ITベンチャーで働く社員から、就職活動に勤しむ学生へ -2ページ目

『どうして現場に血が流れるんだ!』

 映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』で青島刑事が言ったこのセリフは、前回同様に会議室への強い怒りが込められています。本来、一丸となるべき現場と会議室の足並みが乱れ、会議室の無理強いが現場に影響を与え、挙句は現場に血が流れる―同じ組織のメンバなのに、なぜ傷付けるんだ! という青島の強い怒りが込められた名セリフだと言えます。

 では、なぜこのセリフは生まれたのか少し背景を説明しましょう。

 台場役員連続殺人事件で犯人に急接近した捜査本部でしたが、柏木雪乃刑事が人質として誘拐されてしまいます。青島ら現場の人間は台場を駆けずり回り、沖田管理官は台場の封鎖を命じますが、どちらの捜査網も、犯人は掻い潜って行方知れずのまま。しかし偶然、恩田すみれ刑事が犯人と遭遇、自首を呼びかけますが犯人は拳銃を振りかざして応戦します。そこへSATと青島刑事が到着。SATは拳銃の発砲許可を捜査本部に要請します。

「待って、現場に民間人がいるの?」

「発砲許可を!」

 SATの鬼気迫る命令要請に沖田管理官は戸惑いながらも、出した結論は「ダメよ、民間人に当たったらどうするの。SATは下がって! SITは何やってるの!」というもの。SATは無線を通じて「下がれ!」と言い、その場で待機の姿勢を取ります。

 やがて拳銃の銃口は、泣きじゃくる子供に向けられ、犯人が発砲しようとした瞬間、子供を助けようとした恩田すみれ刑事に銃弾は命中してしまいます。騒然とする現場、そして会議室。恩田刑事が撃たれたと知り、刑事課長が捜査本部に飛んで入ります。

「管理官! あのぉー、私の部下はどうなりましたでしょうか?」

「どうして? 何で気になるの? 足りなくなったら補充して!」

 その言葉に現場の人間でなく、捜査本部全員がどよめきます。

「みんな言うことを聞きなさい! 服務規程違反で飛ばされたいの? 勝手な行動ばかりして。今、捜査を立て直すから」

 そう言う沖田管理官ですが、もはや誰もついて行くという姿を見せていません。そして、そこへ血まみれのコートを着た青島刑事が登場し、沖田管理官の前で、そして地下室で半ば監禁されている室井管理官に叫びます。

「室井さん……仲間が撃たれた。どうして現場に血が流れるんだ!」

 この言葉に室井管理官は奮起し、捜査本部に戻ります。一方、沖田管理官は更迭され、代わりに本部長となった室井管理官が犯人逮捕に向け、指揮を執り始めるのです。

 この流れから解るように、沖田管理官は現場と会議室の人間を徹底して使い分け、現場の人間は使い捨て可能であると思っています。同じ組織のメンバでありながらも下っ端は変えの利く人間、会議室の人間は代えの利かない人間と分けられているようです。しかし、この考え方は何も傍流というわけではなく、金融系証券系では大量採用で「代えの効く人間」を確保し、その中から「代えの効かない人間」を育てています。また派遣なども、そうではないでしょうか。ただこのケースでの問題は代えが効く人間か否かという点では無いと思います。先ほどもお話しましたが、会議室が情報を基に正しい判断を下さなければ、被害を蒙るのは現場だという切羽詰った問題にあります。

 拳銃を持った被疑者が人質と一緒にお台場で暴走中―その情報は既に、捜査本部にもたらされていました。またSATから発砲許可を要請されるほど、切羽詰った緊急事態です。にも関わらず、沖田管理官は正しい判断を下せず、その代償として恩田すみれ刑事が拳銃で発砲されるという惨劇を生む結果になってしまいました。まさに「事件は会議室で起こしている」状態になってしまったのです。

 皆さんにも経験はありませんか? 調理場のことなんて何も知らない店長が、無理難題の注文を言ってくる。それが原因で、現場は混乱し結果として店長の注文どころか他の注文にまで影響が出た。そう言えば、安倍自民党が参議院選で惨敗しましたが、1人区は特に酷い負け様でした。地方が小泉改革の犠牲になったからと言われていますが、これも中央の人間が改革による成功を焦りすぎたために、痛みが地方に押し付けられたと見て取れなくもありません。命令する側と命令される側の正しい形態こそあるべき組織形態なのでしょうし、またこのエピソードにはそれを解く大きな鍵があると思います。

