2007年1月22日(もう12年前ですね)
すい臓がんの手術当日、旦那に休みを取ってもらい長女を預けて、朝から私とナース妹で母の元へ行き、8:30〜オペが始まりました。
膵頭十二指腸切除術
胆管、膵臓、胃、小腸の切除
オペが終わったと声を掛けられたのが21:30。
手術時間13時間オーバー

ずっと2人で病棟のソファーで待っていて…消灯で暗くなってしまいました。
ナース妹と取った腫瘍などを写真で見て説明を受け、母と対面した時に泣いてしまいました。オペ後かなりの期間、ずっと痛みと戦っていましたが、母は気丈に弱気な姿は一切見せませんでした。
そこから2年。はじめのうちは抗がん剤治療をしていましたが、度々高熱が出て入退院を繰り返し、体が悲鳴をあげ…途中で中断せざるおえなくなりました。
体重も73kgあったのが38kgまで落ちてしまいました。
闘病中の2年、母の泣いた姿を見たことがありません。本当は思いっきり泣きたい時もあっただろうけれど、娘にそんな姿を見せず…。私はそんなに強くはなれないな。でも、きっと泣いた方が楽だったと思う。気持ちを吐き出すことができない。たぶん、娘がいない時に病室で看護師さんには色々と話していたと思いますが。
母の母、私からしたら祖母も約半年後、7月にすい臓がん発覚。実は体調がちょっと前から良くなかったのですが、母のこともあり私に言わずいました。体重も減っていて…母と長女、認知症の症状が出始めた祖父で手一杯で祖母のことまで気に掛けられず

祖母の高血圧の定期通院の時に付いて行き、体重減少を指摘され、母の状況を話したら…即血液検査に回されて、癌発覚。消化器内科へ。もう、目の前真っ暗

消化器内科の医師が、酷かった

床ずれっぽくなり言ったら、患部も見ずに薬を出したり、体調が悪いと訴えると
「入院しますか?もうきっと家へは帰れないですよ」
と、本人に伝え祖母泣き出す

私がブチ切れて、祖母も在宅を希望したので、すぐに妹の知り合いで信頼できるケアマネさんに連絡。在宅で診てくれる信頼できる医師を探し、訪問看護の手配、配達してくれる薬局も探しました。
祖父は祖父で、妻も娘も癌になり…現実逃避で認知症進行
泊まりもできるデイサービスに通っていましたが、緊急時に急に泊まることもできず、小規模多機能の施設にデイサービスを変更。普段は週2〜3日使っていましたが、早い段階でこの施設にして正解でした。長女も喘息で入退院を繰り返していましたので、突発で急に泊まれることが、私を支えてくれていました。

私1人で癌の母、癌で在宅の祖母、認知症の祖父、喘息の長女の4人を見るのには、限界があります。
ナース妹が一人暮らしをやめて実家から専門学校に通い始めました。
イントラ妹も、祖母の癌がわかってから、 後悔したく無いと仕事を辞めて戻ってきてくれました。急な時や誰かの通院の時に休めるように、私の旦那のお店でアルバイトで働いて、ずっといるわけでも無いけど、私1人じゃ買い物すら行けない状態だったので助かりました。
メインは私ですが、在宅での医療行為は資格を持った妹がいてくれたので助かりました

ずっと長女はひとりっ子でしたが、やっぱり将来のことを考えると、これを1人でやるには無理があり、長女の性格を考えると負担も大きく共倒れしてしまう。そんな思いがずっとありました。