2019年JAF全日本ダートトライアル選手権第10戦(最終戦)

「NANO TOPカップ ダートトライアル in タカタ」

旅の途中

 

CMSC選手結果は

各クラス6位以上  https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12534394945.html

      7位以下 https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12534400124.html

 

大会のひとコマ https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12534402505.html

 

結 果   大会情報 主催者HP https://jmrc-chugoku.org/2019dirt/index.html

       リザルトpdf  https://jmrc-chugoku.org/2019dirt/sokuhou/all/1006.pdf

       シリーズポイント(JAFHP)http://jaf-sports.jp/competition/point/dirttrial.htm

MSCホームページ  http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html   

 

 

1 行きの夜行バス

 

 

①② 10月3日(木)21時50分新宿発の夜行バスで倉敷へ。11時間弱の長旅ですが、寝てればいいので自分の車で自走より楽です。

 

 

③ トイレ付なので乗客は道中2回しかSAで休憩できません。

 

 

④ 倉敷駅北口。4日(金)8時40分到着。CMSC香川の田中昭男さんが迎えに来てくれました。

 

2 スピードショップチェリッシュ(岡山県倉敷市)

 

 

①② まずは田口盛一郎さんのお店「スピードショップチェリッシュ」へ表敬訪問。息子の勝彦さん(CMSC本部所属)と一緒に親子で出迎えてくれました。盛一郎さんは1981年(A部門)86年(B部門)88年(B部門)の全日本ラリーチャンピオン。勝彦さんは1999年2010年アジア・パシフィックラリー選手権チャンピオン、2015年16年18年全日本ダートトライアル選手権SC2クラスチャンピオン。

 

③ 田中さん(左)には倉敷~タカタ~松江~倉敷 4日間一緒に行動、大変お世話になりました。

 

 

3 三菱自動車工業 水島製作所(岡山県倉敷市)

 

① 三菱自動車工業 水島製作所。30年ぶりに訪れました。ただし門の前まで。水島製作所は主に軽自動車EKシリーズ、RVRを生産。日産のデイズも水島でOEM生産しています。かつてはミラージュ(現在はタイで生産)、軽トラック(現在は鈴木自動車でOEM生産)、デリカ(現在はパジェロ製造で生産)も水島で生産されていました。

 

 

4 福山城 日本百名城(広島県福山市)

 

 

① 福山城天守 南面

 1619年に徳川幕府から西国鎮護の拠点として備後10万石の領主として水野勝成(徳川家康のいとこ)が入府し、1622年に完成、江戸時代最後に 建てられた城です。天守閣は昭和20年に焼失、その後再建されました。

 

② 福山城天守 北面

 

③ 筋鉄御門(すじがねごもん)

筋鉄御門は本丸の正門に位置する現存櫓門で、国の重要文化財に指定されています。いかめしい名前の門ですが、「筋鉄」の名称のとおり、1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられています。

 

④ 筋鉄御門のすぐ南にJR福山駅。内堀を埋めた後に山陽本線、山陽新幹線の線路と福山駅ができています。

 

 

5 鞆の浦(とものうら 広島県福山市)

 

 

 

①②③ 瀬戸内海は、干潮と満潮で潮の流れが代わりますがその真ん中に位置するのが「鞆の浦」という事で、瀬戸内海を行き来する船は、必ずと言ってよいほど、鞆の浦に寄港し、潮目が変わるのを待ちました。

古くから潮待ちの港として栄えた鞆の浦には江戸時代からの町並みが今も残っています。

室町幕府最後の将軍(第16代)足利義昭が、織田信長と対立して京都を追われ、鞆の浦に亡命政権「鞆幕府」を開いたと言われています。

また、鞆の浦はアニメ映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった街です

 

④ 「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも」

新元号「令和」ゆかりの大伴旅人の亡妻挽歌。730年太宰府赴任の任期を終えて海路京都へ戻る途中鞆の浦で詠んだ歌。(2首とも)

かつて太宰府へ西下のときに妻と一緒に見た鞆の浦の磯に立つむろの木は今も変わらずあるが、それを見る妻はもういない。共に眺めた妻を忘れようとも忘れられない

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⑤ 「吾妹子之見師 鞆浦之天木香樹者 常世有跡見之人曽奈吉」

わがもこがみし とものうらのむろのきは とこよにあれど みしひとぞなき

 

 

⑥⑦ 常夜燈。街のシンボルです。

 

 

 

⑧⑨ 桝屋清右衛門宅

桝屋清右衛門宅は江戸時代の廻船問屋の商人の家。坂本龍馬が起こしたいろは丸事件で、幕府からの追っ手から龍馬をかくまったとされています。いろは丸事件とは、坂本龍馬の海援隊が運航するいろは丸と、紀州藩が運航する明光丸の衝突事故。

 

⑩ いろは丸展示館。常夜灯のすぐわきにあります。

 

⑪ 鞆の浦土産にえびちりめんを買いました。

 

 

6 千光寺(広島県尾道市)

 

 

 