 それは「心得」と「立ち位置」ではないでしょうか。

 「心得」とは言うまでもなく会議室のメンバとしての「心得」ですが、それは同時に現場の人間としての「心得」でもあります。恩田刑事が撃たれた原因も根本を辿れば、犯人が隠れている場所に気付いた恩田刑事が勝手に現場に急行したことも一理あります。もっとも恩田刑事がそのような行動に走った原因として、だらしない会議室の人間の何時までも下せない判断を待っている訳にもいかない、という焦りがあったのは否めないでしょう。つまり会議室の人間の心得として、刻々と変化する現場の状況を臨機応変に判断して結論を下すという役割と、現場の人間の心得として、その命令に従い業務を遂行するという役割があると言えます。しかし、ここで忘れてはいけないのは現場の人間には、会議室の人間に聞くまでも無い、自分自身で解決しなければいけない問題が山のようにある、ということです。現場の役割は2つあることになります。つまり会議室の人間は、現場が持つ2つの役割を理解しながらも、的確に判断しなければならない―この心得は、かなりの重責だと言えますが、だからと言って務まらないというのは言い訳です。また現場の人間は与えられた課題と自らがこなさなければいけない課題に、どのように折り合いをつけて解決していくかが焦点になります。恩田刑事の場合、同僚が人質として誘拐され、それだけでなく署内の一家スリグループの長女が行方不明になるという事件を抱えていました。そこへ青島刑事が同僚誘拐事件のアジトと思しき場所を見付けたという情報を聞きつけ、居ても立ってもいられなくなるのは「状況が常に刻一刻と変化し、常に判断が要求される」現場の人間として当然ではないでしょうか。皆さんが恩田刑事の立場だったら、どうしますか? 判断を下すのが致命的に遅く、現場を駒としか思っていない上司に「私も行って宜しいでしょうか?」と聞いたとしても無視されるのがオチで、しかしだからと言ってその命令に従っていられるほど状況は楽観視出来ません―。皆さん自身が逆に沖田管理官の立場だったら、どうしますか。それを考えてこその、組織学です。

 次に「立ち位置」ですが、これは「与えられた役割を真っ当するためのポジション」とでも言えるでしょう。与えられた役割というのは、何も役職に即した仕事内容を指すのではありません。現場の捜査員が本当に出来ることは何か。捜査本部の管理官が本当にしなければいけないことは何か。それを考えることこそ、組織には必要だと思います。例えば私は新卒の社員です。しかし会社はベンチャー企業で、もしかしたら明日潰れるかもしれません。であれば、普通の新卒社員のようにしていてはいけない訳です。新卒社員という役職、肩書きに捉われることなく、今自分が本当にしなければいけないことは何か。それを考えてこそ、先ほどの人間学ではありませんが目の標でより良く心眼で自分自身を捉える事が出来るのではないでしょうか。さてこの映画のケースに当て嵌めて言えば、恩田刑事や沖田管理官の行為は果たして本当に「与えられた役割を全うした」と言えるのでしょうか。私には、そうは思いません。冷静になって考えてみれば、恩田刑事の行動も完全に役職を全うしているとは言い難いのです。では、なぜ彼女は現場に急行しようとしたのか。それは会議室への不信感に他ならないのではないでしょうか。不信感が増幅することで、自分でやらなければ仕方が無いと「自分の役割を切り替え、その責務を真っ当しようとした」のだと思います。決して誉められたやり方ではありませんが、認められないとも言えません。なぜなら、現場にとって「犯人逮捕」が最優先課題となっているのですから。

責任転嫁のような言い方かもしれませんが、トップがしっかりしていないと組織はいとも簡単に瓦解するということは、この沖田管理官や前回の武田勝頼、安倍首相の例でも明らかになったと思います。

 命令する側、される側。そんなの忘れて、楽しくやろうや! 皆さん、そう思うかもしれませんが、この関係は切っても切り離せないものがあります。バイト先で、サークルで、就職活動で、この関係は常に出てくるでしょうし、人間関係の悩みでも、この形態はよく聞く話です。組織とは何かを考える上で、この会議室と現場の命令系統ほど奥の深い話はありません。アルカイダなどの「リーダーのいない組織」が一時期、話題に上りましたがそれでも自発的なリーダーシップを求むなら、全員がリーダーとなってしまいます。ピラミッド型でない、アメーバ状の組織―代表的な企業としてはリクルートや京セラ―の方が皆さんカッコ良いかもしれませんが、社員は毎日が決断の連続です。アメーバ組織の方がピラミッド型よりも充実しているか? 問題の本質は、そこに無いと思います。全てはその組織に所属する人間の考え方、捉え方の問題であり、先ほどの人間学では無いですが、器や志だって大きく関係するのではないでしょうか。ですから、昨今は行政改革などが叫ばれますが、いくら組織を統合したり働く環境を整えたりしても無意味で、本質的な部分で言ってしまえば、働く人間の意識が変わらなければ組織はどんな組織形態であれ、永久に変わらないと思います。それは現に、沖田管理官の更迭後に室井管理官が就任した直後に犯人逮捕に至った点から見ても明らかです。

『事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!』

 映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』での、あまりに有名なセリフです。事件が起きるのは現場で、現場を指揮するのは会議室。そんな当然なことを言っているセリフなのに、映画が上映されていた頃は猫も杓子も誰もがこのセリフを口にしていました。それほど、このセリフは人々の胸を打ったということになります。

 このセリフが出てくる背景を説明しましょう。

 青島と恩田両刑事は独自の捜査手法で、吉田副総監誘拐事件の犯人に肉薄します。そして被疑者が未成年の19歳であることを捜査本部に伝えますが、捜査本部や上層部の人間(警視庁警視総監を始めとする、局長級クラスの人間)はこの報告を無視。あろうことか現場の青島たちに「勝手に動くな!」と命令します。しかし、そこへ捜査本部の人間が室井管理官に「報告があります」と顔を青ざめ近寄ります。

