実家も婚家も比較的裕福な方ですし、標準的なレベルと比べるとおそらく贅沢に育った方なのかもしれません。
もちろん、上を見ればキリがないし、下を見てもキリがないですし、所属する世界によって判断は迷うところではあります。
ただ、小・中・高と私立へ通い、大学・大学院は国立へ行き、それなりにガッツリとピアノを習っていたので、そちらの費用もかかり、ということで、私の教育のために、両親はそれなりの資金を投下しています。
ただ、それと、自分自身がお金に苦労したことがあるかどうか、ということはまた別の話となります。
私の感覚としては、物心ついたころから、結構お金に関することで苦労ーというか、いやな思いーをしてきました。
もちろん、ごはんを食べられないとか、そういうレベルではないのですが:
1.お小遣いがない
まず、お小遣いはありませんでした。
あなたには教育費がかかっているし、必要なものは買ってあげているでしょ?
というのが親の理屈でしたが、買ってくれる必要なものは私が欲しいものとはかけ離れていて、買ってもらってもちっともうれしくなかったのです。例えば、ピアノの発表会のためのドレスは準備してくれても、それは子供心に嬉しいデザインでは全くなかったのです。
そちらにお金がかかるから、ということで、普段着はだいぶ質素でしたし、紺とか黒とか、そういう色の服ばかり着ていました。
2.お年玉は没収
周りはお年玉を全額/一部自分の欲しいものに使っていたのですが、一切そういうのはありませんでした。
私がお年玉をもらった分、親は別のだれかにお年玉をあげているため、という理屈でした。
そうすると、お年玉をもらっても、何もうれしくないです。一応お礼を言って、当てつけのように、目の前で親に渡していました。
3.ピアノのコンクールは出ていない
自分で言うのもおこがましいですが、かなりピアノは上手な方でした。
先生からは、ぜひ〇〇大学を受けるべき、そのためにコンクールも出ましょう
というお話をいただいていました。
でも、コンクールって、出場するだけでお金がかかること、特別レッスンもそれなりにかかること、
音大を受けるにあたって、さらに合格したあと暁にはお礼等々も(かなり)かかるということがわかり、
あっさりとそちらの道は絶たれてしまいました。要するに、ピアノ自体、強制終了です。
高校1年の半ばのころでした。
今となっては、親はお礼の件など知らないでいたのか?と不思議で仕方ありませんが、許容範囲以上の出費は断固として出さない人たちでした。私の才能が、「ショパンコンクールで優勝→世界的なピアニストとして活躍する」レベルではなかったというのもあるかと思います。
4.大学時代のアルバイト代は親管理
高校時代の紆余曲折の影響で、その後の成績はあまり伸びなくて、結局不本意な大学へ渋々進学することになりました。
そうはいっても、大学生になったし、クラブやサークルにも興味があったのですが、
「不本意な大学へ行ってまで、あなた、お友達を作りたいの?」
と言われてしまうと、自宅から通っていた身分としては、逆らうほどの度胸はなかったのですね。
そうすると、必然的にバイトに励むことになります。大学の講義をまじめに聴講して、家庭教師と塾の講師を週4-5日入れて、結構な金額を稼いでいました。たいしてお金を使うことがなかったので、お金は全部郵便局に預けていましたが、その通帳は親が管理していました。
私が持つと、つまらないものにお金を使うから、という理由です。
5.単位を落としたら振袖代を払えといわれる
現役で大学生になったので、大学1年で19歳になります。
20歳の成人式の振袖を買うことになり、三越だったか、高島屋だったかの外商がどこかのホテルで開催した振袖フェアに連れていかれ、結局150万円もする振袖を買ってもらうことになりました。
内心、そんな高価なものを買うぐらいなら、もう少し別のところ(私が欲しいもの)に使ってくれないだろうか?