①② 千光寺は806年弘法大師の開基とされる真言宗のお寺です。

 

② 千光寺からの風景。尾道の街並みや瀬戸内の風景(尾道水道)も見渡せます。

遠くに四国へ通じる「しまなみ海道」の橋が見えます。

 

 

③ 龍宮造りの鐘楼

 

 

④⑤ 尾道で広島風お好み焼きを頂きました。

 

⑥ 食べ終わってから、隣の和食屋「地魚定食」も魅力でした。

 

⑦ 今宵の宿はCMSC香川・田中昭男さんのデリカD5。第2・第3シートをフラットにして、その上にエアマットを敷いて快適でした。

 

 

7 鳳源寺(広島県三次市)

 

① 鳳源寺は忠臣蔵ゆかりの寺。

 

 

② 瑶泉院(ようぜんいん)遺髪塔。 瑶泉院は播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室・阿久利姫の後の仏門の名。広島浅野家の分家、三次浅野家の生まれです。三次浅野家の菩提寺が鳳源寺です。

 

 

③④ 義士堂 四十七士が出立する姿を模した木像が安置されています。

 

⑤ 瑶泉院像

 

⑥ 義士の菩提を弔うように義士堂に向かい合って建てられていました。

 

⑦ 赤穂義士大石内蔵助良雄手植えの枝垂れ桜。

 

 

8 CMSC島根と情報交換

 

 

①② タカタ全日本ダートラ終了後、倉敷とは真反対の島根県松江に向かいました。松江ではCMSC島根の会長杉坂啓一さん、事務局長の国谷益雄さん、クラブ員の祖田和安さんと、CMSC香川・田中昭男さんを加えてたっぷり4時間に及び、酒を交わしながら情報交換をしました。

 

③ タカタのリザルトを見る杉坂さん(実は字が小さくて良く見えないと、ついでに小生の年賀状も字が小さいと)

 

④ 写真がぶれてしまいました。

 

⑤ のどぐろ煮付けは最高に美味かった。

 

 

9 月山富田城(がっさんとだじょう) =日本百名城 (島根県安来市)

 

 

① 戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構えた山城。幾重にも連なる断崖絶壁の砦が築かれ、麓を外堀のごとく飯梨川が流れるため、山そのものが天然の要害となっている難攻不落の城でしたが、毛利元就との長年に及ぶ合戦の末落城、1556年尼子氏(義久)は滅亡しました。

現在は、往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみ。山頂部の七曲の登城道を登ると、西の袖平、三の丸、二の丸、本丸が連郭式に配置され、特に二の丸の周りを囲む石垣や、本丸との間の深い掘切は必見です。

 

 

② 山中御殿(さんちゅうごてん)

大手門を上がったところの大きな平地で、御殿があった城内の重要な場所でした。ここから急こう配の上り坂七曲りを経て本丸まで徒歩で30分かかりました。

 

③ 二の丸跡

 

④ 二の丸石垣

 

 

⑤⑥ 本丸跡 

 

 

⑦⑧ 勝日高守神社 本丸の横 =月山頂上 に月山富田城の築城とともに建立されました。

月山富田城の歴代城主の信仰が厚く、特に尼子氏はたいへん熱心でした

 

10 大山寺(だいせんじ)(鳥取県大山町)

 

① 大山 生憎の雨上がりの曇り空。頂上は雲の中。

鳥取県西部に聳える山、大山(だいせん)は標高1729mを誇る中国地方最高峰の山です。

 

 

② 大山寺本堂 ③山門

その中腹に鎮座するのが大山寺です。

大山寺は天台宗、山陰の名刹。奈良時代の創建とされ、奈良末期から平安時代に山岳仏教の修験場として隆盛を極めました。

大山への登山の起点となる登山口でもあります。

神奈川県伊勢原市にある大山寺は「おおやまでら」といいます。こちらは真言宗。

 

 

 

11 大神山神社奥宮(鳥取県大山町)

 

① 明治の神仏分離で大山寺より分離しました。

 

② 鳥居から続く奥宮への参道石畳は700ⅿの日本最長を誇る石畳の参道です。

大山の新鮮な風が通り抜けていきます。

 

③ 参道の入り口に「暗夜行路ゆかりの地」と刻まれた石碑が立っていました。

志賀直哉ゆかりの蓮浄院跡です。志賀直哉は大正3年の夏にこの宿坊に滞在し、そのときの体験をもとに『暗夜行路』の終盤にある大山を描いたといわれています。

 

④ 参道を上へ上へと15分歩くと「神門」。閂(かんぬき)をつける側が境内の外側になっているので「後ろ向き門」と呼ばれています。

 

 

⑤⑥ 最後の階段60段を振り絞って登るとその上が社殿。大神山神社奥宮の社殿は、「本殿」「幣殿」「拝殿」を一体化させた「権現造り」(ごんげんづくり)というタイプで、日本最大級の規模を誇ります。

 

この後大山寺参道にあるお茶屋で大山寺豆腐と大山寺そばの昼食を取ってから倉敷に向かいました。