「吉田副総監のご子息が、自分は本店の副社長の息子だ、と」

 吉田副総監誘拐事件で、犯人は吉田氏を「本店副社長を誘拐した」と言っています。室井管理官はすぐさま「ご子息は何歳だ?」と聞きます。

「19歳、です」

 室井管理官はすぐさま青島に無線で犯人確保の命令しようとしますが、上層部の人間がそれを止めます。「もう着いちゃってます!」と青島は、被疑者と思われる未成年の住むマンションに向かっていることを明かしますが、それでも上層部の人間は「勝手に動くな!」と怒鳴ります。それに室井管理官は苦悩の表情で、どちらにも答えようとしません。

 現場に着いた青島は被疑者の住む階を突き止め、室井管理官に無線でそれを報告。「突入しますか?」と聞きますが、上層部は「所轄は勝手なことをするな!」と応戦。「室井さん命令してくれ! 俺はあんたの命令を聞く!」と言う青島ですが、そこへ被疑者と思われる少年が青島を凝視していることに気付きます。

「被疑者と思われる少年に見られました。追いかけます!」

現場ならではの行動力ですが、それに会議室はついていけません。「おいこら、勝手に動くな!」と上層部の人間が怒鳴った瞬間、青島は叫びました。

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」

騒然とする上層部の人間、そしてやり取りを聞いていた捜査本部。室井管理官は今までの邪念を振り払うかのように「青島確保だ!」と命令を下しました。

そして、立ち上がります。「どちらへ?」と聞かれて、室井管理官は答えます。

「現場だ」

 と。

 この流れから解るように、組織が巨大過ぎるあまりに、決定までの時間が掛かり過ぎる会議室にイラつく現場、会議室の命令を遂行するのは現場であるのに、命令遂行者の現場の意見が余りに反映されない現状にイラつく現場―会議室と現場の対立が、このセリフには背景としてあります。

皆さんにも、このような経験をバイトなどで体験したのではないでしょうか。居酒屋チェーン店の店長は執拗にマニュアルを強要するが、そのマニュアルを遂行すれば逆に現場が混乱してしまう。試合に負けてばかりいるサークルのリーダーが「もっと頑張って行こうぜ!」と張り切るが、自分達の意見を聞いてくれないのに頑張りようが無い。これらはいずれも「現場で働く人間」と「現場を指揮する会議室」の意識の乖離から起こるものです。では、この意識の乖離が発生する最大の要因とは何だと思いますか。

答えは「情報無き会議室」と「権限無き現場」にある、と言えます。

もし先ほどのシチュエーションで、会議室に「被疑者は未成年」という情報がもっとスムーズに入っていたら、青島刑事に犯人逮捕の権限があったら―このような「事件は~」というセリフは無かったでしょう。居酒屋のチェーン店の店長がマニュアルは現状にそぐあないと知ったら、居酒屋の店員にマニュアルを上回るマニュアルを作成出来る権限があったら、サークルのリーダーが負け続ける原因を知ることが出来たら、自分達の意見をサークルに反映させることが出来る仕組みを作れる権限があったら―ifの話ばかりですが、そんな些細なことで組織は変わっていくのだと私は、思います。

どうせ言ったって解ってくれない。そんな理由で情報を会議室に上げないのは間違っています。情報を的確に判断するのは会議室の役割です。そして情報をもとに会議室は現場に指示を出すのですが、それが出来ないのは現場が悪いのではなく、会議室が悪いのです。今回のケースで言えば、青島の情報を的確に判断しなかった会議室の『判断ミス』と言えるのではないでしょうか。

名官房長官と言われた後藤田正晴氏は、官房長官在任時にかの有名な後藤田5訓というのを部下に訓示したことがありますが、その際に以下のような一節があります。

「悪い本当の事実を報告せよ」

「勇気を以って意見具申せよ」

「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」

 都合の良いように事実を捻じ曲げて報告するのではなく、勇気を持って真実を報告する。そしてその真実を元に会議室は判断を下すから、例えそれに文句があったとしても命令には従い実行する―。この言葉には、現場と会議室の関係が集約されています。

 今、ここにいる皆さんは殆どが現場の人間だと思います。どうか腐らず、今出来る最善のことを行なって下さい。事件は現場で起きています。皆さんがいないといけないのです。

会議室の方々にとって皆さんは必要ですし、皆さんは会議室の助言が必要です。

はじめに

 皆さんは踊る大捜査線というドラマを見たことがありますか。現場と会議室、本店と支店―警察ドラマというよりかは、組織論が随所に織り込まれたドラマであり、2度の映画化と何本かのスピン映画&ドラマが製作されています。今回は映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』と映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』を中心に、実際の映像を見て貰いながら、説明をしていきたいと思います。

人間学の応用―山本五十六から学ぶべきこと

恐らく山本五十六と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、あの有名な言葉でしょう。「やってみせて言って聞かせてやらせて見てほめてやらねば人は動かず」という言葉は、今なお経営者の心を震わせていて、生きている言葉であることを証明しています。とは言っても真珠湾攻撃の責任者の1人であり、あの戦争の発端を作った人物であることに間違いはありません。しかし、それをどうこう言うつもりはありません。第2次世界大戦ならび大東亜戦争がどういう性質であるかというのは皆さんの判断にお任せするとして、今回は最後に今まで学んできた人間学を応用して、山本五十六という人間を人間学的に研究しましょう。

