2021年JAF全日本ダートトライアル選手権第7戦(今季5戦目)

「スーパートライアル in 今庄」

 

旅の途中

 

その1  今庄(福井県)・ 岐阜~郡上八幡(岐阜県) 

 

CMSC選手結果   https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12697002238.html

大会のひとコマ   https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12697023538.html

 

CMSCホームページ  http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html   

 

 

取材に行く前3日間に渡り、たっぷり寄り道しました。

 

 

 

 

1 今庄宿(福井県南越前町)

 

福井県南越前町にある今庄宿は、山々が連なる北国街道唯一の難所を背後に控えた宿場町。

当時の旅人は今庄宿で疲れを癒して、この先の敦賀や木之本に抜けるきつい峠道に備えた。
現在も当時の宿場町の風景が色濃く残っており、約1kmの街道の街並みが往時を偲ばせる。

 

 

 

 

 

 

 

本陣跡

 

 

 

燧ヶ城址から見た今庄街並み 

この写真を撮るために土曜日公開練習が終わってから夕方30分かけて登った。

 

 

 

 

2 燧ヶ城址(福井県南越前町)

 

 寿永2年(1183)、平維盛の軍を討つために木曽義仲が仁科守弘に銘じて築城。

源平盛衰記には「北陸道第一の城郭なり」と記され、砦や本丸跡には石垣が残り、

その周囲には空堀や切り堀も見られる。

 

 

  

           城址石碑                          奥は本丸石垣

 

途中の道 怪しげなきのこ 

 

 

 

3 岐阜城(日本百名城)

 

 

今回の寄り道は8月31日(火) 夜、横浜の自宅を出発。

9月1日(水)10時、岐阜城から寄り道を開始しました。

 

  金華山(きんかざん)山頂に位置し、岩山の上にそびえる難攻不落の城

戦国時代には斎藤道三の居城でもあった。

その後、織田信長がこの城を攻略、城主となり地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれている。

   

左)山頂駅まで金華山ロープウェイがあるが、1時間かけて歩いて登った。

右)登りは「崖危険」コース。下りは「う回路」コースにした。

 

  

右) ロープウェイ頂上駅から天守までは緩やかできれいな道

 

 

左)緊急事態宣言により天守は休館中。

右)長良川の鵜飼いもコロナ緊急事態宣言で開店休業。

 

山道わきに「一ツ葉」(ひとつは) 多年生常緑のシダ類で、葉が一枚きりであることからこの名がある。

松尾芭蕉もこの葉を見て一句 「夏来てもただひとつ葉の一葉かな」 (なつきてもただひとつばのひとはかな 

夏にやってきても、この一つ葉という草は、まことに涼しげな一枚の葉であることだ

 

 

 眼下の川は長良川

 

 

 

 

4 JR岐阜駅前「黄金の信長像」

 

 

 

  

全身が黄金の信長像。2009年に建てられた。

マントを羽織り、右手には西洋かぶと、左手には火縄銃を持ち、高いところから見下ろしている。

織田信長の像は各地にあるが、黄金なのは岐阜市のこの像だけ。

黄金なだけあって、かかった費用は3,000万円。

高さはなんと3メートル、台座も含めると11メートルという高さである。

 

 

5 円徳寺(岐阜市神田町)

 

信長ゆかりの寺「円徳寺」。このお寺の門前で織田信長が楽市楽座の制札を行った。

信長の父・信秀が斉藤道三の稲葉山城(現岐阜城)を攻めたときに完敗し、

戦死者を円徳寺に織田塚といて祀って以来の縁で、のちに信長が斉藤氏を倒して、

岐阜城とした際、本陣跡地を寄進した。

 

 

 

 

織田信長寄進の梵鐘

 

 

6 加納城(岐阜市加納三の丸)

 

徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、江戸時代には加納藩藩主家の居城となった。

城跡は加納城跡(かのうじょうあと)として国の史跡に指定されている。

現在では加納公園(本丸跡)と周辺に石垣、堀跡などがわずかに見られるのみである。

 

  

 

 

                                            城内は公園になってる

 

 

          三の丸跡地                              大手門跡地

 

 

 

7 黒野城(岐阜市黒野)

 

美濃国方県郡黒野の地に豊臣秀吉の命で加藤貞泰が築城。

徳川家康の時代まで1代わずか16年間の存在だった。

現在本丸がそのまま公園として残り、現在も方形の土塁と濠が巡っている 。

 

 

 

 

 

本丸内公園

 

 

 

8 モネの池 (岐阜県関市板取)

 

根道神社の敷地内にある、元々は水田の水を引くために整備した池で「名もなき池」と名付けられた。

通称 モネの池。透明度の高い湧水に咲く睡蓮がとても美しく、池の中を優雅に錦鯉が泳ぐ姿は、

まるでモネの代表作「睡蓮」のようだとネットで評判になった。

 

 

 

 

 

 

 

本物のモネ作「睡蓮」(パリ オランジュリー美術館)

 

 

9 明智光秀ゆかりの地 桔梗塚(伝明智光秀墓)(岐阜県山県市)

 

光秀は山崎の合戦で死んだのではなく、実は、そのとき死んだのは影武者であり、

ひそかに郷里山県市中洞に落ち延びて荒深小五郎の名で住んでいた・・・

その後、関ケ原合戦で徳川家康に従軍しようと藪川(現・根尾川)を馬で越えようとしたときに洪水に巻き込まれ

溺死した。従者たちは光秀の遺品を持ち帰り、墓を建てたと伝えられており、そんな伝説が残るのが、

ここ「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀の墓だ。

 

 

 

 

 

    

 

 

 

10 郡上八幡城(続日本百名城)(岐阜県郡上市八幡町)

 

戦国時代末期 永禄2年(1559年)、遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまり。

土佐藩初代藩主の山内一豊。その正室である千代は、初代郡上八幡城主・遠藤盛数の娘で郡上市に生まれた。一豊は信長、秀吉、家康に仕え、最終的には24万石の土佐藩主へと出世した背景には、

信長の「馬ぞろえ」や関ヶ原前夜の「傘の緒の密書」など、千代の内助の功があったからと伝えられている。

本天守は1933年(昭和8年)に再建された。現存する木造再建城としては日本最古。

 

 

 

 

 

 

山城であるが天守まで車で行ける。

 

 

天守閣からは、城下町や奥美濃の山並が一望できる。

 

 

11 郡上八幡街並み

 

長良川

 

 

宗祇水(そうぎすい) 昭和60年に日本名水百選にも選ばれた湧き水


 

やなか水のこみち 玉石が敷き詰められた柳が揺れる小道

 

 

 

   

いがわこみち 傍を流れる用水路は寛文年間(1661~1673年)に造られ、

町内で最も大きな生活用水として現在も活用されている。

洗濯場が3ヵ所あり、すすぎものをしたり、夏にはスイカを冷やしたりしながら語らう社交の場。

水路には鯉や鮎などの川魚が泳いでいる。

 

 

 

郡上八幡旧庁舎記念館  大正9(1920)年に建てられた旧税務署

 

 

 

「旅の途中 その1」 はここまで

 

その2は https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12698014251.html に続く