2022年JAF全日本ダートトライアル選手権第6戦

「スーパートライアル in 今庄」

 

旅の途中 

◎友人編

 

今庄取材を終えて9月5日(月)夜遅く帰宅しました。

行きも帰りもひたすら下道。

遠回りして途中観光と友人を訪ねながら5泊6日往復1100キロの長旅でした。

 

 

行きのルート

 

帰りのルート

 

1 岐阜県中津川市で浅野博孝さん(右)早瀬要治さん(中)

 

2人ともCMSC岐阜クラブ員 40年近い付き合い。

浅野さんは長きにわたってCMSC岐阜の会長を務めました。

 

 

浅野さんは晴耕雨読の生活。愛車は軽トラック1台になりました。

 

 

 

浅野さんは毎日ネコ2匹 犬1匹と戯れています。

 

乾杯  早瀬さんはかつては酒豪でしたが最近はめっきり酒量が落ちたそうです。

 

 

 

 

2 帰り道 岐阜県羽島市の栗本利也さん 

 

彼もCMSC岐阜クラブ員 

 

長年全日本ダートラDクラスに参戦。

 

最近は全日本ジムカーナにも参戦の「二刀流」。

 

 

お店の名前は「ガレージクロノス」

 

 

新しいダートラマシンを制作中。

この車で来月の全日本ダートラ最終戦タカタに参戦予定

 

3 愛知県稲沢市の久保秋康夫さん

 

久保秋さんはコーヒーショップ「ライセンス」のオーナー。

 

 コロナで客足が遠のいて困っていました。

 

 久保秋さんはチームスペシャルロードモータースポーツクラブ(TSR.C)の代表。

 

昔全日本ダートラ・鈴鹿のオーガナイズをしました。

 

今はダイナランド(スキー場)ジムカーナシリーズを主催。

また今年11月から来年3月までにオートテストを6回主催します。

 

 

 旅の途中 

◎ 城巡り

今回は欲張って6か所の城を攻めました

 

1 岩村城(日本百名城 岐阜県恵那市)

 

 

 

 

築城から800年あまり。

大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城。

城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、

高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城。

 

 

 

岩村は「女城主の里」 

織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が善政を敷き、

最後まで家臣・領民を守ったとされている。

 藩主邸太鼓櫓


 

 

 

 

 

2 岩村城 城下町

 

自然豊かな山あいで400年余の時を刻む城下町。

江戸時代の情趣あふれる商家や旧家が立ち並ぶ

 

 

 

 

 

 

 

3 白鷹城/明知城(岐阜県恵那市)


明智光秀生誕の城といわれているが定かではない。

美濃と信濃の国境界に位置するため、織田氏と武田氏の間で争奪戦が繰り広げられた。

 

 

 

 

 

白鷹城/明知城入口

 

明智遠山家の菩提寺・龍護寺に明智光秀公御霊廟

 

金幣社八王子神社境内にある柿本人麻呂社の社前に明智光秀公手植えの楓

 

 

4 落合砦/土岐明智城(岐阜県恵那市)

 

明智光秀は、

(落合砦で誕生したとも言われている。

 

 

 

 

)

 

砦入り口

 

 

本丸跡 何もなし

 

明智光秀産湯の井戸(三の曲げ輪)

 

 

5 苗木城

(続日本百名城 岐阜県中津川市苗木)

 

戦乱の時代から明治維新まで十二代にわたり苗木領を治めた遠山氏の居城。

苗木遠山氏は織田、武田と姻戚関係を結んで勢力を広げるも本能寺の変で森氏に城を追われたが、

徳川に身を寄せて苗木城を奪還した。

以後明治の廃城になるまで遠山氏が苗木を治めた。

岩山の上にあり、敷地の確保が困難なため、建物の構築方法に懸造りが使われており、

自然の地形を有効に活かして築かれた山城。江戸時代の苗木藩の藩庁が置かれていた城。

 

 

 

 

 

 

天守跡にできた展望台

 

眼下には木曽川が流れ、中津川市の街並みが広がる

 

王矢倉跡(武器庫)

 

風吹門跡の奥の石垣が王矢倉跡

 

 

6 一乗谷城

(日本百名城 福井県福井市)

 

一乗谷朝倉氏遺跡は昨年9月に訪れた。

その時一乗谷城も登頂しようとしましたがあいにくの雨で断念。今年に持ち越した。

朝倉館跡の背後にそびえる標高473mの一乗城山に気付かれた山城で、山麓の城下町を守っていた。

城址には建物は何ものこっていないが、その遺構から往時をしのぶことができる。

 

朝倉館跡の背後にある一乗谷城山(四七三メートル)に築かれていた山城「一乗谷城」へ

通じる四つの登山ルートのうち三万谷(さんまんだに)ルートで攻城した。

一の丸まで40分。奥の三の丸までさらに10分ほどを要した。

 

 

 

 

山城の建物は何も残っていないが、

広さ千五百平方メートルの平たん地「千畳敷跡」には礎石が現存し、

大きな建物があったと推測される。

朝倉氏は普段、山裾の館に住み、有事への備えとして山城を整えたと考えられている

 

 

 

眼下には一乗谷城下町が広がる

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡は1471年から5代、103年間にわたって越前を統治していた朝倉氏の城下町跡。

屋敷や寺院、道路などの町並みが完全に近い形で発掘された。

一乗谷城は南北5キロの谷を、両端に虎口を設け谷を守る構造で、

往時は1万人が暮らす京都に次ぐ都市と云われた。

背後に一乗谷山城があり140箇所の竪堀が残る。

朝倉氏滅亡後、都市として再興することなく埋もれ農村となり、

このことが遺跡を400年以上も良好に保存した。

 

 

7 彦根城

(日本百名城 滋賀県彦根市)

 

月曜日朝7時に到着。表門から先の天守のある城内は開門時間が8時30分。

早すぎたので外堀と中堀と内堀を眺めて退散した。

 

 

 

 

外堀

 

中堀

 

中堀

 

 

中堀

 

内堀

 

琵琶湖畔で朝ごはん