 彼は海軍大将、連合艦隊司令長官まで昇り詰めた人物です。とは言っても、戦で武名を挙げた武田勝頼というよりは「男の修行」などで勇名を挙げた教育者として有名で、その人心の手解きは豊臣秀吉に似ていると言えるのではないでしょうか。

 山本五十六という人物は、好き嫌いが激しい人間として有名でした。かなり評価の分かれる黒島亀人や南雲忠一という人物を寵愛しており、黒島は真珠湾奇襲攻撃や特攻を考案し、南雲は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の主将として有名です。一方で東郷平八郎や宇垣纏とはソリが合わず対立ばかりしていました。ここは、人間の器と大きく関連してくるべき点でしょう。黒島に関しては「コイツは独創的なアイディアを練る」と言い続け、周囲の「同じ参謀が作戦を練っていたのでは、手の内が見破られる」という意見に全く耳を傾けませんでした。しかし戦争状況が悪化の一途を辿るに連れて、ようやく「黒島を他の者に代えようと思う」と小沢治三郎に打ち明けていますが時既に遅し。黒島の代わりとなる適当で有能な人物は、黒島を庇い続けたことで周囲にはいませんでした。器の小ささが、人間を遠ざけていたことになります。これは甲子園松井秀喜5打席敬遠事件と同じような意味があります。1992年2回戦対明徳義塾。明徳義塾馬渕監督は、松井に対して5打席連続での敬遠を指示します。これは社会問題にまで発展しましたが、試合後に星陵高校山下智茂監督は「松井に続く5番打者を育成しなかった自分が悪い」と言い切りました。1人の人物に入れ込み、その能力に惚れ込む事は簡単ですが、勝つことに目の標を置かず、松井の成長に目の標を置き、試合後のインタビューで「松井がかわいそう」と吐露したその姿は、高校野球の監督だと言えるか疑問ですし、その姿は山本五十六が黒島を悪く言う人物に対する姿勢に似ているように思えます。

 と言っても、それら人事に対する姿勢を差し引いても、山本五十六の功績は否定されるべきものではなく、現にそれは戦死後にドイツより剣付柏葉騎士鉄十字章を授与されたことからも明らかです。国内全体が米国憎しに傾く中でも『アメリカを敵にまわすということは、全世界を敵に回すものと同じことである』と訴え続けたことは、慧眼の目があったと言えるのではないでしょうか。山本五十六自身、35歳で駐米武官としてハーバード大学に2年間留学した経験から、そういったことが言えたのでしょう。実際、日本では専売だった塩や砂糖が、アメリカでは市場において自由で売られている姿を見てアメリカのその巨大な資本に慄いたといいます。普通、国内の世論に推されて言いたいことが言えなくなることはよくあることで、例えば小泉政権下において「構造改革」に反対しようものなら、非難のファックス、イタズラの電話は鳴りっ放し、支援者からは見放され、検察に逮捕すらされた政治家までいました。しかし山本五十六は日独伊3国軍事同盟に反対し、ましてや日米開戦においては徹底的に反対し、そのおかげで右翼や国粋主義者から暗殺を狙われるほどで、連合艦隊司令長官という「現場の最高責任者就任」に、歴史家曰く「生粋の会議室人間」が就任するという異例の事態になったほどです。皆さんなら、山本五十六と同じようなことは出来ますか? 2001年4月、異様な雰囲気で就任した小泉純一郎に向けて「貴方の政策だと地方は疲弊します」と、田中眞紀子に向けて「あなたは間違っています」と世間に公言出来ましたか。山本五十六にそれが出来たのは、やはり心に秀でる何かがあって、それが日本の行く末に危機感を持っていた―志が、慧眼の目が山本五十六を突き動かしていたと言えるのではないでしょうか。ただ、いざ本当に日米開戦が避けられないとなると、山本五十六は主戦論短期決戦を主張し始めました。これを変説と言う人もいるでしょうし、もしくは日米開戦は避けられなかったのだから仕方が無いと言う人もいます。皆さんはどうでしょうか? 私には、西のムネオと言われ抵抗勢力の代表に言われながらも、郵政民営化をキッカケに賛小泉への変貌を遂げ、安倍内閣農林水産大臣の役職に就き、疑惑を抱えたまま死に至った松岡利勝氏に見えてなりません。

 反論は大いに結構です。意見に反論し、反証し、そして議論が出来るのです。相手の言うことを鵜呑みにして、どうなるというのですか。人を言っていることを、ただただ鵜呑みにしていて、どうなるというのですか。勉強というのは、不思議だなぁ、どうしてなのだろう? と思ったことを知るために必要な手段です。人は考えるから、勉強するのだと思います。考えない人間になると、新聞の言っていることを真に受け、テレビの言っていることを真に受け、時代に流され、気が就けば言い過ぎかもしれませんが無職です。

 ライブドアの堀江さんも1年経ったら犯罪者扱いです。では、彼はどんな罪を犯したと言えるでしょう? 知っている人はいますか。私が就職活動する頃、日本におけるベンチャーへの期待は最もピークに位置していました。ベンチャー出身の政治家の本が飛ぶように売れ、堀江さんはテレビに出続けていました。しかし、堀江さんの逮捕をきっかけに日本列島を覆っていたベンチャー頑張れ! という風土は、一瞬で消え去りました。皆さんはどう思いましたか。何を思い、何を考え、どのように行動しましたか?

