たくさんの決心をしてブログを始めたのに

全く更新しなくなって、年も明けてしまいました


タイトルに

「あまりにもたくさんのこと」

つけましたが、

本当にその通りで。。。



新しい年が始まって6日目、

急に、母が逝ってしまいました



私の母が、若年性アルツハイマーであることは、

以前に書きましたが、


昨年の10月ごろから足の弱さが顕著になり、

自宅でヘルパーさんひとりで面倒をみてもらうことや、

父がひとりで対応することに限界が出てきたことから、

11月10日、特養に入所することになったのです


12月、

仕事の都合で帰れないだろうと思っていたら、

ボスから帰ってくればとの配慮をいただき、

12月29日~1月2日まで帰省することができました


12月30日から1月1日まで母を外泊させることになり、

(さまざまな現実を見ることになるのですが)

本当に元気で、食欲もあり、

大脳新皮質がほとんど萎縮していると言われているにもかかわらず、

母らしいところも、驚くほど強く残っていたり、

思うことの多い帰省でした


・・・このときのことは、また、別につづろうと思います



1月6日の朝

私は前日から喘息の発作があり、とてもつらい状態でした


病院へ行こうと思いながら、動くのもおっくうで

ようやく自宅を出る準備をして、

玄関で靴を履いて、まさにドアを開けたとき

携帯電話がブルブルと震えました


父の名前が、小窓に表示されていました


「もしもし」

「もしもし。お父さんやけど。お母さんが救急車で運ばれたらしい」

「え?」

「心肺停止しちょるごとある」

「・・・わかった。すぐ帰るごとする。」

「おう」



次の瞬間、私は靴を脱いで部屋に戻り、

ボストンバッグを取り出して、

一番最初に喪服を詰めました


なぜそんなことをしたのか分かりません


でも

お母さんは、もう、逝ってしまうのだ


そんな確信がありました


そして

ふたたび携帯が震えたのは

父からの

「お母さん、だめやったわ」

という連絡


すぐに羽田へ向かいました

実家に戻り

仏間に横たわる母に会いました


お母さん、どうしたん?

そうとしか、思いませんでした

それくらい、まるで本当に、

美化するでもなんでもなく、

眠っているようで、微笑んでいるような

そんな母の死に顔でした




母が死んだという現実

葬式を出すという現実

あんな現実、こんな現実、現実、現実・・・それから葬儀が終わるまで


人の死というもの、

葬式というものが、

これほど、人間の世の縮図になっていようとは


初めて知る

そしてこれkら知っておかねばならないことが

いろいろと見えた数日間でした



まだ

本当に泣いていないような気がします


泣ききれていないような気がします


こんな気持ちも含めて、

また、

つれづれに

つづっていきたいと思います



自分なりに

気持ちの整理をしていくために


母の死を

自分の中でちゃんと受け止めるために


よき

おくりびと

なるために




先週末から、

なぜか無性にカレーが食べたかったのですが、

やっと今日、お休みだし、天気もいいし、

じっくりカレーを作る気になりました。


といっても、別に本格的なわけではなく、市販のルウを使います。

具は、じゃがいも、たまねぎ、にんじんはもちろん、ぶなしめじとしいたけ。



私のカレーの原型は、小さいときから食べていた、家のカレーです。


晩御飯がカレーだった場合の翌日は、

朝からカレー、帰ってきてもカレー、

おなべに残っているカレーがもったいなくて、

おなべにご飯を入れて火にかけて、カレーご飯にしてまで食べつくしていました。



もう、二度と食べられない、母の作ったカレー。

すりおろしたりんごと、牛乳が入っていたように記憶しています。



私の母は、若年性アルツハイマーを患っています。

アルツハイマー病の症状のひとつに、

物事を順序だててできなくなる、ということがあります。


料理を作るには、どの材料を、どう切って、どう調理して、何でどんな味付けをして。。。と

とにかく段取りが必要です。

アルツハイマー病の人は、これが苦手になることが多く、

料理の味がおかしかったり、調理法が材料に合っていなかったり、といったことが

しばしば起こります。


母がまだこの病であると診断される前、でも、すでに症状が始まっていたころ、

母の作る料理の味がおかしいことに、祖父は気がついていたようです。

思えば、スーパーで惣菜を買って帰るようになったのも、この頃です。


「じいちゃんと2人っきりやし、作っても残るし、まあまあおいしいから。」


外で作っているものは、何が入っているか分からないといって、

あまり口にしたがらなかった母の、変化のひとつだったのです。


母の料理は、次第におかしくなったようで、

もともと器用な性質である父は、自分で料理をするようになります。


そのことに、母がイラついていた時期もありました。

「私が作ったものは食べもしないで、自分勝手ばかりする!」

よく、電話で怒っていました。

そのうち、お父さんは料理が好きだから、よく自分で作っている、

けっこうおいしいのだ、といったようなことを言うようになりました。


今なら分かる、母の変化。

そのときの私には、分かりませんでした。


母が、若年性アルツハイマー病であると診断されたのは、

それから1年弱のちのことです。




中学・高校と6年間、毎朝5時前に起きて、

私のお弁当を作ってくれていた母。


実家に帰って、料理を作り、母と食べると、

母は決まって言います。


「あんた、料理上手やなぁ。 お母さんは、とっとダメやけど。 あんたは、ばぁちゃんの血を引いたな。」


そんなことないよ、お母さん。

私は、ばあちゃんと、お母さんと、両方の味をしっかり食べて育ったから、

だから、料理をするのが好きなんだよ。

お母さんのお弁当、毎日楽しみだったんだよ。

下宿に送ってくれてたレバーの煮物やお肉の佃煮、ホントにおいしかったんだよ。



もう、二度と食べられない、母の作ったカレー。

だけど、私の作るカレーは、母のカレーを食べて育った私のカレーなのです。



ご飯にかけて食べるのも好きだけど、

カレーだけつまみにしながらお酒を飲むのも大好きで、

今日はこれから、カレーで一杯、といこうかと思っています。




私は今、

ある議員の事務所で働いています。


議員のホームページを開設しているのですが、

このホームページを作成・管理してくださっていた後援者の方が、

先月急に亡くなってしまいましたしょぼん


とりあえず、ホームページについて調べてみたけれども、

あまりに急で、ほとんど手がかりがない状態。


ど素人の私としては何もできず、

知人、蒲劉(がりゅう)氏の力をお借りすることになりました。



蒲劉氏は、父より少しお兄さんで、

とっても多趣味な方です。

釣りうお座やら写真カメラやら、とにかく、凝り性!

ホームページももちろん開設していらっしゃる。


蒲劉氏がホームページを開設したとき、

どうしてもサイトを転送できず、悶々と1ヶ月ほど挑戦し続けたのだそうです。

ようやく気づいたのは、たった一つ、大文字と小文字の違い!

そして、めでたく、転送できたときのうれしさといったらなかったと、

なぐさめられながら、

パソコンと格闘すること3時間半・・・やった~!更新できてる音譜


蒲劉氏、本当にありがとうございました。

お礼しなくちゃならないのに、ご馳走になってしまい。。。飲みすぎましたガーン



しばらく、天気の悪い日は、ホームページの更新にはまることになりそうです。


でも、ホームページの原型は、

亡くなったKさんのお気持ちを大切に残しながら、やっていこうと思います。


Kさん、これまで、ありがとうございました。

これからも、議員を見守っていてくださいね星空