先週金曜日、3週間ぶりにサービスに入った末期癌の利用者さん。

薬の影響もあり、ずっと起きてるか寝てるかわからない状態で、体を動かすと顔を顰めて辛そう。

食べれず肉が落ち、尿も減ってきて、祖母の経験からお迎えの日が近づいてきているのを感じた。


帰る時にそばで声を掛けたら、何かを伝えようとしてくれた。

でも、声を出す力も口を動かす力もなく、目をつぶりながら泣きそうな表情で「ウー」って訴えてきた。

こんなに一生懸命伝えようとしてくれているのに、私にはその声を理解してあげられることができなかった。


いつも帰る時に「ありがとう」って言ってくれたなと察するしかなかった。


「つらいね」


ってさすりながら声を掛けたら、少し頷いた。怖い・辛い・痛いとか、伝える手段さえない。


手を握って


「また来ますね」


と伝えたら…

凄く柔らかい安心した表情になって、また眠りについた。



お宅を出た後、涙が溢れた。

とても愛おしく、辛く、優しい時間だった。



火曜日、今日が峠だろうと所長から連絡がきた。

覚悟はずっとしてきたけれど、「また来ますね」の約束を守れないかな…。

でも、今まで充分頑張ってきたから、頑張ってとは思えなかった。



翌水曜日、持ち堪えたと連絡が入って、ホッとした。



1週間ぶりに、今朝サービスに入った。訪看さんより先に入ったら、下顎呼吸が始まっていた。娘さんに聞いたら、私が到着する少し前から呼吸が変わったらしいが、火曜日もこんな感じだったと言うので、訪看さんを待ち、利用者さんの様子を見ながら一方的に話し掛けていた。



訪看さんと相談して、2人で「ごめんね。あと少し」と声を掛けながら、オムツだけは体位を変えて交換。

祖母の時に枕を外したら呼吸が一度止まったので動かすのが凄く怖かったが、無事に終わってホッとした。

訪看さんがバイタルを測っている間に、顔を見ながら右手を石鹸で洗い、タオルで拭いていたら…


呼吸が止まった。


慌てて声を掛けても、呼吸が戻ってこない。

すぐに娘さんとお母さんと場所を変わり、娘さんが手を握り声を掛けたら、最期に一度大きな呼吸をして旅立った。


まだ若い娘さんの「ママ…ママ…」って声だけが響き、切なくて。


邪魔になる物を片付けて、「頑張ったね。ありがとう」と伝えて、その場を離れた。

訪看さんが「私たちを待っていてくれたような最期だったね」と言ってくれたことに、凄く救われた。



「明日」「また今度」が来る保証は無い。死と隣り合わせの状態なら、尚更。命は尊い。


老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ

老いるからこそ   死ぬからこそ  堪らなく愛おしく 尊いのだ


訪問介護をしていると、利用者さんが、たまらなく愛おしく感じる。

祖父母も両親も他界している私には、利用者さんとの優しい時間が、失った時間を補ってくれる。


でも、利用者さんとの別れがやってくる現実を今日知った。身内の死とは違う、辛いけど、辛くない、不思議な感覚で今います。

半年前のブログに書いたけれど、なんとなくこの利用者さんを看取るかもって予感はずっとしていた。

状態が悪くなり、退院して1ヶ月。ヘルパーは平日毎日入っていたが、私はこの1ヶ月で3回しかサービスに入っていない。

それでも最後の瞬間に立ち会えたことに、感謝もしている。気持ちの整理も付いた。


訪問介護の仕事を始めて、1ヶ月も経たない頃からサービスに入り、多い時は週3日・1日に2〜3回入っていた。


いつも笑顔で私の背中を押し、肯定してくれて、ありがとう。

楽しい時間をありがとう。


私には身内の看取り経験しかなく、不安も大きかったけれど、訪問介護で看取りに立ち会うことは少なく、仕事で初めての看取りが彼女だったから、これからもこの仕事を続けていきたいって思える。


この出会いや経験を大切に、もっと技術も磨いていきます。