2023年JAF全日本ジムカーナ選手権第7戦
「SUGO ALL JAPAN JYMKHANA」
『旅の途中』
PART2 観光編
1 遊行柳(ゆぎょうやなぎ 栃木県那須郡那須町)
8月24日(木)、道の駅で朝飯を取ってから観光開始。
遊行柳は田圃の中にこんもりとありました。
平安時代からの歌枕の地で、松尾芭蕉も「奥の細道」で訪れた場所。
柳の傍らには、芭蕉、蕪村の句碑、西行の歌碑が建てられています。
「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」 芭蕉
「道の辺に 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ」 西行
「柳散 清水涸 石処々」 (やなぎちり/しみずかれ/いしところどころ) 蕪村
2 境の明神
国道294号線(奥州街道)の峠にある神社。
下野(栃木県)と陸奥(福島県)の国境に並ぶ二つの神社をあわせて境の明神と呼びます。
古来より国境を往来する際には両神社を参拝し、道中の安全を祈願したといわれています。
松尾芭蕉もここ境の明神を越して、みちのく入りをしました。
その後敬愛する能因と西行が通った旧関(現在白河の関と呼ばれている)を訪ねました。
栃木県側 境の明神
福島県側 境の明神
3 白河の関
奥州三古関のひとつに数えられる(後の2つは勿来の関と鼠ケ関)。
奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、
当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていたと考えられています。
やがて律令制の衰退とともにその機能を失ってからは、都の文化人たちの憧れの地となり、
"歌枕(和歌の名所)″として知られるようになりました。
この地を訪れた代表的な歌人・俳人は、能因や西行、松尾芭蕉など、みな時代を代表する文化人たちです。
「古関蹟」
寛政12年(1800)に白河藩主松平定信が考証の結果、
空堀・土塁が残る現在地が白河の関であると断定して「古関蹟」の碑をこの地に建てました。
4 棚倉城(福島県東白川郡棚倉町)
寛永2年(1625年)に丹羽長重によって築城されました。
常陸国から陸奥国に入る水戸街道を守る重要な城でもありました。
別名 : 亀ヶ城
本丸跡
5 三春城(続百名城 福島県田村郡三春町)
戦国時代から江戸時代初期の三春城は、伊達政宗や蒲生氏郷(がもううじさと)、
さらには上杉景勝など東北を代表する大名たちの領内に組み込まれ、支城の一つとしての役目を担いました。
6 乙字ケ滝(福島県須賀川市)
乙字ケ滝は阿武隈川に架かる唯一の滝。
幅は約100メートル、落差は約6メートル。ミニナイアガラの滝。
渓谷にあるような迫力のある落差を楽しむ滝に比べると、ちょっと拍子抜け。
「五月雨の瀧降りうつむ水かさ哉」(芭蕉)
瀧を見ながら読んだ句ではなく、話に聞いた石河の滝を、降り続く五月雨に想像して詠んだらしい。
7 上杉神社/米沢城(続日本百名城 山形県米沢市)
上杉神社は上杉謙信を祭神として米沢城本丸跡に建立されました。
米沢城本丸は現在、堀と石垣の一部が残るのみとなっています。
米沢城は伊達政宗が生まれた城です。
豊臣秀吉により召し上げられるまでの約200年、伊達氏の居城でした。
1598年(慶長3年)に五大老・上杉景勝(謙信の甥)が120万石で入封した際は
直江兼続が城主を務めたこともあります。
その後は「関ケ原の戦い」後に石高を減じられながらも江戸時代を通じて上杉氏の居城となりました。
上杉謙信
左)上杉景勝 右)直江兼続
上杉鷹山 経済的に困窮していた米沢藩を再建した第9代藩主。
8 建勲(たけいさお)神社(山形県天童市)
織田信長を神様として祀った神社。京都市と兵庫県丹波市にも建勲神社があります。
山形県天童市には信長の血筋を受け継いだ「天童織田藩」がありました。
天童織田家は、織田信長の次男・信雄の子孫で、信雄の四男・信良を祖としています。
子孫は上野国小幡藩から出羽国高畠藩と渡ったのち、天童に陣屋を移しました。
宮司の鎌倉景昭さん。
拝殿の中には織田信長の肖像画がありました。
9 山形城(日本百名城 山形県山形市)
延文元年(1356)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、
現在の城郭は第11代城主最上義光(1546~1614)が築いたものが原型とされています。
本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城。
運動公園となり公園内部は球場、体育館の敷地に利用され、内部の遺構はほとんどないが、
周囲の土塁、石垣、水堀は完全な形で残っています。本丸は復元工事中。
最上義光騎馬像
山形城は土塁で囲まれた城郭ですが、城門のみ石垣が用いられています。
本丸一文字門
二ノ丸東大手門
中堀の東側直ぐわきには線路 左)山形新幹線 右)奥羽本線
北門
南門
10 立石寺( りっしゃくじ 山形県山形市)
登山口
こから奥の院まで階段が約1015段
納経堂