安全のみを考えて進むべきか、多少の無茶は承知の上で挑むべきか。
状況次第、程度次第で、どちらも正しいのだと思います。

一番大事なのは、自分で決めたと納得できること。人に流されて決めさせられたという感情があると、乗り越えられない。自分の事なのに、その人に責任を着せてしまうから。

ともすると、支援側は本人の最善を考えすぎてしまうのかもしれません。その考えの基盤は本人から聞き取った事。本人は確かに自分の考えを言ったのだけど、いつでも全てを伝えられる人なんていない。
時として、いや、もしかしたら往々にして、もともと不完全な言葉は人と人の間を渡っていくたびにさらに色を変え形を変え、思いを超えて考えもよらぬ方向に転がって行く。

本人は自分の思いを言い、支援者はそれを受け止めて動いてて、それなのに結果は本人の思いからかけ離れて行く。
それを食い止めるのは、本当に難しいように思います。
本人としては、自分の言ったことで周りが動いたのだから、修正をかけるのはワガママで振り回すようで気が引けます。
でもその全ての結末を引き受けるのは、支援側ではなく本人。
その事実は、本人として絶対に外さず認識しているべきです。そうじゃないと納得できなくなるから。

ずっと以前にある方から「○○という状況になった時には利用していただいていいですからね」と言われたことがありました。人を利用する、という概念は私にとってとても不遜に思えました。どう言う意味なのだろう、とかなり長い間考え続けましたが分かりませんでした。今でもきっと充分には分かってはいないと思いますが、それは多分、助けにはなれても結果を代わることのできない他人としての立場をとても謙虚に認めた上で、自分に成しうることは行いたいと言う誠実な願いなのだと感じます。さらに、本人つまり私にも主体的に自分の責任者として動く事を求めています。
支援を受ける上で、そのように関わっていただけるよう、本人がその認識を忘れないのは大切なことと感じます。言い過ぎの嫌いはありますが、提供される支援を上手く自分の為に利用するべき、ということ。支援を提供する側の感情的充足感を満たす事を目的に自分を利用させない事。とても難しく思いますが。

安全策と挑戦することのバランス、そこは試行錯誤するしかないことで正しい形は無いのだと思います。経験豊富な人の意見を聞ける機会は本当に貴重なので感謝して参考にしたいです。でも、支援側が自分の知見を押し付けて本人の要望を潰しにかかるのは絶対に間違っている。本人が納得してれば失敗したって死なないです。次に活かせます。逆の場合は、暗雲しかない。上手く行ったとしても後悔が残ると思います。


ここしばらくずっとモヤモヤしていた事、文字にできるくらいに、やっと形になってきました。文字にした事で実体が見えてきました。
支援してくださってる側から実質上潰された道、一気に開通した道、その内容ではなく進め方が、納得できなかったのかもしれません。開通させてくださってる道は、自分にとっては正直に言えば滑り止め。そんなことは多分お伝えする事はできないと思うけれど、とりあえず明日、第3の道の可否を自分で確かめてこよう。
ちょっと、負けん気湧いてきたな。がんばれ理論武装。