だから今僕の前歯は偽物ということになる。
どうして折ってしまったのか。
三輪車で急な坂道をくだったのだ。
もっと言うと、三輪車の後輪をアルキャリアという台車の溝にはめて坂道をくだった。
仮に平坦な道だとしても、三輪車はやや前傾姿勢になるような格好になる。
後ろの台車には兄と友人が乗り、三輪車には僕が乗った。
後ろに二人分の重量を乗せた三輪車は、急な坂道をものすごいスピードで降下する。
三輪車にはブレーキがなく、焦った僕は脚でブレーキをかけようと両脚を地面に突き刺し、思っ切り踏ん張る。
すると後ろの台車のスピードまでは抑えられないため、三輪車ごと坂道を転がることになった。
顔から地面にぶつかり、顔を擦った状態で何メートルか進んだ。
止まった先で、小学4年生の僕は痛みを堪えながら何が起こったのか考えていた。
すると後ろから兄の声がする。
「何か白いのが落ちてる…歯だ…歯が落ちてる!」
(…歯?)
一瞬何を言っているのか理解できず、僕は兄の兄のほうを向く。
すると兄が1センチほどの白い欠片を僕に見せる。
手で口のあたりに触れてみると、本来あるはずの歯がなかった。
厳密に言うと、本来よりも高めの位置に歯が移動しているような感じで、ザラザラしていた。
そして僕は歯が折れてしまったことを実感する。
大きな声をあげて泣いた。
泣くのは悔しかったが、何か大きなものを失くしてしまったという感覚が恐ろしく、ひたすら泣いた。
帰り道の間、ひたすら兄が謝ってくれたことを覚えている。
僕は、よく兄とその友人三人で遊んでいたが、一個下の僕はいつも損な役回りが多かった。
おいしいところは大体兄が持っていき、余り物をその友人と分け合うという感じが多かった。
その日は、「久しぶりに、たかしが三輪車乗っていいよ」と言ってくれ、僕はとても張り切っていた。
いつもなら兄が乗るポジションに、僕が選ばれたからだ。
そんなやり取りがあったため、兄は罪悪感を覚えたのだろう。
家に帰ると、母親にものすごく怒られ、しゅんとしていた兄の姿を覚えている。
次の日は家族で箱根に旅行することになっており、その箱根旅行の家族写真で、僕は歯が欠けた状態で顔に痛々しい傷をつくり、ピースして笑っている。
そんな出来事があった日からおよそ5年後、今度はその友人が前歯を折った。
僕はその場にいなかったので、兄から話を聞いたのだが、自転車に乗っていて転んで折ったのだという。
兄はその自転車を運転しており、友人はそのカゴの中に体育座りの状態で乗っていたらしい。
なぜ友人が体育座りだったのか疑問があるが、罰ゲームということだったらしい。
そのとき兄は「またやっちゃった」と言っていた。
人間の本質は変わらないらしい。
おわり。