フリースペースでwrapというプログラムに参加してきました。
日本語にすると「元気回復行動プラン」というもの。
大勢が集まって、自分の思ったこととかを言っていくグループワークなのですが…。
初っ端、紙に呼んでほしい名前を書くよう言われ。そこからつまづいてしまった私。
大勢の中でニックネーム考えて公表するなんて絶対ムリで、仕方無いから名字を書いて、そこから空気読まない感を醸し出してしまい…。
言いたい人から自己紹介、と言われ。
タイミングも分かんないし、一番最後に嫌嫌みたいな雰囲気で自己紹介するハメになり…。
いわゆるグループワークに参加するの、本当に嫌いなんだと、再認識することになりました。
見学とかにすればよかった。そんなのあるか分かんないけれど。
調子を整えるために役立つ方法を見つけましょう、という趣旨のプログラムだったと思うのですが、私にとっては、多数派との違いについて考察を深めるプログラムになってしまいました。
発達傾向ありの少数派の私は、同じ精神障害者の括りでまとめられていても、その中の多数派、いわゆる定型発達の人たちの考えや感じ方に違和感を覚えることがよくあります。
講師の方は間違いなく多数派。
ニックネームで呼びあって自己紹介して仲間意識を高めて、自主的に発言するよう促すことで主体性を持たせて、といった感じ。
対して、自他の距離感が上手くつかめない発達さん、知らない人に仲間意識持ったら大変なことになります。
そもそも、距離感のある親近感みたいなよく分からないものが気持ち悪い。
空気に合わせてテキトウに乗っておくというのも気持ち悪い。というかそもそも無理ですね、空気感がわからないから。
多分、講師の方は、発達さんの感情が全く分からなかったと思います。反抗的に見えてただろうな、と。
まぁ、もう一生会うこともないだろう講師さんがどう感じていても、いいんですけれど。
その中で、ひとつ、強く感じたのは。
講座の本質からは全くずれたところで感じた気付きですが。
以前から、調子の悪くなる兆候は何ですか、という質問が私には難問だったのだけど。
その質問が定形さんの感覚だったからなのだろうなと、感じました。
幼少時から周囲への違和感の中で生きてきた発達さん。
物心つく頃からずっとストレスフルな環境にいて、鬱っぽかったりストレス反応が出てたりするのが通常運転。
つまり。
調子が良い状態、という経験が乏しいのです。
いわば、ずっと風邪ひいてて時々肺炎になるのが普通、みたいな。
元の「元気」な状態に戻りたい、という感覚は分かりません。
だから、当然、調子が悪くなる兆候なんて分かりません。
逆から見ると、精神疾患を発症する前の元気な状態を知っている辛さ、というのは私には分かってあげられない辛さと言えます。
それも、ものすごく辛いのだろう、と想像は出来ますが。
普段から、普通の人との感覚の違いは常に感じているけれど、これほど強く考えさせられたのは、ほぼ初めてでした。
こうして、漠然と思っていたことを文字にまとめてみて、もしかしたら今日の経験は、辛かったことにカテゴライズされてもおかしくないんじゃないかと、思いました。
一緒に講座に出た人が、来てよかったと一つも思わない、と怒ってたけど、それは正確な反応だったのかも、と。
でも今の今まで、辛かった可能性を感じていませんでした。
それは多分、違いを考察できたのが興味深かったから。
そして、なんで「調子の悪くなる兆候」が分からないのか、論理的に解析できたから。
だから、私的にはかなり得るところの有ったプログラムだったのでした。
ちょっと、講座の目的地とは違う場所に、着地した感はありますけどね…まーいいか。