「憲法無視、新自由主義」「優生保護法」「障害者差別」「植松聖」(20240729)

 

最高裁で「優生保護法」が「憲法13条、14条違反」だと認められた。国が法律によって人権を奪う事は、絶対に許されない。長年苦しんできた被害者に対して、国は、誠実に保障を開始しなければならない。

 

しかし、48年も続いた「優生保護法」が国民の中に「優生思想」を深く根付かせたと考える。生まれながら持つ「人権」は、「公平、公正」のもとにあり「障害者」と「健常者」とで分けられることはない。戦後、憲法の理念を国会議員、国民は理解した吸たのか。

 

憲法を順守すべき国会議員が全員一致で「優生保護法」を成立させたことも問題だが、同法を48年も存続させたことこそ大問題なのだ。国会議員や国民の多数が「優生思想」に染まり「権利主張出来ない人たちを押さえつけてしまったからではないか。

 

バブル崩壊後、税収入が減少する中で政府は福祉政策を変えていった。小泉、竹中新自由主義路線は「官から民へ」をスローガンとし、収益事業ではない福祉事業にも経済原理をを導入し「指定管理者制度」で社会福祉法人を参入させた。

 

県立だった津久井やまゆり園も、社会福祉法人の運営に変った。バブル崩壊度に社会では「自己責任論」が吹き荒れた。政府の責任を放棄し「小さい政府」を目指した新自由主義小泉竹中政権の仕業だ。彼らによる憲法「人権」無視の始まりだ。

 

「人間の価値を生産性の有無で判断」する」という恐ろしい「優生思想」が、公然と主張される時代となった。「植松聖」が得意げに語る主張に、自分の中にも植松が居ると思い怯える人が居た。そういう人には今一度日本国憲法を読んで欲しい。

 

そもそも、生まれながらに持つ「人権」は「公平、公正」に扱われるのが前提条件だ。憲法の条文を理解していれば、人に対して「生産性の有無」を考えるという愚かな発想など浮かぶことはない。「差別主義者」は、論理的思考の出来ない人々んだ。

「差別主義者」は「社会を破壊する言動」をしながら「表現の自由」を主張する。憲法が保障する自由は、権力(政府)から発言者を守るためであり、「少数者や社会的弱者」を「誹謗中傷」する表現には全く当てはまらないことは裁判で明白だ。

8年前、「植松」は犯行前にアベ総理に対して手紙を書いた。「植松」は、新自由主義者アベであれば理解してくれると考えたのだろう。「植松」は、津久井やまゆり園で働くうちに自民党の福祉政策(社会的弱者切り捨て)を見抜いた気がする。

 

事件から8年が経った今、問題となっているのは、入居者や自治体から金をだまし取っている社会福祉法人「恵」の問題だ。「社会的弱者を利用して金儲ける」ことが、堂々と自民党政権の中で行われている。

 

自民党政権と癒着したマスメディアは、自民がしている福祉政策に対して批判をしない。だから改善されることはない。劣悪な労働環境の下で、老人。知的、精神などの使節では、殺人に繋がる事件が起きている。この現実を見詰めなくてはいけない。

終わり。