TOKIOの会見…切なかったなぁ。
父は、アルコール依存症でした。
昔から家で晩酌とかせず、隠れ飲みする人。家族もどれくらい飲んでいるのか一切把握できず生活していました。
小さい私を公園に連れて行くと言って、途中でお酒を買って公園で飲むような人。転んで血だらけになっても酔った父は「それくらい大丈夫」と言って、1人泣きながらおでこから血を流して家に帰った。3歳の時に父の同僚の家に2人で行き、父は飲んで爆睡して、子供の私はどうしていいか困って泣いた記憶もあります。
お酒の量が極端に多くなったのは、母が癌になってから。完全にお酒に逃げて、自分は悲劇のヒロインのつもり?いつでもお酒臭い。妻の病気のことも一切理解せず、現実から逃げていった。
母が亡くなってからお酒のことで大喧嘩をして、私は父にお茶をぶっかけました。そして父は家を出て1人暮らし。正直、ホッとしました。もし何かあっても、家の住所が新聞に載ることは無くなったから、我が子は守れるという気持ちでした。
その後、アパートの階段で酔って落ちて、右肩の骨が粉々になり、救急車で運ばれました。
入院の翌日辺りから、アルコールの禁断症状が出始めました。大量の汗をかき、幻聴と幻覚。暴れてしまうので、縛って頂きました。ナース妹が1番かわいそうだったのが、看護学校の同級生が父の担当だったこと。
その状態を病院で診て、肩の手術後にアルコール依存症の人が入る病院へ転院。
今は、一切アルコールを絶っています。
そして、右手は一切上がらないし動かない。
家族としては、いくら断酒していても父を受け入れられません。
母が苦しんでいる時、私たちが睡眠不足で母と祖父母の介護に当たっている時に、お酒に逃げた父を許せません。母が息を引き取る時もお酒臭かった。母も父のお酒で散々苦労してきました。
階段から落ちた時に死ねばよかったのに…。
あのまま怪我をしなければ、肝臓の状態は極限状態だったので、ほっとけば死んだのに。
正直な私とナース妹の気持ち…。