心臓と小腸はがんにならないと言われている臓器。
一般的な癌と違う希少がんの定義は10万人に5人以下ですが、その中でも小腸がんは10万人に0.2人と言われています。
日本どころか、世界各国でも症例数が少なすぎて、治療法(抗がん剤)すらちゃんと確立されていない。消化器の医師でも、小腸がんを見たことが無い人が多く、専門医がいないのが現状です。
小腸がんは、とにかく情報が少ないので、検索でこのブログに辿り着いた方、同じ小腸がんといっても、進行スピードや転移の仕方は様々なので、1例であり、全てがそうなる訳ではないのをご理解ください。
義弟の場合、進行が早過ぎてガン専門の病院に転院する時間さえありませんでしたが、手術できる人もいます。似た臓器の大腸がんの治療で効果がある人もいます。治験も進められています。
情報が少ないからこそ、淡々と書いていこうと思います。
妹から聞いた話や義弟のブログをまとめているので、正確性に欠けるかもしれません。
5月の健康診断で異常なし。
6/26普段より心拍数が上がり息切れ、胸の苦しさ、お腹の張り、声の出しにくさの体調の変化が気になり、循環器科の開業医を受診。血液検査で肝機能の数値が悪く、肝臓が肥大して癌疑い、総合病院へ紹介状。
7/9リンパと肝臓に癌が見つかり、肝臓は転移と判明。悪性リンパ腫や肉腫が疑われました。一括りに「癌」と言っても、原発に合わせて抗がん剤の種類や治療方針を決める為、半月は治療はせず、何度も検査を続けて原発の癌を探しました。検査が終わらなければ、総合病院からがんセンターに転院ができず、治療を早くしたい義弟と妹は、ずっとモヤモヤしていました。がんセンターには原発不明科があり、そこで小腸がんが発覚するケースもあるそうです。
7/8体調が万全では無いが、フットサルの試合にも出ていました。
7/11内視鏡検査するも、特殊な内視鏡検査を必要とする小腸までは見ない。夜苦しくて、横になって寝れなくなりました。
7/1346歳の誕生日を迎え、この日まで仕事をしていました。
7/15家族で少し遠出して、子供たちと沢山遊びました。
7/16〜18で肝生検の検査入院。この時から一気に体調が悪くなる。動けない。吐き気。
7/19にお腹の苦しさと嘔吐もあり急遽受診。PET-CTと小腸まで内視鏡検査。仰向けで寝れないので、検査が思うようにできない。体じゅうの臓器、リンパや骨にまで転移が認められた。この時に小腸の腫瘍が大きくなって詰まりかけていて逆流。固形物は食べれなくなった。
7/20妹の家に行って義弟に少し会いましたが、声もあまり出なくて、かなり痩せていました。身を起こして座ってないといられない。9ヶ月の子供の抱っこすらできないと。
7/24小腸がんか肉腫と診断。
この頃は、日に日に腫瘍が大きくなって増えていく。思うように動けないし、内蔵の圧迫感で横になれない、固形物も食べれず体重減少、声も上手く出ないし、寝れない日々。
7/26小腸がん確定。体じゅう癌で臓器が肥大して、苦しくて土下座の姿勢しか取れず、すねに褥瘡が出来始めた。
8/3体調が悪く救急に掛かり、緊急入院。胃の先が詰まって2リットル以上胃に水分が溜まって降りていかない状態でした。
8/5医師から家族へ説明。妹はこの日までがんセンターに行って治療をすれば治ると思っていました。余命を今週中と言われて、翌日からモルヒネを使用すると。説明の時に子供を預かる為、病院に行きましたが、かなり辛そうでした。
8/6がんセンター転院予定でしたが、キャンセル。義弟は、この日までブログを書いて、今は抗がん剤をする体力を付けて、がんセンターに行って治療をすることを前向きに綴っていました。
8/7甥っ子を預かる為、病院に行きました。一段と痩せて、辛くて私がいることも初めは気が付かないほど。でもハッと気付いて「○○ちゃん(私)ありがとう」と、一言。これが、義弟と話した最期になりました。
8/9亡くなりました。
祖母がすい臓がんで闘病中、医師から「痛みは取れても苦しさは取ってあげられない」と言われました。義弟も痛みより、苦しさとの闘いでした。どの体勢でも身の置き場が無い。
それでも、必死に生きて闘っていた。