 これで人間学の講義を終えることにしますが、器や志、目標こそ人間学に欠かせないメジャーだと思って下さい。あとは皆さんが、どのように自分の考えと柔軟に織り交ぜるかが大切です。私は政治学科なので比喩に政治を多く多用しました。経営学科の人は色んな経営者のエピソードと絡ませながら立証すれば良いと思いますし、教育系の人は自らが教師になった時は生徒にどのようにして「人間学」を教えるか考えれば良いでしょう。また真宗系の人は親鸞聖人の思想と照らし合わせるのも良いかもしれません。皆さんは、それぞれ専門性を持った勉学をされているのですから、その専門性と照らし合わせて特に吸収し自分の知識として下さい。それが皆さんに出来る、器を大きくする大一歩になります。

武田勝頼から学ぶ「器」と「志」そして「目標」

 今までは戦国時代の有名人を取り上げましたが、今度は少しマイナな人物を取り上げたいと思います。武田勝頼―ご存知、武田信玄の息子さんであり、武田家20代当主、そして武田家滅亡の責任者と言われています。

 父・信玄の病死により27歳で家督を相続しながらも、36歳で自害していますから約10年間で最高武田軍団を自壊させたことになります。世の中は全て諸行無常であることの例のような「組織自壊」の主演ですが、何がいけなかったのでしょうか。人間が出来ていなかったのでしょうか? 今度は武田勝頼を例に人間を学びましょう。

 武田家滅亡の責任者である武田勝頼ですが、武勇に関しては他と遜色しません。家督を継いでからも、信玄ですら落とせなかった高天神城を落城させているのですから、戦に関しては信玄に負けず劣らずと言っても良いでしょう。しかし、組織の長としての器は全く無かったかもしれません。

 まず、家督就任から散々です。勝頼の就任に反発を抱いた人々は武田家から離反しています。就任も、信玄の病死からすったもんだした挙句ですから(信玄の弟・信廉が就く予定だったという説があるぐらい)、当然と言えば当然です。小渕首相の脳梗塞によって、急遽5人組が推薦して就任した森首相と、反発しクーデターを起こした加藤紘一の構図が解り易いかもしれません。

 衰退の兆候は家督就任から2年後の「長篠の戦い」に起きます。一時は信長包囲網の黒幕の1人だった信玄ですが、その死によって信長は助けられ、今度は逆に勝頼に危機が生じます。信長からすれば「坊主憎けりゃ袈裟まで」の心境ですし、勝頼からすれば「武田家の総意として勝たなければいけない(信玄の晩年は織田家滅亡だったため)」という心境の境地でしょう。それらが、この長篠の戦い」でぶつかり合います。

 この戦は信長が鉄砲を使ったことで有名ですし、そのことからも武田側の大敗が窺えますが(ちなみに、この戦が有名になったきっかけは黒澤明監督の影武者がきっかけ)、この戦にはある伝説があります。

・信玄が生きていた頃からの重臣らは敗戦、死を覚悟して酒を飲みまくった

・しかし勝頼が寵愛していた部下らは信長・家康連合軍との対決を述べた

 この武田家大敗の戦で流れた伝説から窺えるように、勝頼は秀吉よりも「器」も小さく「志」の無い人物だということが解ります。信玄時代の部下はついてこないし、勝頼時代の部下は媚びる。信玄時代の家臣からは比較されて仕方無いですし、比較された結果として「信玄を上回らない」と判断された以上、組織は衰退せざるを得ません。しかも勝頼が寵愛していた部下は合戦を主張、旧来との部下と意見の衝突を起こしています。結果として合戦し敗北し、その後の武田家は衰退の一途を辿っています。ではどのような衰退を辿ったか、簡単に纏めてみましょう。

 勝頼は戦の後も織田家(徳川家と同盟が結ばれ織田・徳川連合軍)に苦しめられ、あれほど戦った上杉家と和睦しましたが謙信死後の選択を誤り(後継者問題で、周囲が推していない人物を選択。結果、その人物が後継者になった)、北条氏政まで敵に回してしまいます。四方を敵に囲まれ、窮地に陥った勝頼は強固な城の築城に着手しますが、これが部下に大不評であえなく断念。挙句は、信玄の娘婿が築城の負担増に我慢出来ず、寝返り。この寝返りに慌てふためいた勝頼の叔父は、戦わずして降伏。いよいよ疑心暗鬼に苛まれた部下は瞬く間に逃亡に謀り、いよいよ勝頼は自害する―。

 簡単なあらましを見てお解かりかと思いますが、武田家滅亡は戦に破れて滅びたのではありません。450年の伝統は、勝手に崩壊したのです。組織が自壊したのです。

 なぜ、こうなったのでしょうか?

