母の命日が近いので、12年前のことを振り返って書いていますアセアセあの頃、必死でだったし、どんどん記憶も薄れつつあります。

2006年12月3日に母が倒れて救急車で運ばれてから…
膵臓から出血しているからと、20日間絶食で入院ぐすん
市立病院に運ばれそれのまま入院になりましたが、PET検査が市立病院ではできない。
消化器科の先生は、あまり癌を疑っていなかったけど、私とナース妹でどーしてもと頼み込み、年末ギリギリで他の検査できる病院に行った。
新年早々、検査結果はすい臓がん

親戚一同、癌になった人がいない為、かなりショックでした。

しかもすい臓がんは、サイレントキラーと言われ、気付いた時には余命3ヶ月と言われていて、実際この後、半年後に祖母もすい臓がんが発覚しますが、余命3ヶ月と宣告されました。
母は、出血で発覚して運良くまだ手術ができる段階でした。先日お亡くなりになった星野仙一さんも、膵炎からのすい臓がん発覚でした。母も、手術できることで望みがあるのでそこまで落ち込みませんでした。

高速を使い1時間半掛かる癌専門の病院で手術するか、そのまま近くの市立病院で手術するか…ナース妹とかなり悩みましたもやもや看護学校の先生や友達、知り合いの医療関係者から情報を収集してくれたナース妹。人脈って大切ですニコ

市立病院でも、すい臓がんの手術は年間数件やっている。
外科の医師を母が慕っている。
がんセンターは予約が多い為、すぐに手術できない。←これが1番のポイントでした。
その後の放射線や抗がん剤治療を考えると近場がいい。
もしもの時にすぐに行ける。
まだ幼い長女がいるので、長距離は大変。

などの理由で、2007年1月22日に市立病院で手術することが決まりました。