と思いましたが、親の自己満足で買うのであれば、いいのだろうと思っていました。
そうは言っても、一応、「そんなの高いの、なんだか申し訳ないのだけれど、、、」ぐらいは言うものです。
そうしたら、
「ああ、大学の単位を落としたら払ってもらうから。バイト代も貯まっているでしょ?」
という返しでした。
嫌な気分になったこと、この上ありません。
結局、1科目単位を落としてしまいましたが、妹も着るのであれば絶対に払わないと頑固に言い張り、払っていません。
6.洋服は母・妹と共有
母と妹はベッタリな人間関係で、モノを共有することに全く抵抗がないのですが、私は心のそこから嫌でした。
私自身は長女ですが、他人様からお下がりをいただくことには全く抵抗がなく、母のお下がりも特に抵抗はありません。
ただ、現役で誰かと共有することがものすごく嫌なのです。
それを言ったことは何度もあるのですが、そうすると母の好きに洋服を買えないという事情があるので、即却下でした。
普通はバイト代を洋服代に充てて、好きな服を着れるのが学生時代なのですが。
7.短期留学の費用は自分持ちなのに文句を言われる
そんなこんなで、ほとほと精神的に疲れ果てていたので、とにかくいったん日本を出たくて、大学2年の夏休みを使って短期留学をすることにしました。
費用はもちろん自腹ですが、バイト代がかなり貯まっていたので、お支払いは余裕です。
でも、ものすごく文句を言われました。
理解できなかったので、何をいわれたのかは覚えていません。
8.卒業して1年間働き、大学院へ
大学を卒業してから1年間働いたのですが、自分の卒業大学は不満だったので、学歴ロンダリングのために大学院へ行くことにしました。
専攻の特色上、大学院へ行く人はそれなりの割合がいるので、別のびっくりするようなことではありません。
無事に父の母校に合格したので、大学院の授業料は出してもらえることになりましたが、その他は奨学金とバイト代で賄うことになりました。
ここでやっと、両親の虚栄心が満たされて、お金は自分で管理できることになりました。
しかし、彼氏の影がちらつくようになると、一気に不機嫌になり、執拗な攻撃に悩まされることになります。
親にお金を出してもらって勉強をしている身分で男と遊ぶとは不埒な。
という理屈です。
9.大学院修了後は妹と二人暮らし
当初、私の目標としては、大学院の間に結婚相手を見つけて、修了と同時もしくは少し遅れて結婚するつもりでいました。
でも結局どの人ともうまくいかず、再び就職しました。
お給料は決して高くありませんでしたが、都内で一人暮らしをできないわけではなかったです。
ただ、父がちょうど転勤となったため、妹と二人暮らしをすることになりました。
その時の生活費は折半でしたが、当時は妹が大学院生だったので、妹の生活費は父が負担していました。
どう考えても、妹の経済状態が裕福だったので、こっそり彼女の通帳を見たことがありますが、かなりの金額の仕送りがなされていました。
それを見て、私はもしかしたら父の実子ではなかったのかしら?と思ったほどです。
10.父の日・母の日・それぞれの誕生日プレゼント
妹は私と違って、お金の苦労をしたことがありません。
単純に両親との関係が私と違うためだと思います。
ただ、そのためか、彼女は「父の日・母の日・それぞれの誕生日プレゼント」にかなりの金額のものを贈りたがりました。
ヴィトンのバッグとか、ヴィトンとのポロシャツとか。ヴィトンシリーズが多かったです。
いくら折半とは言え、そのたびに4-5万円程度の出費はキツイ。ある時とうとう半泣きで、「そんなにお金ない」と訴えたのですが、
「親への感謝の気持ちがないの!?」とかなり批判され、結局続くことになりました。
11.なかなか昇進しない→奨学金の返済開始
就職した先はそんなにお給料はよくなかったのですが、虎視眈々と昇進を狙って日々頑張っていました。
でも、なかなか昇進=お給料アップとはならずにいました。
奨学金の返済は5年間猶予を付けてもらったので、その間に何とか、、、と考えていたのですが、結局ダメで、奨学金の返済は始まってしまいました。
12.転職→お給料アップ
大学院を修了して6年経過した年末、転職活動をしたわけではないのですが、勤務先同士の思惑で転職することになりました。
お給料は大幅アップして、やっと人並みな感じになりました。
それまでの間に、貰い損ねたお金や、払いたくもなかったお金、当然のように強いられる費用負担などがあって、
どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのかしら?
と思ったことは多々あります。
ただ、今にして思えば、その時に嫌な思いをして、何とかそれを回避して自分が欲しいものを手に入れる方法を模索した結果、それなりに知恵がついて賢くなったと思うし、うまく立ち回ることが出来ることも増えたと思います。
転職した後も、別にバラ色の生活が待っていたわけではありませんが、とにかく妹との二人暮らしをやめたくて、お金を貯めて引っ越ししました。両親と妹の3人から相当に文句を言われましたが、
「もう、決めたことだし、私は限界なの」
と我を通す強さも身に着けました。
賢い方ならすぐにお分かりだと思いますが、両親はいわゆる毒親です。
本当に、今にして思えば、彼らは彼らで必死だったのだろうし、自分たちができる範囲で精いっぱいのことをしてくれたのだと思いますが(思いたい)、単に私とは相性が悪かったのです。
やっと手に入れた一人暮らしで、毒気に当てられ続けておかしくなった精神状態や考え方を少しずつ是正していくことが出来たと思っています。それで遅まきながら、主人と出会って(出会ったのはだいぶ前ですが)、結婚できたと思っています。
両親や妹とは、時々会って食事をするようにはなりましたし、妹とは専攻が同じなこともあって、仕事の相談をすることもあります。
結局、巡り巡って、今は親が住んでいるマンションの別の階に住んでいるのですが、親は親で丸くなったし、妹は妹で考えることもあったのか、比較的良好な人間関係です。ただ実家と同じマンションに住んでいる割には、実家に出入りすることはあまりありません。
平均すると、週に1回、それも用事があるときだけです。
直接的にお金に困った、ということもないわけではないですが、使いたいようにお金を使えない期間が本当に長かったのです。
でもそのおかげで、欲しいものを買えることが本当にうれしいし、使うときには本当によく考えて使えています。
また仕事の面でも、転職した後、さらにその関連組織に異動になって、順調に出世、それなりの裁量権をもてるようになりました。また裁量労働制でもあるので、自分の時間をかなり自由に使えるようになり、その有難さが身に染みるのです。
苦労した分、有難みがわかるのだとよく思います。

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