中からその日に着る服を4択で選んでもらう。これは、初任者研修でも教わるが、尊厳や自立に関わるので、いつも決定権は利用者さん。勝手にヘルパーが選んではいけない。子育てでも同じ。

私は、4枚の内1枚はピンクを入れる。AさんがピンクのTシャツを着ているのが好きで、毎回ピンク押しをするのに、いつも選んでくれないあせる

先日、根負けしたのか、やっとピンクを選んでくれた音譜このやり取り、凄い好きです。明日もこのやり取りをするニヤ



障がい児の親御さんは、子どもが大人になってもいつまでも子どもって感覚が抜けない親も多い。いつまでも手を掛け、服も親が選んで置いておくのをヘルパーが着せることも多く、自立とは真逆になる。人一倍手を掛け、悩み、頑張ってきたから、仕方ないことだと思う。

体は何不自由無くても、幼稚園児ほどの知能の50代の知的障がいの利用者さんのファスナーの上げ下ろしを、80代の母親がやっている。幼稚園児でも、教えれば出来ることも、今まで教えずに全て母親がやってきた。この先、お母さんがいなくなったらどうなるんだろう…と不安に思う。


ヘルパーはお母さんでもお手伝いさんでも無いので、言われたことを何でもやるわけではなく自分で出来ること・出来そうなことはやってもらう。

同時に医療行為だからやってあげられなかったり、ボランティアなら出来ることも出来ないジレンマを抱えている。


本の中で、特に印象に残っているのが「依存」という言葉。

障がいを持っている自分、ボランティアしている自分、親など家族としての自分に依存してしまう部分もある。それを免罪符にしてしまい、依存から抜け出せないのはかなり危険だなって思った。ヘルパーとして、資格や技術を持って時間で対価を頂く人と根本が違う。

私も、仕事じゃなくボランティアだったら、たぶん入れ込み過ぎて自分の中に重くのしかかるのかもしれない。鹿野さんみたいに沢山のボランティアがいれば、また違うのかもしれないけれど、どうしても頼られたら断れないし。



長くなったけれど、いろいろと自分の経験を思い出し、自分の考えを持ちながら読み進め、ちょっと達成感指差し