友人の両親は、昔から仲がいい

70代に入り、お父さんの足腰が弱ってきて、お母さんが後ろを回って歩いているそうです

話を聞いて素敵だなぁと思ったのですが、友人はその姿を見て、
「愛情というより依存」
と言っていました

旦那と老後、少しでも一緒に居たいから介護の勉強をしたい私は、愛情なのか、依存なのか、共依存なのか?と不安に思いました

「1つのことに没頭して、心の穴を塞ぐ」ことを依存。あなたしかいないって状態かな。
「相手を自分に依存させることによって支配する」ことを共依存。あなたには私しかいないって状態かな。
子育てにおいても依存や共依存があって、子供が自立に向かっているのに、うまく子離れできないとかありますよね。
夫婦どちらかが介護が必要になった時は、やはり依存・共依存になりやすいのかもしれません。
そんなことを考えていたら、最近読んだ本でも依存や共依存について触れられていました。
家族という呪い
加害者と暮らし続けるということ
著・阿部恭子
凄いタイトルの本ですよね
興味があって受験関連の本や発達障害についての本を読んだものをUPしていましたが、普段はこっちばかり読んでいます
内容は書けないけれど、あと最近読んで衝撃だったのは、こちら↓


愛情も人それぞれで、間違えた愛情もたくさんあるな…。
17歳長女は絶対に結婚しないと言っていますが、いつかは結婚するかもしれません。どんな相手かによって、その後の人生が変わると考えると、結婚って恐ろしい

外からはいい人だったり、真面目な人格者だと思われていても、家庭内では別人ってパターンは沢山あるから。
その逆で、家庭内ではいい夫でいいパパでも、外で犯罪を犯していたパターンも
この裏切りも怖い。でも、何度も再犯を繰り返しても離婚できない人もいる。

芦田愛菜ちゃんが「信じること」について語った言葉が話題になりました。
「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」
依存・共依存状態だと、自分が主体で無くなってしまい、ちゃんと受け止められて次を考えられなくなってしまう。
結婚って、自分の人生をかけたギャンブルだな

常習の性犯罪者は病的な依存。事件を起こし、ニュースにもなり、兄弟はそれが原因で離婚しても、依存・共依存の配偶者は当事者なのに離婚を選ばない。
面倒見の良さが必ずしもいい事ではなく、私がいなきゃ、やらなきゃ、守らなきゃっていうのは共依存状態。
配偶者は別れられても、なかなか子が犯罪を起こしても縁を切れませんが。常習犯なのにお金で示談で解決し続けることが更に大きい犯罪を犯してしまうことも。
犯罪加害者は家庭環境のせいにしがちだけれど、世間一般的に言われる「普通の家族」という「普通」という世間体の括りに縛られていることで、視野が狭くなり追い詰められて加害者となることもある。
DVやセクハラなど、辛くても「私が悪い」「これくらいは当然」と我慢して耐えて家庭内で許されてしまう。地方に行けば男尊女卑の風習が根強く女が我慢するのは当たり前という考えがあり、泣き寝入りも多々ある。
無条件で愛される経験を欠いて、勉強やスポーツなどの結果で初めて承認されたり、条件付きでしか認められないと、いつまで経っても自信がなく、相手に逃げられないように支配するために、DVやモラハラ加害者になってしまう。
もしくは自分に自信がなく、弱さを見せられないから、相手に世話を焼いて面倒を見ることで自分の問題から目をそらす。