○ 新聞 映画と演芸 週刊 No.64 S.23.5.16 (裸体舞踊は美の極致です 勇敢に衣裳をぬいだ片岡マリ 「ヴィーナスの誕生」でガクブチを出して裸流行の先駆をなした帝都座ショウでは今度は「名画アルバム」で片岡マリがガクブチから脱け出して踊る、ムッチリと盛上った乳房、美しく均整のとれた肉体が描き出すあやしき魅力に観客はこうこつとして見とれ「名画アルバム」は今や帝都座ショウの名物となった。片岡マリ・・・彼女は銀行家を父に持って京都に生れ裕福な家庭の一粒種として育ち、幼ない時からエリナ・パブロナ(或るいは、エリアナ・パブロバ)の許で洋舞を学び、昭和16年に研究所を卒業後田園調布の自宅内に研究所を作って大ぜいの門下生を教え、日比谷公会堂でリサイタルを開いて優れた素質を認められ、その後服部島田バレー団に参加、更にアーニーパイル舞踊団に入って進駐軍将校の間に人気を博したが、その時起ったしゃく熱の恋愛事件は彼女の心に非常な大きな痛手をあたえたが、今度帝都座ショウで勇敢に衣しょうを脱ぎすてて再出発したのだった。帝都座の楽屋に片岡マリさんを訪れると、舞台で見るような〇〇な成熟しきった女性とはおよそかけ離れた、まだ女学生気分のぬけ切らない淑やかお譲さんだ。「私は皆さんから考え方がとても子供っぽいといわれるんですけど、いつまでも純〇な子供の心と美しい夢を失いたくはないと思っています、正しい訓練を受けた者が衣しょうをぬいで踊るなら立派な芸術になるといった信念で母の理解を得てやっています、変に利用される事はいやですが、正しい芸術の為ならどんな非難を受けても勇敢に戦ってゆくつもりです、衣しょうをぬいで踊ることは肉体の線がごまかせませんから非常にむづかしくて、ちょっとでも邪念入ったら線がくづれてだめになります。ペテロがキリストから目を離した瞬間海に落ちたお話と同じで少しも油断が出来ません、ガクブチの中でポーズをつけている時も、レダなりマヤの気持になって舞〇のある〇止した瞬間のつもりでやっています」マリさんのお父さんは十年前に亡くなったが、洋画も描きピアノもヴァイオリンも弾くといった芸術味豊な人で、マリさんもその血を受けて暇があると洋画を習っている、ロマンチックな映画が好きで「悲恋」を三回も見たそうで、舞踊もジャズ式の物よりクラシックな物が好き「一番大きな夢・・・それはいい音楽でいい舞台でいい当トウシューズでバレーを踊って見たいことです」写真は「名画アルバム」の中のアンコールワットを踊る片岡マリとその素顔→写真は省略)