JAF東北ダートトライアル選手権第6戦
「CMSC岩手ダイヤモンドトライアル」
旅の途中
新宿から盛岡まで夜行バス。盛岡で途中下車、
観光をして友人に会い1泊してから切谷内に向かいました。
バスは新宿を8月25日(木)24時出発。
岩手県北バス 2時間ごとにSAで休憩
盛岡駅西口到着は26日(金)7時10分
Ⅰ 温旧交編
1 井口敏良さん
元岩手三菱自動車役員。
小生が現役時代にラリーアート・三菱とユーザーの間に立ち
CMSC始めモータースポーツ振興のパイプ役を務めてくれました。
白龍(パイロン)本店で待ち合わせ、盛岡名物じゃじゃ緬を食べました。
小 税込み510円
味噌を緬とよく混ぜる
ちーたんたん(緬を少し残し卵を落としたスープ) 50円
2 藤村幸雄さん
藤村さんには長い間CMSC岩手の後見人としてご指導頂き大変お世話になりました。
その昔全日本ラリー「ツールド東北」のオーガナイザー
元JMRC東北運営委員長
今はSUGOのサーキットレースの審査委員長、JMRC東北運営委員会顧問として活躍中。
3 CMSC岩手・玉熊孝次さん玉熊彦士さん親子
盛岡から切谷内までは玉熊彦士さんの車で移動しました。
玉熊さん親子は今回オフィシャルですが選手としてエントリーもしています。
Ⅱ 観光編
盛岡市内中心部の観光はでんでんむし1日フリー乗車券(350円)を利用しました。
1乗車120円なので3回乗ると元が取れます。
1 石川啄木ゆかりの地
少年啄木像
少年啄木像 (大通り2丁目 啄木が通った中学校近く)
台座には歌集「悲しき玩具」の中の一首、
「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はないけれど」
と刻まれている。
啄木新婚の家
啄木新婚の家 明治38年啄木が20歳の時、妻節子、両親と妹と共に3週間暮らした家。
南部武家屋敷の質素な家を当時のまま保存。
婚約時代の啄木と節子
啄木が新婚生活を送った部屋 4畳半
中学時代からの友人だった節子との結婚式をこの家で行うことになっていたのに、
啄木は結婚式をすっぽかし当日姿を見せなかった。
しかし花婿がいなくても結婚式は行われた。
石川啄木生誕の地 常光寺 (盛岡市玉山区渋民)
啄木は、明治19年2月20日この寺に生まれ、
父親の一禎和尚が渋民宝徳寺へ移るまでの1年1ケ月過ごしている。
現在では当時の寺は改築され、啄木の生まれた部屋が保存されている。
金田一京助書による「石川啄木生誕の地」石碑
参道にある巨木杉 推定樹齢300年
2 宮沢賢治ゆかりの地
いーはとーぶアベニュー材木町
地元出身の詩人宮沢賢治の世界を再現した商店街。
啄木新婚の家からほど近い。
材木町商店街には賢治童話のファンタジックな世界が味わえるモニュメントが
通りのあちこちに置かれている。
石座モニュメント 石の採掘場で休む賢治
音座モニュメント チェロのオブジェから賢治が作曲した『星めぐりの歌』が聞こえる。
詩座モニュメント 賢治が詠んだ短歌を記した陶板
光原社(材木町)
光原社 全国から集めた漆器や焼き物を扱う工芸品店
宮沢賢治と同じ学級だった光原社創業者が「注文の多い料理店」初版本を発行。
現在は民芸品店と喫茶店がある。宮沢賢治ファンに人気の場所。
北上川に面した中庭には出版の地の碑や、童話「烏の北斗七星」の一部を刻んだ石柱が建っており、
賢治の直筆原稿などを展示した資料館もある
賢治の白壁(光原社内)
白壁には賢治の詩と歌の文章の一節が墨でかかれている。
3 もりおか啄木・賢治青春館
盛岡で青春時代を過ごした石川啄木と宮沢賢治の青春時代を紹介している。
建物は明治43年(1911年)竣工の旧第九十銀行を保存活用している。
4 盛岡城(日本百名城)
盛岡城は江戸時代の盛岡藩主南部氏の居城。
天守閣を始めほとんどの建造物は明治の初期に解体され、
現在は石垣を残すのみで「盛岡城跡公園」になっている。
本丸跡
本丸跡に、日露戦争で戦死した南部藩主42代目南部利祥中尉の騎馬台座。
銅像本体は1944年に軍需資材供出で撤去、現在は台座のみ残されている。
廊下橋
現在の本丸(中枢となる御殿)と二の丸(城主の近親者や重役の家臣たちが居住する場所)の間は
空堀で仕切られ、朱色の橋が架かっているが、
かつては「廊下橋」という屋根のかかった橋が架けられていた。
本丸下の石垣
二ノ丸下の石垣 下段は石垣の崩壊を押さえる「はばき石垣」
内堀跡 (鶴ケ池)
内堀の直ぐわきまで飲み屋街が広がっている。
奥の松の木の下にあるのは時鐘。
石川啄木歌碑 (二ノ丸跡)
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」
歌碑裏面 「金田一京助書」
啄木が学んだ中学校がすぐ近くにあり、啄木は時折教室から抜け出しここで文学の夢を結んだ。
宮沢賢治碑(芝生広場)
宮沢賢治は啄木の10歳年下。生まれは花巻市。
通った中学校は2人とも盛岡城下の盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校。
孤光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
上記の詩は「岩手公園」の最後の一節。
宮沢賢治の死の一月前に当たる1933年(昭和8年)8月22日と
日付の書かれた「文語詩稿百篇」の中にある作品の一つ。
孤光燈(アークライト)も設置され、詩の情景とリンクした構成になっている
5 岩手銀行赤レンガ館
1911年(明治44年)に盛岡銀行本店として落成し、
2012年(平成24年)まで岩手銀行中ノ橋支店として使用され、
「赤レンガの銀行」として親しまれてきた。
結婚の記念撮影
6 盛岡信用金庫本店
旧盛岡貯蓄銀行として昭和2年(1927年)に建てられ、現在も使用されている。
外壁は花崗岩が貼られている。
7 紺屋町番屋
大正2年(1913年)に盛岡消防団分団として建てられ、第五分団の番屋として使用されてきた。
屋根の上の望楼が特徴的。大正期の木造洋風建築の典型。
8 ござ九・森九商店
文化13年(1816年)創業の商家。
屋号通りござや畳荒物を現在までも販売している。
9 上の橋 擬宝珠(ぎぼし)
盛岡城築城と共にかけられた橋。
欄干を飾る青銅製の擬宝珠のうち慶長年間の銘が刻まれているものが18個残っている。
以 上