 勝頼の器が小さかった。志が無かった。あるかと思います。しかし、最大の「原因」は、目標が無かったことに尽きるのではないでしょうか。

 武田勝頼という人物は、家督を継ぐために半生を生きていません(名前に武田家の通字である「信」でなく、勝頼の母・諏訪家が襲名してきた「頼」が使われていることからも、家督本命ではなかった)。武田信玄という希代の「軍師」が急死したために、急場の策として、祭り上げられたに過ぎないのです。だからこそ、秀吉ですら掲げられた、組織の長として欠かせない「目標」も掲げられませんでした。

 目標とは、目の標と書きます。意味としては成し遂げようとして設けた目当てであり、目印を意味します。つまり目の届く範囲内での「しるべ」であります。最も目の届く、とは実際に肉眼で見える範囲ではなく心眼という言葉があるように、イメージトレーニングで見えているつもりになって、その範囲で標を置く―目標を設置する、という意味もあると言えるでしょう。

 組織の長となるために、心眼をもって「自分ならこうする」という見方もせず、ただ信玄の部下として、類稀なる戦の能力を発揮していた勝頼。それが、いきなりリーダーになったからと言って、心眼が変わり、視野が広くなるはずがありません。あの小泉純一郎ですら「3役(幹事長・総務会長・政調会長)に就任しなかったのは、それで一丁上がりになる可能性がある。自分は総理大臣を目指すから、あえてならないようにした」と語っているように、常に「自分が内閣総理大臣自民党総裁ならどうするか」と考え続け、だからこそ5年もの長期政権を築くことが出来ました。

 皆さんは、どうでしょうか。就職活動に勤しみ、もしくは院生として勉学に勤しみ、殆どの方が「今している仕事を、他の誰かに引き継ぐ」という作業を経験されていると思います。もしくは経験が無い1回生、2回生の学生も、これから経験するでしょう。その時に「こいつに任せたら大丈夫だな」という人間を選んでいると思うのですが、その基準は何でしょうか。

 かつて中曽根政権が発足する際に「神輿は軽くて、パーが良い」と金丸信が言ったように、自分の影響力が保持出来るような自分に忠実な部下を選ぶべきなのでしょうか。

 そんな筈がありません。組織は組織、自分は自分です。組織で働く従業員を束ねるには秀吉が築城で見せた『目標=ミッション』が必要です。その目標を明確にし、かつ従業員に与えられる人物こそ、後継者足りえると言えるでしょう。つまり目標無き人物は「後継者」足り得ないし、言うならば器も小さく志も無い、と言えるのではないでしょうか。

「人間」を学ぶ上で武田勝頼ほど勉強になる人物はいません。父親の死という悲運に遭遇したのは仕方が無いですし、本人にその意志があったのかは不明ですが、武田家の家督を継いだ以上は、運命と諦めて全力を尽くすべきでした。人の上に立つ以上、それをしなければいけないと思います。そしてそれが出来ないのであれば、さっさと辞めるべきだと思います。人の上に立つには、それぐらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。

これは何も、人の上に立つ人間に限ったことでは無いと思います。皆さんの先輩を思い浮かべてみて下さい。どれほどの人間が、笑顔で仕事をしていますか。心の底から、楽しいと言っていますか。毎日が面白いと、本気で言っている人は回りにどれくらいいますか。

どうか、辛いことがあれば今日という日を思い返して下さい。

目の標は肉眼で確認出来ない所でも心眼で見えれば大丈夫です。それを馬鹿にされたとしても、無視すれば良いのです。肉眼で見えない目標でも心眼で捉え、そこに近付こうとする意志が大切だと思います。そのためには志が必要だと思います。心に士を持ち、どんな非難や罵詈雑言にも耐え、心に秀でるもの―熱い魂、情熱、絶対に負けないという勇気や希望、熱意を持ち続けて下さい。そうすれば、かならず目標は達成されますし、今まで馬鹿にしていた人が自然と寄って来ます。その時は、皆さんの大きな器をもって受け入れて下さい。何十人でも、何百人でも、何千人でも受け入れられる器となって、また大きな目標を立てて欲しいと思っています。それが、人間としての成長を促すのではないでしょうか。

つまり「人間学」とは、自分自身が成長するために必要な学問であり、人を見ることで自らを省みる学問だと思います。そして省みるに足りる大きな要素として、器・目標・志が挙げられると思うのです。

豊臣秀吉から学ぶ「人間学」 後編

 さて以上の3つをお話しましたが、間違いなく言えることは「人の上に立つ能力に優れていた」という点ではないでしょうか。人の上に立つとことは、下の人間に指示し、仕事を割り振り、時に叱咤し、場合によって激励しなければいけません。浅井・長倉の戦いや中国大返しなどを見ても「人に指示するリーダーシップ」に長けていたことは間違いないと思われます。特に上記のエピソードに関して言えば、部下に酒と肴を提供し、褒美を授けただけで、築城という立派な功績を残しているのですから、見事としか言えません。

 このことから、秀吉は「能力の長けた、出来る人間」として評価を下しても間違いではありませんが、少し待ちましょう。今までの秀吉は言うなら中間管理職であり、上司もいるし、部下もいる秀吉です。では晩年、天下人となった秀吉の立ち振る舞いは如何ほどだったと言えるでしょうか。

 以下は、秀吉が天下人―社長となった以降の「疑惑の事件簿」です。

・関白秀次/前野長康切腹命令

 ―>前野長康は秀吉が信長に使えていた頃からの家来であり、最古参の家臣

・千利休自害命令

・黒田孝高(官兵衛)引退命令

 他にも「疑惑の事件簿」は山のようにあります。秀吉は天下人に近付けば近付くほど、周囲の人間を自害・迫害・引退へと追い遣っているのです。なぜでしょうか? それを窺い知るエピソードとして、秀吉の黒田孝高評があります。

