久しぶりに小説を読んだ。
『傲慢と善良』という恋愛ミステリー小説。
婚活をしている私にとっては、
すごくドンピシャな、小説だったな。
何人アプリで会ってもピンと来ない。
”ピンとこない”の正体は何なのだろうと、考えていた。
小説に出てくる、結婚相談所の所長が言うには、
自分の価値に見合った人が来ないと、
ピンと来ないという。
自分の価値を高く見積もりすぎているのだと。
私は、いつも、婚活で人と会うたびに、
自分の隣にその人が並んだ時に
しっくりくるかどうかを考えていた。
その感覚は、自分の価値に見合うかどうか
相手を評価していることと同義のように思う。。
自分の横に並ぶのにふさわしい人。
『傲慢と善良』
私は、この小説の中にいると、傲慢として描かれる気がする。
客観的に自分を見ると、いったい何様で、
そんなふうに人を評価できるのかとも思う。
けど、同時に、私は自分が理想の自分になるために、
自分が幸せを感じられるように、
実現したいことを現実にするために、
それなりにちゃんと努力をしてきたとも思う。
高校の頃はどちらかというと勉強は劣等生だったけど、
それでも奮起して関西の有名大学に
現役で合格した。
就活も、大手企業に内定をもらった。
入社後も、自分のキャリアを描きながら、
都度方向修正して、自分で舵をとって、キャリアを歩んできた。
夢だった海外生活も、自分で会社と交渉して掴み取った。。
私の意志を大切に、私らしさを大切に、
自分を、大切に扱ってきた。
大切にしてきたからこそ、自分の自分から見た価値はちゃんと高い。
そんな自分の横にこんな人がいてくれたらいいと願うことは、
それでも傲慢なことなのか。
アプリで出会った人は、多くの人が良い人だった。
でも、大切な私を、私のことが良いという人であれば、
”良い人だから”という理由だけで誰にでもあげていい、
という感覚には、到底なれない。
どんな人にも強みも弱点もあって、
でも、どんな人も100点の価値がある。
だから、一人一人の良いところを
発揮できるような職場になればよいと、
職場ではそう語っていて、本心でそう思っているのに、
いざ、自分の結婚相手となると、
そういう気持ちで、誰もを受け入れることはできない。
私にふさわしいかどうかに、
人としての点数があるわけではない。
その人は100点。価値が低いからではなく、
私の心が喜んでいないからという、それだけの理由。
私の心が喜ぶ。
この人がこれからの人生隣にいてくれるなら、
私は幸せだね、よかったね、と自分自身に言えるような、
自分が心から幸せを感じる相手を、自分のために選んであげたい。
そういうことなんだと思う。
だから、やっぱり、
はたから見ると、傲慢で、わがままであっても、
私の心が喜ぶ人を選びたい。
この感覚を大事にして、婚活を続けたい。