CMSC青森主催
JMRC東北ラリーシリーズ第4戦「2022ツール・ド・東北」
旅の途中
その2 観光編
ラリー取材に先立ち15日(金)16日(土)は旧友を訪ねる間、名所旧跡巡りをして時間を有効に使いました。
1 弘前市立観光館
まずはここで弘前観光パンフレットをゲット。
弘前は「ねぷた」 青森は「ねぶた」
「おー!懐かし」 何故かスバル360が展示されていた。
2 弘前城 (日本百名城)
城内案内図
天守
江戸時代以前に築かれた天守が残る現存12天守の一つで、東北で唯一の現存天守。
移動前の天守
天守は2015年(平成27年)10月本丸の内側に70m曳屋(ひきや)され、
元の位置に戻るのは2025年(令和7年)頃の予定。
元々の天守閣の場所は石垣補修工事中。
追手門(補修工事中)
南内門
東内門
北門
丑寅櫓(うしとらのやぐら)
外濠(追手門付近)
中濠 杉の大橋付近
内濠(下乗橋付近)
北門付近の外濠を泳ぐカルガモ親子
3 弘前市内神社仏閣巡り
(1) 宗徳寺(禅林街)
石田三成の次男石田重成の墓があります。
重成は関ヶ原の戦い後、津軽へ逃れ津軽家によって庇護され、
杉山氏と姓を変えて長男吉成は2代藩主津軽信枚の娘を妻に迎え家老職となり
代々重臣として津軽家に仕えました。
山門
本堂
石田重成(杉山源吾)の墓
杉山家の墓所
(2) 長勝寺 (禅林街)
津軽藩藩主津軽家菩提寺
山門
津軽家墓所
芭蕉句碑 偶然見つけました。
(3) 禅林街黒門
2代藩主津軽信枚が、弘前城の南西(風水でいう裏鬼門の方 角)の砦として、
1610年に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、曹洞宗三十三ヵ寺が連なっています。
(4) 最勝院五重塔
藩祖為信の津軽統一の過程で戦死したすべての人たちを供養するために建てられました。
(5) 岩木山神社
ご神体は「津軽富士」と称される岩木山。
今から1200有余年前、岩木山頂に社殿を創建したことを起源としています。
現在の社殿は江戸時代初期の再建です。
楼門
中門 奥が拝殿(中門は18時に閉門 入れなかった)
社務所 未だかやぶき
4 弘前洋館巡り
弘前は、明治から大正期にかけての建造物が数多く残る、和と洋が調和した城下町です。
旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館) 青森県初の銀行
旧弘前市立図書館
旧東奥義塾外人教師館
青森県初の私立学校 東奥義塾の外国人宣教師が住んだ家
日本聖公会 弘前昇天教会
大正時代に建てられたゴチック様式赤レンガ造りの聖堂
旧第八師団長官舎(旧弘前市長公舎)
1917年(大正6年)大日本帝国陸軍第八師団長官舎として建てられました。
2015年4月からスターバックスコーヒー 弘前公園前店
旧弘前市役所ミニチュア
追手門広場内に、明治から大正期に弘前市内に実存した旧弘前市役所や弘前公会堂などの
公共建造物や商家などの建造物14棟が、10分の1の模型で展示されています。
慈善館ミニチュア
旧弘前市立図書館ミニチュア
9481 日本基督教団弘前教会堂ミニチュア
5 弘南鉄道大鰐線中央弘前駅
レトロ 昭和のにおい
7月なのにストーブ?!
車両は東急電鉄からの譲受(東急元7000系)
6 太宰治記念館・斜陽館 (五所川原市金木町)
五所川原の旧友を訪ねたので、ついでにさらに北に位置する太宰治記念館・斜陽館まで足を伸ばしました。
斜陽館は明治40年に建てられた太宰治の生家。
太宰治は典型的な自己破滅型の私小説作家。
主な作品『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』『斜陽』
人気の秘密① 独特な暗さがクセになる
人気の秘密② 惜しげもなく自分の欠点をさらけ出すオープンさ
太宰のオープンさは、とりわけ現代人には魅力的。
人とうまくコミュニケーションが取れなかったり、自分の殼に閉じこもってしまいがちな若者たち。
自分の中で消化できない悶々としたやり場のない気持ちを、
太宰がまるですべて代弁してくれているかのような気持ちになります。
7 津軽鉄道五所川原駅
津軽鉄道五所川原駅 ここも昭和のにおいがたっぷり。
津軽鉄道はイベント列車「ストーブ列車」「鈴虫列車」「風鈴列車」の運行で知られています。
駅ホーム
日中は1時間に1本運行されています
廃車が無残な姿でうち捨てられていました。
8 温泉三昧
弘前は2泊とも温泉で湯治しました。
(1) 桜温泉
CMSC青森のラリー取材では過去何度も泊まったことがあります。
大人380円 安! 東京の銭湯は480円
内湯 源泉かけ流しのちょっとショッパイ炭酸塩素塩泉
露天風呂
(2) 百沢温泉 (旅館山陽)
湯船
こちらも勿論源泉かけ流し
露天風呂は無し
以 上