庭の白梅が早くも満開となった。
梅の花が咲くと、十三年前の二月に亡くなった猫のコーキーを思い出す。
食べれなくなり、毎日、背中へ皮下注射をしてもらいに動物病院へコーキーを連れて行った。
仕事の日は、営業車を自家用車に乗り換えて、猫を動物病院へ連れていった。
が、ついに私の腕のなかで息絶えてしまった。
その時詠んだ短歌は
永眠のコーキー
ドビッシーの‘月の光,を今宵聞く息絶えてゆく猫を抱きつつ
吾が腕の中で「ニャッ」と鳴きて逝くコーキーを撫づ安らかな顔を
亡き猫を抱きしまま打つメールなりしだいに温もり冷えてゆくなり
窓に見る庭の白梅花盛り二月二十六日愛猫が逝く
十二年前の如月家猫となりしコーキーが如月に逝く
愛用のピンクのキャリーに永眠の猫のコーキーを寝かす夜半なり
鉢植えのシンビジウムの桃色の花を切り添う亡骸の猫に
線香の桜の香り燻らせて永眠の猫に添い寝する夜半
おちこちへ匂いを嗅ぎつつ鳴くノンノ相棒猫の姿探すか
亡骸から猫の匂いも昇天かひたすら他をノンノは探す
今となっては、思い出のひとこまである。
今日は、日帰り温泉に来ている。
源泉が涌き出ている露天風呂が一人の湯浴み客だけで、静かに風情に浸れた。
いつもここを占拠しているにぎやかなグループが帰った後だったようだ。
ラッキー
去年亡くなった友達を思い出した。
一つ下の友達とこの場所で浸かっていたら、若い女性に親子ですかと聞かれたことがあったなあ。
懐かしい思い出となってしまった。