「お前たちはやつの本当の力量をわかっていない。やつに百万石を与えたら、途端に天下を奪ってしまう」

 秀吉にとって天下とは達成しなければいけない目標でした。そのために家臣を集め、部下を集めていたのですが、いつからか天下それ自体が目的となり、それに邪魔な人間は放出の憂き目に遭っているのです。

 あの「優秀なリーダーシップを持った能力に秀でた秀吉」は、どこに行ってしまったのでしょうか。どちらが本物の秀吉と言えるのでしょうか。

 答えは「両方、秀吉」なのです。

 昨今の例で言いましょう。小泉内閣の官房副長官で脚光を浴び、幹事長―官房長官を経験した安倍首相。幹事長時代はリーダーシップをもって党改革に着手、公募制の礎を築いたとされています。しかし首相就任後は全てが後手になり、戦後最悪の辞任で幕を閉じました。安倍氏の本質は変わっていないはずなのに、役職・立場が違うだけで、なぜ人はこうも変わってしまうのでしょうか。

 その答えは「人の上に立つプレッシャー」ではないでしょうか。エピソードの頃の秀吉は築城責任者で、現場100人程度の上に立つ程度でした。しかし一国一城の主にあり、地域を治め、広範囲の地域を治め、やがては国を治めるとなって、そのプレッシャーは半端なものでは無かったと思います。

 就職活動において、面接で「大変だったことは?」と聞かれて「アルバイトのリーダーになったこと」「サークルの責任者になったこと」と皆さんは答えるのでしょうが、そんな地位と比べ物にならない重圧が降り掛かります。なぜなら人の上に立つ人間の上に立ち、彼らを束ねて指導し、かつ組織として躍動させ、自分の目標を達成させながらも下に立つ人間の目標も達成させなければいけないからです。

 その昔、中国の春秋・戦国時代以後に生じた知識人のことを「士」と言ったそうです。それから何かに特段秀でた人のことを「○士」と呼びます。武に秀でれば武士、無宇小企業の診断に秀でれば中小企業診断士、看護に秀でれば看護士。何よりも、心に秀でるものがある人間を「志」があると言います。

 秀吉の「疑惑の事件簿」は志ある人間の行為と言えるでしょうか。

よく、このような秀吉の疑惑の行為を「器の小さい人間のすることだ」と言う人がいます。そのそも、器とは既成の象形文字または指事文字を組み合わせて出来る会意文字で成り立ち、様々な入れ物という意味を成します。器が小さい、とはすなわち容器として小さいという意味になります。

では何を入れるには小さいのか。配下となる人間です。部下です。そして時と場合によっては、企業の行く末であり、国家の命運です。

秀吉に優れたリーダーシップがあったのは、事実でしょう。しかし、ある時点から容量オーバーになったのではないでしょうか。役職が上がっても、器が大きくならなければ意味がありません。

そして器に入る人間が限られるなら、器の中で暴れ文句を言う人間よりも、自分の言うことを素直に聞くイエスマンにしがちです。しかし自分に素直なイエスマンばかりでは、心に秀でるものが大きくなるわけがありません。結果として、志が奪われるのです。

皆さんには、どれくらいの器がありますか。何人の人が入りますか。人が入ることで心にある、秀でたものは変化しますか?

 秀吉の話から、私たちが学んだことは人間の器であり志ですが、これらは人を推し量る上で欠かせないものになります。バロメータのようなものです。私が思うに、これら器や志を学ぶことこそ、人間の学―すなわち、人間学となるのではないでしょうか。

もっとも秀吉自身、死の間際に悟った可能性があります。辞世の句に、それが汲み取ることが出来ます。

露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

豊臣秀吉から学ぶ「人間学」 前編

 豊臣秀吉と言えば天下人として有名で、農民・百姓から天下統一を成し遂げた、言わば立身出世の人物です。現代に置き換えると、ヒラのサラリーマンから社長、政治家、内閣総理大臣まで上り詰めたようなものでしょうか。

 もちろん、そこまで位を極めたのですから「人間としての能力の出来」は並外れていると言えます。例えば、このような話があります。

 戦に向けて城の築城の責任者を織田信長から命じられた秀吉ですが、その築城は前任者が「自分では任に堪えない」と吐露した曰くつきの役職。人が嫌がる仕事を秀吉はすんなりと引き受け、さっそく現地に赴きます。ところがなんと、現地では築城のために集められた人がドンチャン騒ぎで大盛り上がり。築城が遅延し、責任者がクビを切られたのにこの大盛り上がり。普通の人なら一喝するでしょうが、秀吉は彼らに酒を出し、肴を与え「まぁ、頑張ろう」と声をかけただけ。その秀吉の行為に疑問を抱いた彼らは、話し合いで代表者を選出して秀吉の下に赴きました。そして言うのです。

