2024年JAF全日本ダートトライアル選手権第5戦
「2024年東北ダートトライアル IN KIRIYANAI」
『旅の途中』
7月11日(木)横浜の自宅を出発。15日(月)夜帰宅しました。
今回は仙台までは夜行バス。
仙台~切谷内は山形市在住の友人の車に同乗、
行きは盛岡経由、帰りは三陸経由となりました。
仙台からは新宿まで昼行バスにしました。
仙台までの帰りのルート
新宿から夜行バス6時間余りで翌朝仙台駅前に着きました。
今回取材の助っ人は昨年切谷内の時と同様、山形市在住の飯島治さん。
大学のサークル(自転車部)の2年後輩です。
1 盛岡市の藤村幸雄さん
藤村さんには長い間CMSC岩手の後見人としてご指導頂き大変お世話になりました。
その昔全日本ラリー「ツールド東北」のオーガナイザー
元JMRC東北運営委員長
今はSUGOのサーキットレースの審査委員長、JMRC東北運営委員会顧問として活躍中。
ビジネスでは営業トラック100台超、従業員140人超を有する有限会社藤村小型運送の社長です。
2 盛岡市の浅沼勝徳さん(父)と賢志(けんじ)さん(子)
親子ともどもCMSC岩手のクラブ員です。
賢志さんは2019年全日本ダートラ第6戦野沢でN2クラス優勝
2022年全日本ダートラ第5戦切谷内でJD6クラス5位
の実績があります。
今回エントリーするも、出場枠の140台を超える申し込みがあったため、
2023年以降全日本に出場実績がないので、不受理となってしまいました。
3 盛岡市の玉熊孝次さん(父)と彦士(けんじ)さん(子)
こちらも親子ともどもCMSC岩手のクラブ員です。
孝次さんは今回選手としてSA1クラスにエントリーしています。
彦士さんは大会協賛会社(有限会社トーコー)として出店。オメガオイル展示販売をします。
4 盛岡市の白龍(ぱいろん)
昼飯は白龍で盛岡名物のじゃじゃ麺。
味噌を緬とよく混ぜる
チータンタン 緬を少し残し卵を落としたスープ +50円の別料金です。
5 三戸城(岩手県三戸郡三戸町)
南部氏の居城。
城址には石垣や堀跡などの遺構が残っています。
現在は城山公園として整備されており、
模擬天守が築かれ「温故館」の名で歴史民俗資料館となっています。
6 櫛引八幡宮(青森県八戸市)
鎌倉時代の創建で古くから南部氏の加護を受けた南部藩の総鎮守です。
鳥居の奥は正門
拝殿
本殿 江戸時代前期 1648年建立
旧拝殿 江戸時代前期 1648年建立
7 八戸キャニオン(青森県八戸市)
国内有数の露天掘式石灰鉱山。
展望台からの雄大な眺めは、地元の人々から「八戸キャニオン」と呼ばれ親しまれています。
日本で唯一海面下を採掘している露天掘りの石灰岩鉱山で、最深部は-170mにも達します。
残念ながら最深部は手前の木々が大きくなって視界の妨げになって見えませんでした。
8年前に見学した時は今より視界が良かったです。
8 蕪嶋神社(青森県八戸市)
蕪嶋神社は2015年11月火災で焼失。2020年に再建されました。
蕪嶋はウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定されています。
蕪嶋はもともとは島でしたが、埋め立てして今は陸続きです。
雨は降っていませんが、参詣者はウミネコのフン爆弾を浴びないよう傘をさしています。
再建された本殿。前より大きく立派になった気がします。
9 館鼻岸壁朝市(青森県八戸市)
決勝日の朝、4時に起きて館鼻岸壁に向かいました。
毎週日曜日の早朝にだけ館鼻岸壁で繰り広げられる巨大朝市。
全長約800m、300以上の店舗がひしめき、2万人の人々が買い物に訪れます。
10 陸前高田 奇跡の一本松(岩手県陸前高田市)
約7万本と言われた「高田の松原」は東日本大震災で壊滅。
その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。
樹齢173年、高さ27.5mもある奇跡の一本松は、残念ながら2012年5月に枯死が確認されましたが、
復興のシンボルとして後世に受け継ぐために、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり
枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存整備を行い、
現在はモニュメントとして昔と同じ場所に立っています。
震災遺構「陸前高田ユースホステル」
やなせたかし画「ヒョロ松君」
奇跡の一本松の足元付近にあるモザイクスタイルは、
アンパンマンの生みの親であるやなせたかし氏が描いたイラストを基に製作しています。
防潮堤
「高田の松原」跡地は整備されて「高田松原津波復興祈念公園」になっています。
海側
11 気仙沼市復興祈念公園
東日本大震災の記憶を後世に伝え、復興を祈念する場所「気仙沼市復興祈念公園」
2021年3月11日(木)に開園しました。
12 日和山(ひよりやま)公園(宮城県石巻市)
石巻市内を一望できる場所としても知られており、
眼下に流れる旧北上川の河口からは広く太平洋が広がり、
天気が良い日は牡鹿半島の他、遠く松島の風景などを見ることができます。
東日本大震災の時 8000人が高台の日和山に避難したといわれています。
東日本大震災で送迎バスが津波に巻き込まれ
4~6歳の園児5人が犠牲になった日和幼稚園は日和山のすぐ西にあります。
震災前の写真が展示されています。
かつては松尾芭蕉も「奥の細道」の旅の途中に風光明媚な日和山立ち寄りました。
芭蕉の句碑を見つけました。
7月15日(月)昼、仙台で飯島さんと別れて、バスで新宿に向かいました。