台湾に留学していた時に、台湾で会社を経営している田原さんのご家庭におじゃましたことがありました。奥様と子供2人の4人家族。友人とワンルームに住む私にとって、家庭的な雰囲気は温かく羨ましく感じました。

お兄ちゃんのタイキ君は台湾の日本人学校に通う小学校六年生、妹のアンナちゃんは5才で現地の幼稚園に通っていました。タイキ君は台湾に住んで10年になるのに、日本人学校へ通っているため中国語がほとんどできずほぼ日本語のみ。その反省をいかして、アンナちゃんは幼稚園から現地の学校にいれたとのことで、中国語も日本語もペラペラのバイリンガルキッズでした。貧乏をしながら中国語を必死に学ぶ私には、アンナちゃんの自然に身につけた中国語がまぶしくて、自分の育った環境を残念に思ったりしたものです。

それから15年後ぶりに田原さんに再会しました。タイキ君は社会人になり出張でよく台湾を訪れるそうです。
アンナちゃんは日本の大学に通う大学生。中国語は全く話さなくなってしまったそうです。なぜでしょう。

台湾の日本人学校は高校がありません。中学校を卒業すると、台湾のアメリカンスクールに通うか日本に戻って日本の高校に通うか、という選択に迫られます。
田原家は、タイキ君の高校進学を機に、家族で日本に引き上げました。
タイキ君はそのまま日本の高校、大学に進学し日本で就職しました。
アンナちゃんは、帰国後すぐ台湾人の子女が通う東京の中華学校に転入したのですが、学校に馴染めず、近所の区立小学校に入り直し、その後はずっと日本の中学、高校、大学とすすみました。日本の中華学校でつまづいて以後、中国語は全く話さなくなったそうです。中学生の時、父親の会社の支店がある中国で夏休みを一ヶ月過ごしたそうですが、その時も中国語を話そうとすらしなかったそうです。中国語にフタをしないと生きていけなかったんだと思う、と原田さんは話していました。

台湾時代、台湾にいるのに中国語ができないと悩んだ長男のタイキ君は、台湾と日本を頻繁に行き来するビジネスマンに。中国語と日本語をごちゃまぜに話すバイリンガル幼稚園生だったアンナちゃんは、日本の一般的なお洒落女子大生に。

母国語以外に外国語も使って生きていきたいという意思が本人になければ、周りがいくらお膳立てしても、難しいのが語学。物心ついた時から2ヶ国語話せる人ほど職業で通訳者を選ばないといいます。

何をするにも、エンジンは本人がかけるしかなく、親はハンドル操作の補助かナビしかできないもの。子供に外国語を習得させるのは本当に難しいです。
ただ、語学ができるできないに関わらず、外国語を通じてでしか得られない体験があります。親はヤキモキせずにそこを大切にしたいものです。

私も、中国語を勉強したからこそ得られた経験をフル活用して、お客様の安心と利益ににつながる仕事を続けていけたらと思います。