2022年JAF全日本ジムカーナ選手権第2戦
「オールジャパンジムカーナ イン エビス」
旅の途中
大会情報(主催者HP) http://www.ohshu-vicic.com/2022all_japan_gymkana.html
正式結果 http://www.ohshu-vicic.com/2022all_japan_gymkana/result.pdf
結果ニュース(CMSCブログ) https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12738477641.html
「大会のひとコマ」(CMSCブログ) https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12738528577.html
4月17日(日)開催した恋の浦全日本ダートラのWEB掲載が終らないのに、
4月15日(金)夜からエビスサーキット全日本ジムカーナ取材に向けて横浜の自宅を出発しました。
3週連続取材の2回目。
ルート図
国道4号線を北上。
途中那須塩原で車の中で仮眠して
今回寄り道のハイライト・日光街道大内宿、会津若松城を経由して
16日夕方福島の友人宅に民泊しました。
今回の帰りは何処も寄らず一目散。オール下道、往復800kmの旅でした。
1 大内宿 (福島県南会津町)
江戸時代にタイムスリップ。
大内宿は、江戸時代に会津若松と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました。
現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、
この景観を引き継ぐために店舗兼住居として生活しています。
2 何出模屋(福島県某所)
昭和レトロ なホーロー看板
街道沿いの納屋に貼り付けられた古い看板が一堂に会していました。
それら「レトロ看板」は、一種の広告美術であるだけではなく、
昭和初期から40年代にかけての貴重な文化遺産であると言えるでしょう。
「オロナミンC」「ボンカレー」「アース渦巻」など大塚グループの看板は見当たりませんでした。
3 会津若松城 (別名鶴ヶ城 日本百名城 福島県会津若松市)
会津若松城は蒲生氏郷や上杉景勝など著名な大名が城主をつとめた城です。
1643年(寛永20年)に保科正之(3代将軍徳川家光の異母弟)が入封して以降は
明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城として用いられ、
幕末の戊辰戦争の際には会津戦争の舞台となり、
新政府軍の猛攻に耐えた「難攻不落の名城」としても有名です。
現在の赤瓦5層の天守は1965年(昭和40年)に外観復元されたもの。
丁度桜が満開。多くの人で賑わっていました。
鉄門(くろがねもん)
廊下橋
武者走り
荒城の月碑
折からアマチュアカメラマン対象の撮影会が繰り広げられていました。
4 途中のご飯
道中道端でメスティンご飯 また楽しからずや
白いご飯のお供にちりめん山椒
5 CMSC福島・藤田哲也さん (福島県伊達市)
エビスサーキットから更に北へ、福島市を通り越した東隣の伊達市に住む
藤田哲也さんを訪ねました。
とりあえず乾杯
藤田さん秘蔵の写真は1987年全日本ラリー・モントレーでの雄姿。
当時日の出の勢いのADVAN・PIAAラリーチームからスタリオンで参戦。
Cクラス4位の好成績を収めました。
A175AランサーからE38AギャランVR4に移る過渡期でした。
コドライバーは後にラリーアートの社長になったCMSC本部の田口雅生さん。
この写真のイン側に赤と黒のラインが入った白いラリーアート・ブルゾンを着てカメラを構えているのが小生。
スタリオンがファインダーいっぱいになり恐ろしく感じたのを覚えています。
今ではインもアウトもこんな至近距離でギャラリーが観戦することはありません。
藤田さん宅に民泊することにしました。
翌朝はエビスサーキットまで40km 1時間の道のりでした。