「なぜ、あのようなことをしたのか?」

 城の築城の期限が守れないのは自分達のせいではないのか? という意味でしょう。しかし秀吉はそれに応えず、違うことを言います。

「城をただ作るだけでは面白くない。一番早く作ったものに褒美をやろう。そうだ、今回の戦では石垣が重要になる。立派な石垣を最も早く作った人間に、褒美を授ける!」

 秀吉の言うことの意味が解らずポカンとする代表者に向かって、さらに続けます。

「何人かで分けて、石垣を作らせる。5人一組はどうだ? 距離はこれくらい。さぁ、どうする? 褒美はこれくらい」

 その褒美の額を聞いた代表者は慄いたそうです。その額は、1年は何もしないで暮らせる額でした。代表者はさっそく現地に帰ると、秀吉の話を説明。全員が目の色を変えたのは言うまでもありません。

 果たして。

 城の築城は、あれほどの遅延にも関わらず1週間で完成。まさに突貫工事でした。もちろん石垣を一番早く作った人間たちに褒美を授けたのは言うまでもありません。

 この話には後から手を加えられたという説もありますが、しかし秀吉が「なぜ百姓ながら、天下人まで上り詰めたのか」について、少しながら垣間見ることが出来ます。

 その1。前任者が「任に堪えない」と言った役職を、秀吉は好んで就いたこと。

この役職は今で言うなら「呪われた農林水産大臣ポスト」でしょうか。政治と金に纏わる疑惑で、自殺、辞任、また辞任―誰だって、そんな役職嫌がるに決まっています。しかし秀吉の考え方は違います。「この役職で成功すれば、俺は一気に出世出来る!」と思ったのです。まさに、ピンチはチャンスです。誰もが嫌がる仕事をするので、少なくとも周囲からは一目置かれるでしょうし、成功すれば御の字。失敗したとしても「2人続けて失敗するようでは、その仕事自体に無理があるのでは?」という声だって沸きます。何より、目立ちます。まさに、損して得とれ、と言えます。皆さんは短期的にしか物事を見ず、この仕事をしてみたい、こんなことが出来たら良い、そんな考えで就職していませんか。この仕事をすると何が得られるのか、成功するとどうなるか、失敗すると何が起きるか。例え始めは損でも、長期的に見れば得だ―そんな見方も必要です。

その2。現場の人間を一切叱らず、クビにせず、能力を伸ばす施策をしたこと。

 あなたがもし秀吉の立場だったとして、前任者が辞任し、かつ仕事が遅れているのに、ドンチャン騒ぎをしている従業員を見たら、どのような行為に出るでしょう。叱るでしょうし、上の人間に「あいつらクビにして下さい!」と掛け合いませんか。しかし秀吉は酒と肴を提供した。それが逆に、現場の人間への「目覚め」を引き起こしました。叱るのは簡単です。クビにするのは、もっと簡単です。しかし、それで何が解決するというのか。もしかしたら前任者が無念の辞任をしたことで、悔し紛れのドンチャン騒ぎを起こしているのかもしれませんし、仕事が遅延しているイライラでドンチャン騒ぎをしているのかもしれません。現場を知らない人間が、現場に口を出さない。秀吉は、組織のルールを知っていたと言えます。人間の奮起させるきっかけは1つではありませんし、目覚めさせるきっかけは1つではありません。「あいつは出来ない」と決め付けるのは簡単ですが、それではあなたの仕事は解決しません。

 その3。明確な目標を提示して、仕事に意味を見付けさせたこと。

 今回のエピソードで際立つのは、現場への「褒美」です。仕事を遅延させているのは彼らなのに、なぜ褒美まで出す必要があるのか。答えは簡単で、モチベーションの低下ではないでしょうか。酒と肴を出すことで目覚めた現場は、話し合いまでして代表者を秀吉に送り出しています。秀吉からすれば「しめしめ」と思ったことでしょう。現状に「不満」を抱いていることを上司である自分に伝えてくれたからです。普通の上司なら「一緒に頑張ろう」と話をすることで終えるかもしれません。しかし、秀吉はそんな彼らに想いを馳せています。仕事の内容が不満なのか、この仕事への意味が見出せないことが不満なのか、そもそも現状自体が不満なのか。皆さんは「5人1組でチーム制になって仕事に掛かる」ことに驚きを見出したかもしれませんが、これはあくまで目的を達成するための手段です。秀吉は現場の人間に手っ取り早い「金銭」というニンジンをちらつかせて目標を明確にして、さらに仕事の達成とリンクさせました。それが「仕事を早く終えた人間に、褒美をやる」という言葉に現されます。しかも仕事を終えることは秀吉の最重要課題です。つまり秀吉は目標と仕事の目的を提示することで奮起を促し、それを自分の利益としたのです。誰かに何かをして貰うとき、あなたはその理由を言っていますか。人間はどんな些細な仕事にも「意味」を求める脳を持ちます。それがモチベーションに繋がります。もともと、モチベーションとは動機付け、という意味すらあるのですから。

はじめに

 人間学とは何でしょうか。人間を学ぶと書いて人間学と書きますが、ではどのようにして「人間」を学べば良いのでしょうか。

 よく仕事で大きなミスをすると「お前は人間が出来ていない」と常識に叱責されたり、あるいは安倍首相が最近辞任しましたが、その際は評論家から「政治家としてではなく、人間としてやってはいけないこと」などと辛辣な批判をされたりしました。

 このことから推測するに、どうやら「人間が出来る」とは「その人の能力の出来不出来」に関係しているようです。今回は、この「人間」を学ぼうと思うのですが、ただ学問として学んでも面白くないので歴史上の人物から「人間」を学び、学問として昇華したいと考えます。