次女が幼稚園に行き始め、予定がない日は昼間録り溜めしたドラマを流しています

先週の「僕らは奇跡でできている」
良かったです
今更ですが…


普通の学校生活を送るのが大変な子をどう育てるか?
母親の、世間体を気にしたり、勉強に遅れないように、周りに変に思われないように、いじめにあわないように、自立できるように、心配して先回りして必死になる気持ち、ADHDグレーゾーンの中3長女を育てて手をこまねいていた以前の私です

病院ではっきり診断されれば、私自身も気持ちの切り替えができたのだろうけど、白黒はっきりしないグレーゾーン

先日、小田和正さんの「言葉にできない」をふと耳にしました

15年前、生まれてすぐ、生死の境にいた長女。
産後、私は娘より早くに退院し、帝王切開の痛む傷をかばいながら、1日2回NICUに通う日々。家に帰っても、旦那も子供もいない。
「助かっても、障害が残る可能性が高い」そんな医師の言葉が、1人でいると頭の中をぐるぐる。先が見えず、暗い部屋でTVを付けてボーッと過ごしていたら…
TVから、この曲が流れてきました。
明治生命(今は明治安田生命)のダウン症の秋雪くんのCMでした。
泣きました。
ただ、泣きました。
産んだ後「助かるか助からないかは、50%」と聞いて、病院で大号泣して以来、1ヶ月ほど泣いていませんでした。
今思うと、泣けないってヤバイ状態だったんだと思います。次から次へと問題が起きて…最悪の場合の話ばかりされ、心が壊れかけて付いていけなくなっていて
防衛本能なのか、自分が耐えられないようになると、感情が無くなっていくものなんですね。

目に見えた障害は残らなかったものの、社会に適応しにくい特性を持った長女。
でも、15年前を考えたら今生きていることだけでも凄い。できて当たり前のことだって、できて凄いんだなって、ドラマを見て改めて思いました。
悪いことばかりに目を向けるより、子供の凄いことを100言える親でなければならなかったんだな。昔の自分に言ってあげたい
今なら100言える自信ある


私の場合、気付くまでに時間が掛かりましたが、親子関係が修復できないところまでいかなくて良かった
あの時、長女が警察に電話しなかったら…まだ変わらずにいたのかも

