関西地区CMSC会員との情報交換報告
旅の途中
22日(水)夜横浜から夜行バスで神戸へ。関西地区(+名古屋地区)CMSC会員との情報交換の合間に明石、大阪、奈良、京都を回り、連日観光がてら見聞を広めました。
その1 明石
神戸三宮からJRに乗り換え須磨まで。須磨で杉原紘治さんと再会。明石では日本百名城の明石城、松尾芭蕉の句碑を見た後、名物明石焼きを食べました。
明石大橋
0625 日本標準時(東経135度)子午線標示柱
明石城 日本百名城
0611 杉原さんは小生が30歳そこそこ入社8年目の時、新型デリカの特装車(ダンプ、テールゲートリフター)の製造販売企画の仕事でお世話になった当時東急車両の方。以来お互い仕事は変わってもリタイヤしてもお付き合いさせて頂いています。
柿本神社にて 「蛸つぼや はかなき夢を 夏の月」はせを
明石天文台にて 「ほととぎす きえゆきかたや しまひとつ」
明石市民会館にて 「かたつむり 角ふりわけよ 須磨明石」
明石焼き
行きのバスのトイレ休憩地。昨年3月にOPENしたばかりの鈴鹿PAではF1マシンが
トイレの個室に壁一面鈴鹿サーキットレースの写真は圧巻。水を流すとエンジン音。
その2 大阪
昼間の空き時間を活用して、正月にふさわしく「大阪七福神巡り」をしました。
1. 三光神社→寿老人 ご利益は延命長寿
2.長久寺→福禄寿 ご利益は子孫繁栄 立身出世 健康長寿
3.法案寺→弁財天 ご利益は金運・財運向上(財宝の神様) 学業成就(学問の神様) 技芸上達(芸能・芸術の神様) 縁結び・恋愛成就
4.金満寺(大乗坊)→毘沙門天 ご利益は商売繫盛(財宝の神様) 勝運(軍神) 病気平癒
5.大国主神社→大黒天 ご利益は富貴栄達 金運・財運向上 縁結び 五穀豊穣 商売繫盛
6.今宮戎神社→恵比寿天 ご利益は商売繫盛 航海安全 大漁・五穀豊穣
7.四天王寺(布袋堂)→布袋尊. ご利益は子宝 良縁 商売繫盛
まだ時間に余裕があったので、人気スポットや繁華街を回りました。
道頓堀
黒門市場
アベノハルカス
スーパー玉出
大阪駅 久しぶりに地上から駅を見ました。
大阪の宿は西成ドヤ街 釜ヶ崎
その3 奈良
奈良には小生が販売会社(川崎三菱)出向時に新車を購入してくれた菅谷正さんがいます。 26日(日)菅谷さんの車で丸一日かけて吉野奥千本を訪ねました。
奥千本は春の桜、秋の紅葉が綺麗と思われるが、平安~鎌倉時代の放浪の歌人西行が奥千本で庵を結んだ「西行庵」を訪ねました。
金峯神社から先の西行庵へは徒歩で山道を500m約20分歩く。きつかった。
苔清水。
西行庵の近くにあって、「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と西行が詠んだとされ、芭蕉が「露とくとく試みに浮き世すすがばや」と詠んだ清らかな水が今も流れ落ちています。
吉野に行く途中に、奈良から吉野に抜ける古道の「細峠」を徒歩で攻めました。
「雀より 空にやすらふ 峠かな」 松尾芭蕉は「笈の小文」で細峠を通った時この句を詠みました。
吉野の「竜門の滝」を見物しました。
芭蕉も竜門の滝を見物してここで二句を詠みました。
「龍門の 花や上戸の 土産にせん」
「酒のみに 語らんかかる 瀧の花」
27日(月)夕方京都に向かうまで奈良公園を散策。月曜日は日本の観光客より海外の観光客ばかりでした。新型コロナウイルス発症の中国から来たと思われる、色とりどりのマスクをした家族連れを多く見かけました。
東大寺大仏殿
二月堂
三月堂
四月堂
若草山 1月25日(訪ねた前日です)山焼きが行われました。
春日大社一の鳥居
興福寺
猿沢の池
その4 京都
京都でもCMSC会員ではありませんが、古くからの友人と再会、旧交を温めました。
27日(月)は北海道のAPRC、全日本ダートラで一緒に取材した渡辺さん。当時は札幌勤務だったが日本各地を数年ごとに転勤する転勤族。今回も京都に転勤して丸1年でした。清水寺近くの京料理のお店で。
28日(火)は京都府軽自動車協会専務理事の佐倉重則さん。元京都三菱自動車販売で篠塚建次郎選手のWRCディーラーメカ選考でお世話になった方。日本百名城巡りの刺激を受けました。祇園近くの鳥料理のお店で。
29日(水)は土屋文昭さん。1982年パジェロの立ち上がりでまだパリダカに参加する前、国内のオフロードレースで増岡浩選手の乗るパジェロレース車を開発してくれた方。悪いところを出し尽くして改良、パジェロ本体の耐久性向上のフィードバックに貢献してくれました。
28日(火)29日(水)の昼間は名古屋からわざわざ駆けつけてくれたCMSC岐阜の新美達也さんと一緒に魔界都市・京都の怨霊スポットを廻りました。
崇道神社(左京区上高野)
奈良後期、光仁天皇の皇子早良親王を祭る神社。早良親王は平安京を開いた桓武天皇の弟。反桓武帝の中心勢力で、保元の乱で捕われ自害。当時都に悪疫が流行したのは親王の祟りとされ、桓武天皇はその霊をなぐさめるため崇道天皇の追号を贈り、同地に祭られました。
崇徳天皇御廟(東山区祇園町)
崇徳天皇(上皇)は、菅原道真、平将門と並ぶ日本三大怨霊といわれています。
崇徳天皇(すとくてんのう)は平安時代末期の第75代天皇で白河法皇、鳥羽上皇の院制下において即位、後に鳥羽上皇により譲位させられました。
鳥羽法皇が崩御した際には後白河天皇と対立、武家を巻き込んで戦闘へと発展しました(保元の乱)。敗者となった崇徳上皇は讃岐に配流の身となり京都へ戻ることを望みましたが京都の地を踏むことなく讃岐で崩御した。この頃、京では異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられた事態に後白河院は、崇徳院の怨霊鎮魂につとめました。
白河北殿址 (京都大学熊野寮内)
白河上皇の院御所。のちに崇徳上皇の院御所となり保元の乱で平清盛の攻勢で焼失しました。
神明神社(綾小路通)
平安後期の近衛天皇の頃、鵺(ぬえ)という怪物が現れ夜になると奇怪な声で鳴きました。弓の名手・源頼政が鵺を退治しました。その頼政の屋敷跡に建てられた神社です。
安井金刀比羅宮(東山区東大路)
崇徳上皇と源頼政が祀られています。悪縁を断ち切り、良縁を結ぶ神社です。
猿ケ辻
京都御所の鬼門に当たる北東部分一か所だけが窪んでいます。木彫りの猿が夜な夜な徘徊したので金網で封印されています。
車折(くるまさき)神社(右京区嵯峨朝日町)
平安末期、天皇に仕えた儒学者清原頼業が祀られています。
車折神社の境内にある「芸能神社」は芸能人にとってのパワースポットとして有名。境内を埋め尽くす玉垣には時代劇俳優からアイドルまで、名立たる芸能人達の名前が多数!